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EP1 狐と新緑3 灰色の嘆き
化け物の正体
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『反応を捕捉したわ……!近いわよ、慎重にね』
息を潜める。耳と尾を解放し五感を研ぎ澄ます。身体強化としての五感強化の魔法は使えないが、獣人は元々優秀だ。
周辺一帯地域は瑞雪がすでに結界を展開済みだ。昼間の歓楽街付近ということもあり人通りは少ないし、結界によって一般人は入ってこられないだろう。
「ラテアって目が本物の動物みたいだよね」
「エデン人はそもそも人と皆種族によって瞳孔の形が違うからな。髪以外にもな。っていうかそんなこという暇あったら警戒しろよ間抜け」
ただでさえ人間で脆いのに。夏輝は俺に言われて慌ててシャキっとした顔になる。
それを横目でちらりと見て盛大にため息をつく瑞雪。
「実際俺でも感じ取れるくらいには強いマナが漂ってる」
夏輝は短剣を、瑞雪は弓をそれぞれ構える。
びゅぅとまだまだ冷たい風が吹いてきてぶるりと毛が逆立つ。
全体的に薄汚れた世界で、瑞雪が黒系の服なのもあり夏輝の白いセーターが異様にくっきりと目立って見えた。
「罠でも張って追い込み猟が出来れば一番なんだがな」
いつ襲われるかわかったもんじゃない今、それは現実的ではない。わかっているからこそ瑞雪は首をゆるく横に振る。その時だった。
全身の毛という毛がぶわりと逆立つ。
「来るっ!」
『来るわよ!』
俺とトロンが叫んだのはほぼ同時だった。
「縺励?縺医∴縺医∴縺医∴縺茨シ√f繧九&縺ェ縺??√f繧九&縺ェ縺??√%繧阪☆?」
それと同じくして頭上から悍ましい淀んだ雄たけびと共に黒い靄を纏った人型のナニカが飛び込んでくる。
俺は夏輝の背中を思いっきり蹴りつつ自らも転がりながら距離を取る。
瑞雪は流石と言うべきか忌々し気な顔はしていたものの即座に後方へと飛びのいた。
「豁サ縺ュ?」
靄は夏輝に狙いを定めたのか大きく腕を振りかぶり凄まじいスピードで薙いで来る。受け止められるわけもない俺達は今度は互いに分かれ、散会する。
「広い場所に出るぞっ!」
瑞雪の怒号。俺たちはひとまとまりにならないようにバラバラに動く。距離を取って改めて気づく。あいつは夏輝を狙っている!
この間出会った時とは異なる明確な殺意。全身がピリピリと痺れ、毛が産毛まで全て逆立つ。
走った先は広い2車線の道路。タンカーも走れる公道だ。
「夏輝、狙われてるぞ!」
「う、うんっ!なんでおれ、がっ!」
靄が腕をぶんっと地面に叩きつければ硬いはずのコンクリートの地面が柔らかい土みたいにへこみやがった。
おまけに速度もとてつもなく速く、掠っただけで手酷いダメージを受けるのが目に見えていた。
「未踏の地平に、踏み出す勇気を、我が脚に宿せっ(アンエクスプロア・エムバル・マニエーテ)……!」
靄が夏輝の首を掠める直前、大きく叫び魔法が展開される。脚力強化の魔法。夏輝が会得した身体強化魔法の一つだ。
文字通り脚力を増強させ、人ならざる動きを可能にする。
夏輝が瞬時に前かがみになり見事に腕を避けて見せた。そのまま短剣を取り出し振りかざす。しかし相手はそれ以上の速度で反応。
夏輝に再び襲い掛かろうと咆哮しながら反転する。
「っぐぅ……!」
咄嗟に致命傷を避けようと夏輝は腕を顔の前にやりうける態勢をとる。そんなことをしても死ぬ!そう思い吹き飛ばそうとする。
しかし、そんな俺をよそに夏輝の前に冷気とイオが集まる。
「万象押しとどめる氷の盾ッ(オラルド・ホーデン・グラキエル)」
声のしたほうを横目で見れば瑞雪が弓を構えつつ魔法を詠唱していた。
