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EP2 卵に潜む悪夢1 本部からの呼び出し
暴走特急
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「チッ……ブンブン煩く空を飛び回りやがって」
夏輝達と分かれ、瑞雪はトツカを伴い魔物の近くまでやってきていた。西日に目を焼かれつつ空を見れば、巨大な蜂がここまでブンブンと聞こえる程度には爆音の羽音を響かせながら飛び回っていた。
結界のせいで出ることもできないのだろう。結界は人払いの効果もあるが、弱い魔物相手ならば閉じ込めるといった効果も持つ。
最も、先日の竜のような存在相手には無意味だが。
「お前もこっちにこい、そんな見える位置に堂々と突っ立ってるんじゃねえ」
ビルの影に身を潜めていた瑞雪が思わず渋い表情のまま苦言を呈す。なにせ、トツカは瑞雪に倣って隠れるのではなく道路のど真ん中に堂々と立っていたのだから。
「む?別に正面からでも問題ないが」
刀を抜き、やる気満々……なのはいい。しかし。
「優秀な猟犬を自負してるなら俺の命令を聞け。羊飼いの命令は絶対だと習わなかったのか?」
「相手は空を飛んでいる。刀の届かない高いところに逃げられる前にさっさと討伐することを勧める」
「俺なら撃ち落とせる。というか質問に答えろ、お前俺の命令を聞く気はないのか?」
ああ言えばこう言う。トツカは理解ができないのかひたすら首をかしげている。
瑞雪も瑞雪で、この人の話を聞いているんだか聞いていないんだかという様子の猟犬に対してどんどんとイライラが募っていく。
「チッ」
そもそも瑞雪は短気である。思わず舌打ちが漏れる。どれだけ夏輝とラテアが素直で扱いやすい後輩たちであるかを今ひしひしと感じていた。
「命令なら聞いている。倒すことだ」
トツカの血のような深紅の瞳がギラりと輝く。表情筋はほぼ動かないものの、その眼は雄弁に『戦いたい』と語っていた。
わかっていても、こいつが瑞雪の言うことを聞かないのが気に入らない。別に猟犬が羊飼いの命令をすべて聞けとは思っちゃいない。
では何が気に入らないか?トツカが従っているのは瑞雪にではなく、組織に、ひいては國雪にだからだ。そんなに組織の猟犬でいたいなら瑞雪の下になんて来なければよかったのに。
まあ、國雪に命令された以上瑞雪がどのような羊飼いであっても彼は瑞雪の猟犬になろうとしていただろうけれど。
そして瑞雪にも拒否権はない。
「瑞雪、お前は見ているだけで構わない。すぐに終わらせよう」
で、目の前の猟犬は瑞雪の命令を無視しそのまま空を飛ぶ蜂の下へと走り出す。
筋肉だるまというわけではないが、全身を覆うしなやかな筋肉は野生の肉食獣を連想させる。速さと力強さを両立した美しさがある。
しかし、そんなことは瑞雪にとってはどうでもいい。
「おいっ!」
慌てて瑞雪が声を上げてもあいつは聞きやしない。息が全くと言っていいほど会わない。そもそもトツカが合わせようという気が少しだってないのだ。
追いかけながら瑞雪は思考を巡らせる。あいつの持つマナだけで戦うつもりか?基本的に猟犬がイオを扱うのは契約した羊飼いの許可がなければ無理だ。
血を送るも送らないも瑞雪の匙加減一つにかかっている。……少なくとも瑞雪はそう思っていた。
「っぐ、ぅ!?」
チクリとした痛みが指に走り、続いて急激に血液を吸い上げられる感覚。普段は殆ど感じないはずの、慣れない感覚。
(はぁ!?何であいつは俺の血を吸い上げてんだ!?)