夏輝の前に現れたのは堅牢なる氷の盾。
靄の腕がめり込み、ぴき、ぴき、とゆっくりひびが入っていく。
「あほ面下げて棒立ちするなっ!さっさと距離を取れ!」
瑞雪の怒号が響き、俺は夏輝を蹴飛ばし自らもさっさと靄の攻撃範囲から離脱する。
夏輝はつんのめりながらも持ち前の運動神経のよさで受け身をとりつつさっさと起き上がった。
「……っち、なんであいつは夏輝を狙っている!?」
「わからない、心当たりなんてないですよ!この間だって一緒に襲われたけど特筆して俺が狙われてるなんてことなかった、しっ!」
瑞雪がぼやき、夏輝が叫ぶ。
夏輝はトロンのサポートの元、腕力強化の魔法も発動させつつ間一髪靄の攻撃を避け続けていた。
しかし、今までの雑魚とは違いとにかく避けることで手いっぱいのようだった。
夏輝が狙われている今、絶好のチャンスでもある。
「血を寄越せ、夏輝!」
俺の言葉に夏輝はハっとした顔になる。次の瞬間ぶわりと血が滾る。首輪を通して血が流れ込み、俺の保有するマナと混ぜ合わせていく。
一人では決して味わうことのない高揚感。瞳孔がキュっと締まり、くるると喉が鳴る。力が溢れるのを感じるが、それでも間違いなく目の前の靄には届かない。
それでもやらなければやられる。俺は魔法を詠唱し、炎を思い切り靄に向かってぶち込んだ。
「驍ェ鬲斐↑?」
背中と思しき部分に着弾。靄は耳をつんざくような咆哮と共に今度はこちらに突っ込んで来ようとする。
即座に俺は走り出すが、俺を追うように靄が手足を使い獣のように這ってくる。
「迸る 小さな 太陽(スクアルズ ミルド イグニス)!」
逃げながら距離を何とか取ろうとしつつ同時に魔法も詠唱する。掌にじんわりと温かな熱が集う。
それらは増幅し、暴力的なまでの炎へと育っていく。強い魔法は使えないが、小手先の技だけはそれなりに使えるんだ。
利き手を後ろに向け、いくつも生み出した炎をぶつける。走りながらとはいえ、イオを用いた俺にとっては強力な破壊力を持った魔法のはずだった。
「どてっぱらにぶちこんでるはずなのに……ぜんっぜん効いてねえ!」
吐き捨てるように叫ぶ。
別に魔法は外れちゃいない。むしろ相手が避けることなく真正面から受け止めているにも関わらず、効いたように見えないのだ。
「ラテアに触るなっ!」
飛んで跳ねて避けて。何とか攻撃を食らわずにやり過ごす中、夏輝が短剣を構え突進してくる。
「とにかく攻撃を食らうな!ラテア、お前は狙われなくなったらひたすら炎をぶつけ続けろ!俺も攻撃を……」
瑞雪の指示が飛ぶ。瑞雪は弓を構え、タブレットを口に含みかみ砕く。
俺達と異なり、猟犬を持たない瑞雪は今、自由にイオを使うことが難しい。
あのタブレットはマナを摂取するためのものらしいが、微々たるものだ。猟犬はおらず、杖もまともなものじゃない。けれど、あいつはその状況に慣れているんだろう。
「っが、ぐっ!」
右から左へ一閃。靄の背中に短剣を突き立てようとした刹那、ぐるりと靄が方向転換する。腕が夏輝の腹にぶちあたり、思い切りコンクリートのビルの壁に叩きつけられた。
肺から空気が漏れ、ぎしぎしと骨が軋む。かろうじて受け身はとっているものの、すぐには起き上がることが出来ない。
「チッ!」
爪を出し、俺は靄の背中から夏輝から引きはがそうと飛び掛かるのと同時に瑞雪が攻撃魔法を取りやめ、別の魔法の詠唱を始める。
タブレットを犬歯でかみ砕き、つがえかけた矢が靄に向かって放たれることなく終わる。
「ラテア、夏輝を連れて距離を取れっ!縫い留めて離すな氷の茨(シエニ ベンド グラキエラ)……!」
代わりに無駄に長い足を力強くコンクリートの地面へと叩きつける。
足先に強烈な冷気とイオが収束する。靴先が触れた場所から霜が降り、地面を這うように美しい氷の茨が靄を拘束するように伸びていく。