目を白黒させ、慌てつつトツカへと目を向ける。
見ればあいつは全身に身体強化魔法を纏っている。ヒトとは思えないほどの猛スピードで蜂に向かって突進。当然真正面からこんな派手に走りこめば蜂だって気づく。
「っおい、カマイタチ!どうなってんだ、あいつの首輪!何で血を許可なく勝手に吸い上げてやがる!?」
弓を握りしめながら瑞雪は小さく呻く。
『ぎゅぃ、ぎゅぃいいぃ……!』
カマイタチもまた想定外の事態なのだろう。慌てて調べているようだが、人語を話せないため何を言っているのかさっぱりだ。
スマホの画面をいちいち見ている余裕も当然ない。
気づいた蜂が針をマシンガンのようにトツカへ向けて飛ばす。遠目から見ているからいまいち大きさはわからないが、真下に迫るトツカとの大きさで比べるに全長五メートルはあるだろうか。
そんな蜂の針のサイズであれば人間を貫いて殺すくらい容易に決まっている。それが何百本、何千本と発射されるのだ。殺傷力は折り紙付きだ。
しかし、トツカは全く動じない。刀を地面へと突き刺し何かを詠唱する。それと同時に再び瑞雪の血がすさまじいスピードで吸い上げられていく。
指輪を取ってしまえば吸い取られることはなくなるだろうが、今度は絶賛交戦中のトツカへのイオの供給が断たれる。マナのみでも魔法は使えるし、あいつ自身強いとは豪語していたが今それをするのはリスキーすぎた。
「くそが……っ!とんだ厄介者を押し付けやがって!」
悪態をつくくらいは許されるはず。一つ悪態をつく間にも血はどんどんと吸われていく。
トツカの周囲の地面が隆起し、分厚い壁となる。ズガガガガ、とすさまじい音を立てながら壁が針を受け止めていく。表面が抉れ、穴だらけになるが受け止めきった。
針の攻撃がやむのと同時にトツカの足元の地面がさらに隆起。足場となりトツカを押し上げる。刀を構え、蜂に向かって一直線に飛んでいく。
蜂が迎え撃つようにトツカに向かって突進。途中でトツカが足場にしていた隆起した地面をばらばらに分解し、弾けさせる。蜂に向かって瓦礫が殺到。蜂の動きが一瞬だけ鈍る。
同時にどろりと瑞雪の視界が溶ける。後頭部がずきずきと痛んだ。
「っかひゅ、ぐ……ふざ、けんな……」
足元がフラつくが、かろうじて踏ん張る。先ほどまでは何ともなかったはずなのに、急激に体調が悪くなる。
(明らかに貧血の症状なんだが……!)
心臓がバクバクと音を立てて軋む。さっきから眩暈が酷くて武器を持っていられない。握っていることができず、瑞雪は弓を地面へと落とす。
動きが鈍った一瞬の隙だけでトツカにとっては十分だったようだ。刀を構え、身体強化魔法をさらに重ね掛けする。こんなに血を潤沢に使う必要などあるか?あってたまるか!
悪態をつこうにもトツカには届かない。上位の魔法であればあるほど必要なイオ、マナは増える。
マナやイオにも質が存在する。高ければ高いほど同じ量使えば効果は増す。あるいは少ない量で発動可能になる。それは血液も同じだ。
瑞雪の血は少なくとも質としては平均以上はあるはず。詳しく調べたことはないが、マナタブレットという限られた制限で魔法が普通に使えているのだからスッカスカってわけではないだろう。
何が言いたいかというと、つまりここまで血液を莫大な量吸い上げて使わなくても十二分に戦えるはず、ということである。
ブレる視界でトツカを見上げる。遠目から見てもわかる。トツカは笑っていた。
心の底から楽しそうに、愉快そうに。その視界に瑞雪は映ってはいない。トツカにとっての瑞雪は間違いなくイオを、魔法を気持ちよく使うためだけに存在する血袋だった。
理解する。あいつは戦闘狂だ。
(どこが優秀な猟犬だ、ふざけんな!敵をぶった切ればいいってもんじゃねえんだぞ……!)
意識が朦朧とする。トツカの刀が煌めき、超濃度のイオを纏う。それと同時に瑞雪にとどめを刺さんばかりに血が一気に吸い上げられた。
これ以上は無理だ、失血死しかねない。もう意識も保っていられない。
最後の力を振り絞り、瑞雪は指輪を人差し指から引き抜こうとする。しかし。
(はずれ、ない……?)
指輪を外す力も残っていないのか、それとも本当に外れないのか判断しかねる。なにせ國雪の与えた指輪なのだから。
しくじった。もっと注意深く確認しておくべきだった。
まともな猟犬が……否、まともではない。使い捨て以外の猟犬が来たのが初めてだったのもあるが、失念していた。
「ちょ、瑞雪!?」
遠くから焦った叫び声が聞こえる。ずるずると地面に蹲る。意識を保っていられず、瞼が落ちそうになる。
こんな無様なことがあるか?戦ってすらおらず、自らの猟犬に好き勝手血を吸われて暴れられてこのざまだ。
地面に倒れながら最後にみたのは、上空の蜂が一刀両断さればらばらになる光景だった。
その際に見えたトツカの愉し気な表情を、瑞雪は暫く苦い記憶として忘れられそうになかった。
「瑞雪さん、しっかりしてください!」
合流したと思ったら、瑞雪がその場で倒れた。慌てて駆け寄る俺たち。夏輝が抱き上げるが、ぐったりして動かない。瞼はキツく閉じられている。
怪我か何かかと思いきや、特に外傷はない。代わりに顔色が真っ青だった。唇なんて土気色だ。一体何があったのか。
『ぎゅぃ!ぎゅうい!』
『え、ええ!?』
カマイタチがスマホの画面をドンドンとたたきながら身振り手振りを交えトロンに説明する。トロンはカマイタチの言葉がわかるのか、驚いた様子を見せた。
『多分貧血だって……。首輪の設定か、指輪の設定か知らないけれど猟犬側が自由に瑞雪から血を吸い取れるみたいで……。トツカってば加減がわからずにものすごい量吸い上げちゃったみたい。それで急激な失血に気絶しちゃったのね。見たところ死ぬほどではないからしばらく休めば大丈夫だとは思うけれど』
貧血と診断されほっと胸を撫でおろす。
「夏輝、指輪外せよ。さらに血を取られたら瑞雪ヤバいだろ!」
「う、うん!」
俺の言葉に夏輝が頷き、瑞雪の指輪に手をかける。しかし。
「あれ?あれっ!?抜けないんだけど!外れない!」
焦ったような夏輝の声に俺もかがみこみ、指輪の様子を見る。
「指輪のサイズが小さめとかそういうのじゃないな……」
ぐいぐい引っ張っても夏輝の言う通り抜ける気配はない。サイズが間違っているわけでもない。むしろ瑞雪の指は男にしては細めだ。
「うん。なんでなんだろ、俺の指輪は別にそんなこと一切ないんだけど……。何ならちゃんとお風呂とか、寝る前は取ってるし。錆びたらイヤだもん」
注意深く指輪を観察する。夏輝のものを借りて違う部分があるかを確認するしかない。
「ん?」
「どしたの?ラテア」
「ここ見てみろ。夏輝の指輪と違う部分がある」
見ているうちに、夏輝の指輪とは異なる文様が彫られていることに気づいた。
「うーん……俺の知ってるドワーフ文字とちょっと違うから完全にはわからないけど呪縛、とかそっち系が書かれてる気がする。指輪がそもそも外れないようになってるみたいだな。あの爺さん、瑞雪のことそんなに嫌いなのか?孫なんだろ?」
訳が分からない。トツカに血を吸い殺させるつもりか?
そんな回りくどい真似しなくても瑞雪一人じゃ絶対に勝てない任務でもなんでも与えれば勝手に死ぬだろうに。
しかし、俺の問いに答えられる人間はこの場にはいなかった。きっと狸爺は事情を知っているのだろう。まあ、聞いたところではぐらかされるのがオチだろうが。
「これ、ラテアなら外せる?」
「無理。ドワーフならできるだろうけど。まあ……外せない以外にお前の指輪と違いは多分ないと思うから嫌がらせみたいなもんだと思う。……トツカがちゃんと加減を覚えれば問題ないはずだけど……」
俺自身、親父に多少習ったくらいだから自信はない。でもこの場の誰よりも詳しいことは確かだし、俺が判断するしかなかった。
噂をすればなんとやら。そんなところで背後から靴音がし、そちらをむけばトツカがいた。
「魔物の討伐を完了した」
分かれる前までと少し雰囲気が違う。なんていうか、肌がつやつや、イキイキしてる感じ?
「もっと強い相手と戦いたいものだ。あまりにも脆すぎた。瑞雪、討伐完了した。別に隠れる必要などなかっただろう。俺に任せておけばそれで……ん?」
そこで初めて目を閉じてぐったりとしている瑞雪に気づいたのだろう。少しだけ目を見開く。
「寝ているのか?暇すぎたか?」
わざと嫌がらせで言っているのかと一瞬思ったが、あいつの顔を見てそれは違うのだとなんとなく感じた。
だって瑞雪を見下ろすトツカの目には欲望の炎がぎらぎらと燃え上がっていた。それだけではなく、不満そうにも見える。物足りないとか、そっち?
そこに悪意はない。悪意だけはない、の間違いかもしれないが。
「えっと、トツカ。君、瑞雪さんの血を使いすぎたんじゃないかな……瑞雪さん、貧血だって。しばらく休めば大丈夫だとは思うけど」
やんわりと夏輝がトツカに向けて注意する。
なんとも歯切れの悪い言い方だ。俺も夏輝もトツカをどうしていいか持て余しているのだ。というか。
(何で股間……えぇ?勃起してんだけどこいつ)
うっかり見てしまった。まずいものを見てしまった。しかもやたらとデカい。固い生地のズボンでもはっきりとわかるくらいだから相当だ。
トツカの表情は明らかに興奮を抑えきれていないのが見て取れる。
……決して倒れている瑞雪を見て興奮したとかそっちじゃないだろう、うん。もしかすると戦うのが楽しくて楽しくて仕方がないタイプのヤツかもしれない。
「ええと、とにかく瑞雪を運ばないか?ここじゃなくてちゃんとした場所で休ませたほうがいいと思うんだが」
とりあえず夏輝に見せるのは何となく気がひけた。瑞雪には悪いが場所を変えるための理由にさせてもらう。
……しかし、ここで一つ問題が浮かび上がる。
「そういえば、瑞雪の家って誰か知ってる?」
俺たちは互いに顔を見合わせ、首を横に振った。
夏輝達と分かれ、瑞雪はトツカを伴い魔物の近くまでやってきていた。西日に目を焼かれつつ空を見れば、巨大な蜂がここまでブンブンと聞こえる程度には爆音の羽音を響かせながら飛び回っていた。
結界のせいで出ることもできないのだろう。結界は人払いの効果もあるが、弱い魔物相手ならば閉じ込めるといった効果も持つ。
最も、先日の竜のような存在相手には無意味だが。
「お前もこっちにこい、そんな見える位置に堂々と突っ立ってるんじゃねえ」
ビルの影に身を潜めていた瑞雪が思わず渋い表情のまま苦言を呈す。なにせ、トツカは瑞雪に倣って隠れるのではなく道路のど真ん中に堂々と立っていたのだから。
「む?別に正面からでも問題ないが」
刀を抜き、やる気満々……なのはいい。しかし。
「優秀な猟犬を自負してるなら俺の命令を聞け。羊飼いの命令は絶対だと習わなかったのか?」
「相手は空を飛んでいる。刀の届かない高いところに逃げられる前にさっさと討伐することを勧める」
「俺なら撃ち落とせる。というか質問に答えろ、お前俺の命令を聞く気はないのか?」
ああ言えばこう言う。トツカは理解ができないのかひたすら首をかしげている。
瑞雪も瑞雪で、この人の話を聞いているんだか聞いていないんだかという様子の猟犬に対してどんどんとイライラが募っていく。
「チッ」
そもそも瑞雪は短気である。思わず舌打ちが漏れる。どれだけ夏輝とラテアが素直で扱いやすい後輩たちであるかを今ひしひしと感じていた。
「命令なら聞いている。倒すことだ」
トツカの血のような深紅の瞳がギラりと輝く。表情筋はほぼ動かないものの、その眼は雄弁に『戦いたい』と語っていた。
わかっていても、こいつが瑞雪の言うことを聞かないのが気に入らない。別に猟犬が羊飼いの命令をすべて聞けとは思っちゃいない。
では何が気に入らないか?トツカが従っているのは瑞雪にではなく、組織に、ひいては國雪にだからだ。そんなに組織の猟犬でいたいなら瑞雪の下になんて来なければよかったのに。
まあ、國雪に命令された以上瑞雪がどのような羊飼いであっても彼は瑞雪の猟犬になろうとしていただろうけれど。
そして瑞雪にも拒否権はない。
「瑞雪、お前は見ているだけで構わない。すぐに終わらせよう」
で、目の前の猟犬は瑞雪の命令を無視しそのまま空を飛ぶ蜂の下へと走り出す。
筋肉だるまというわけではないが、全身を覆うしなやかな筋肉は野生の肉食獣を連想させる。速さと力強さを両立した美しさがある。
しかし、そんなことは瑞雪にとってはどうでもいい。
「おいっ!」
慌てて瑞雪が声を上げてもあいつは聞きやしない。息が全くと言っていいほど会わない。そもそもトツカが合わせようという気が少しだってないのだ。
追いかけながら瑞雪は思考を巡らせる。あいつの持つマナだけで戦うつもりか?基本的に猟犬がイオを扱うのは契約した羊飼いの許可がなければ無理だ。
血を送るも送らないも瑞雪の匙加減一つにかかっている。……少なくとも瑞雪はそう思っていた。
「っぐ、ぅ!?」
チクリとした痛みが指に走り、続いて急激に血液を吸い上げられる感覚。普段は殆ど感じないはずの、慣れない感覚。
(はぁ!?何であいつは俺の血を吸い上げてんだ!?)
目を白黒させ、慌てつつトツカへと目を向ける。
見ればあいつは全身に身体強化魔法を纏っている。ヒトとは思えないほどの猛スピードで蜂に向かって突進。当然真正面からこんな派手に走りこめば蜂だって気づく。
「っおい、カマイタチ!どうなってんだ、あいつの首輪!何で血を許可なく勝手に吸い上げてやがる!?」
弓を握りしめながら瑞雪は小さく呻く。
『ぎゅぃ、ぎゅぃいいぃ……!』
カマイタチもまた想定外の事態なのだろう。慌てて調べているようだが、人語を話せないため何を言っているのかさっぱりだ。
スマホの画面をいちいち見ている余裕も当然ない。
気づいた蜂が針をマシンガンのようにトツカへ向けて飛ばす。遠目から見ているからいまいち大きさはわからないが、真下に迫るトツカとの大きさで比べるに全長五メートルはあるだろうか。
そんな蜂の針のサイズであれば人間を貫いて殺すくらい容易に決まっている。それが何百本、何千本と発射されるのだ。殺傷力は折り紙付きだ。
しかし、トツカは全く動じない。刀を地面へと突き刺し何かを詠唱する。それと同時に再び瑞雪の血がすさまじいスピードで吸い上げられていく。
指輪を取ってしまえば吸い取られることはなくなるだろうが、今度は絶賛交戦中のトツカへのイオの供給が断たれる。マナのみでも魔法は使えるし、あいつ自身強いとは豪語していたが今それをするのはリスキーすぎた。
「くそが……っ!とんだ厄介者を押し付けやがって!」
悪態をつくくらいは許されるはず。一つ悪態をつく間にも血はどんどんと吸われていく。
トツカの周囲の地面が隆起し、分厚い壁となる。ズガガガガ、とすさまじい音を立てながら壁が針を受け止めていく。表面が抉れ、穴だらけになるが受け止めきった。
針の攻撃がやむのと同時にトツカの足元の地面がさらに隆起。足場となりトツカを押し上げる。刀を構え、蜂に向かって一直線に飛んでいく。
蜂が迎え撃つようにトツカに向かって突進。途中でトツカが足場にしていた隆起した地面をばらばらに分解し、弾けさせる。蜂に向かって瓦礫が殺到。蜂の動きが一瞬だけ鈍る。
同時にどろりと瑞雪の視界が溶ける。後頭部がずきずきと痛んだ。
「っかひゅ、ぐ……ふざ、けんな……」
足元がフラつくが、かろうじて踏ん張る。先ほどまでは何ともなかったはずなのに、急激に体調が悪くなる。
(明らかに貧血の症状なんだが……!)
心臓がバクバクと音を立てて軋む。さっきから眩暈が酷くて武器を持っていられない。握っていることができず、瑞雪は弓を地面へと落とす。
動きが鈍った一瞬の隙だけでトツカにとっては十分だったようだ。刀を構え、身体強化魔法をさらに重ね掛けする。こんなに血を潤沢に使う必要などあるか?あってたまるか!
悪態をつこうにもトツカには届かない。上位の魔法であればあるほど必要なイオ、マナは増える。
マナやイオにも質が存在する。高ければ高いほど同じ量使えば効果は増す。あるいは少ない量で発動可能になる。それは血液も同じだ。
瑞雪の血は少なくとも質としては平均以上はあるはず。詳しく調べたことはないが、マナタブレットという限られた制限で魔法が普通に使えているのだからスッカスカってわけではないだろう。
何が言いたいかというと、つまりここまで血液を莫大な量吸い上げて使わなくても十二分に戦えるはず、ということである。
ブレる視界でトツカを見上げる。遠目から見てもわかる。トツカは笑っていた。
心の底から楽しそうに、愉快そうに。その視界に瑞雪は映ってはいない。トツカにとっての瑞雪は間違いなくイオを、魔法を気持ちよく使うためだけに存在する血袋だった。
理解する。あいつは戦闘狂だ。
(どこが優秀な猟犬だ、ふざけんな!敵をぶった切ればいいってもんじゃねえんだぞ……!)
意識が朦朧とする。トツカの刀が煌めき、超濃度のイオを纏う。それと同時に瑞雪にとどめを刺さんばかりに血が一気に吸い上げられた。
これ以上は無理だ、失血死しかねない。もう意識も保っていられない。
最後の力を振り絞り、瑞雪は指輪を人差し指から引き抜こうとする。しかし。
(はずれ、ない……?)
指輪を外す力も残っていないのか、それとも本当に外れないのか判断しかねる。なにせ國雪の与えた指輪なのだから。
しくじった。もっと注意深く確認しておくべきだった。
まともな猟犬が……否、まともではない。使い捨て以外の猟犬が来たのが初めてだったのもあるが、失念していた。
「ちょ、瑞雪!?」
遠くから焦った叫び声が聞こえる。ずるずると地面に蹲る。意識を保っていられず、瞼が落ちそうになる。
こんな無様なことがあるか?戦ってすらおらず、自らの猟犬に好き勝手血を吸われて暴れられてこのざまだ。
地面に倒れながら最後にみたのは、上空の蜂が一刀両断さればらばらになる光景だった。
その際に見えたトツカの愉し気な表情を、瑞雪は暫く苦い記憶として忘れられそうになかった。
「瑞雪さん、しっかりしてください!」
合流したと思ったら、瑞雪がその場で倒れた。慌てて駆け寄る俺たち。夏輝が抱き上げるが、ぐったりして動かない。瞼はキツく閉じられている。
怪我か何かかと思いきや、特に外傷はない。代わりに顔色が真っ青だった。唇なんて土気色だ。一体何があったのか。
『ぎゅぃ!ぎゅうい!』
『え、ええ!?』
カマイタチがスマホの画面をドンドンとたたきながら身振り手振りを交えトロンに説明する。トロンはカマイタチの言葉がわかるのか、驚いた様子を見せた。
『多分貧血だって……。首輪の設定か、指輪の設定か知らないけれど猟犬側が自由に瑞雪から血を吸い取れるみたいで……。トツカってば加減がわからずにものすごい量吸い上げちゃったみたい。それで急激な失血に気絶しちゃったのね。見たところ死ぬほどではないからしばらく休めば大丈夫だとは思うけれど』
貧血と診断されほっと胸を撫でおろす。
「夏輝、指輪外せよ。さらに血を取られたら瑞雪ヤバいだろ!」
「う、うん!」
俺の言葉に夏輝が頷き、瑞雪の指輪に手をかける。しかし。
「あれ?あれっ!?抜けないんだけど!外れない!」
焦ったような夏輝の声に俺もかがみこみ、指輪の様子を見る。
「指輪のサイズが小さめとかそういうのじゃないな……」
ぐいぐい引っ張っても夏輝の言う通り抜ける気配はない。サイズが間違っているわけでもない。むしろ瑞雪の指は男にしては細めだ。
「うん。なんでなんだろ、俺の指輪は別にそんなこと一切ないんだけど……。何ならちゃんとお風呂とか、寝る前は取ってるし。錆びたらイヤだもん」
注意深く指輪を観察する。夏輝のものを借りて違う部分があるかを確認するしかない。
「ん?」
「どしたの?ラテア」
「ここ見てみろ。夏輝の指輪と違う部分がある」
見ているうちに、夏輝の指輪とは異なる文様が彫られていることに気づいた。
「うーん……俺の知ってるドワーフ文字とちょっと違うから完全にはわからないけど呪縛、とかそっち系が書かれてる気がする。指輪がそもそも外れないようになってるみたいだな。あの爺さん、瑞雪のことそんなに嫌いなのか?孫なんだろ?」
訳が分からない。トツカに血を吸い殺させるつもりか?
そんな回りくどい真似しなくても瑞雪一人じゃ絶対に勝てない任務でもなんでも与えれば勝手に死ぬだろうに。
しかし、俺の問いに答えられる人間はこの場にはいなかった。きっと狸爺は事情を知っているのだろう。まあ、聞いたところではぐらかされるのがオチだろうが。
「これ、ラテアなら外せる?」
「無理。ドワーフならできるだろうけど。まあ……外せない以外にお前の指輪と違いは多分ないと思うから嫌がらせみたいなもんだと思う。……トツカがちゃんと加減を覚えれば問題ないはずだけど……」
俺自身、親父に多少習ったくらいだから自信はない。でもこの場の誰よりも詳しいことは確かだし、俺が判断するしかなかった。
噂をすればなんとやら。そんなところで背後から靴音がし、そちらをむけばトツカがいた。
「魔物の討伐を完了した」
分かれる前までと少し雰囲気が違う。なんていうか、肌がつやつや、イキイキしてる感じ?
「もっと強い相手と戦いたいものだ。あまりにも脆すぎた。瑞雪、討伐完了した。別に隠れる必要などなかっただろう。俺に任せておけばそれで……ん?」
そこで初めて目を閉じてぐったりとしている瑞雪に気づいたのだろう。少しだけ目を見開く。
「寝ているのか?暇すぎたか?」
わざと嫌がらせで言っているのかと一瞬思ったが、あいつの顔を見てそれは違うのだとなんとなく感じた。
だって瑞雪を見下ろすトツカの目には欲望の炎がぎらぎらと燃え上がっていた。それだけではなく、不満そうにも見える。物足りないとか、そっち?
そこに悪意はない。悪意だけはない、の間違いかもしれないが。
「えっと、トツカ。君、瑞雪さんの血を使いすぎたんじゃないかな……瑞雪さん、貧血だって。しばらく休めば大丈夫だとは思うけど」
やんわりと夏輝がトツカに向けて注意する。
なんとも歯切れの悪い言い方だ。俺も夏輝もトツカをどうしていいか持て余しているのだ。というか。
(何で股間……えぇ?勃起してんだけどこいつ)
うっかり見てしまった。まずいものを見てしまった。しかもやたらとデカい。固い生地のズボンでもはっきりとわかるくらいだから相当だ。
トツカの表情は明らかに興奮を抑えきれていないのが見て取れる。
……決して倒れている瑞雪を見て興奮したとかそっちじゃないだろう、うん。もしかすると戦うのが楽しくて楽しくて仕方がないタイプのヤツかもしれない。
「ええと、とにかく瑞雪を運ばないか?ここじゃなくてちゃんとした場所で休ませたほうがいいと思うんだが」
とりあえず夏輝に見せるのは何となく気がひけた。瑞雪には悪いが場所を変えるための理由にさせてもらう。
……しかし、ここで一つ問題が浮かび上がる。
「そういえば、瑞雪の家って誰か知ってる?」
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