周辺一帯の温度を下げつつ、靄の四肢を拘束する。鋭い茨が食い込み、動きが止まる。
「立てるか?」
「っげほ、がほ……ラテアごめん」
夏輝の元に駆け寄り、腕を掴んで無理やり立たせる。
口の中が切れたのだろう。血の混ざった唾を吐きながら、それでも夏輝は闘志を失ってはいないようだった。
「縺。繧?%縺悶>縺ェ?∝。オ闃・螯ゅ″縺碁が鬲斐☆繧九↑?」
ぶちぶちぶちっ!ホッとしたのもつかの間嫌な音が靄のいる方からしてくる。
「もたねえか……っ!馬鹿力かバカマナか、どちらにせよ厄介この上ないな」
氷の茨がボロボロになって崩壊し、いともたやすく引きちぎられ瑞雪が舌打ちする。
しかし、悪いことばかりではない。
「ち、血が出てる……!血が出てるよ!ちゃんと靄の中には人がいるんだ!」
叫ぶ夏輝に俺と瑞雪が頷く。
そう、茨が食い込んだ場所は確かに出血し、くすんだ鉄筋コンクリートの地面にぱたぱたと滴り落ちていた。
「今度はこっちか……順当だ、なっ!」
茨が厄介と見たのか、残りの茨を踏みしめながら竜は瑞雪へと四つん這いになりながら腕を伸ばし走り出す。
瑞雪が使える身体強化魔法は弓を素早く強く引くための腕力強化のみだ。
それでも踏んだ場数が違うのだろう。靄の突進を予測し、触れるか触れないかギリギリのところで回避する。
しかし、靄は執拗に瑞雪を追い続ける。身体能力が並の地球人より少しマシ程度でしかない瑞雪が捕まるのは時間の問題だ。
「夏輝、瑞雪からターゲットを引きはがさないと俺達勝てない!」
「うんっ!」
俺の怒号に夏輝は短剣を構えなおし、強く握りこむ。淡く腕と脚部が輝き、イオが収束する。
腕力・脚力強化の魔法を使用し夏輝は再び靄へと向けて突進した。俺もそれに続く。
交戦して理解した。俺や夏輝程度の攻撃魔法では、こいつに碌なダメージを与えることはできない。
瑞雪が攻撃を行えなければじり貧になって詰む。
しかし、目の前のこいつは狂っていると思いきや一番の脅威である瑞雪を的確に狙おうとしていた。本能的な脅威を察知したのかもしれない。
「驍ェ鬲斐□??が鬲斐□驍ェ鬲斐□驍ェ鬲斐□?」
弓を構え引く腕が邪魔だと判断したのだろう。靄は瑞雪の腕に向かって手を伸ばした。
どろりとした高濃度のマナの靄が瑞雪に伸びる。
「っぐぅ”……っ!」
俺と夏輝がたどり着く前に靄の凶刃が届くのが先だった。
しかし、瑞雪は腕をやられては弓を引けなくなると考え、咄嗟に腕を引き上半身を捩る。
結果、靄の腕は瑞雪の脇腹へと吸い込まれた!
「み、瑞雪さんっ!」
「致命傷じゃねえ、気にするなっ!」
やや狼狽えた夏輝の声に瑞雪の怒号が返される。
瑞雪の脇腹を靄の手が貫通はしているが、重要な臓器を傷つける位置ではない。
……最も、着ていたコートや上衣ごと腕が貫通しており、抉れた赤色の肉がどう見ても痛々しかったが。
しかし、ここから腕を心臓方面へ動かされれば瑞雪は死ぬ。そうなる前になんとかしなきゃならない。
「夏輝、とにかくあの靄を殴るんだよっ!瑞雪から引きはがさないと今度こそ致命傷になるだろ!」
爪を伸ばし、マナを纏わせ大きく両腕を振り上げクロスさせるように振り下ろす。それに続き夏輝もナイフを突き刺そうと腕を前に超速度で突き出した。
靄は超反応!しかし、瑞雪への意識は確実に逸れた!一瞬の隙をつき、コンクリートに血をまき散らし、転がりながら瑞雪は靄から距離を取る。
俺の爪が靄の中へと吸い込まれ、しかし人肌に傷をつけた感触がする。といっても、薄皮、皮膚一枚で止まってしまう。自らの力のなさにそっと唇を噛みしめる。
一方の夏輝もまた俺に続く。白セーターがはためき、指輪に慎められた翡翠が強く輝く。
「瑞雪さんから離れろっ!」
ぶわりと一迅の突風が吹く。
『えっ!?ちょっ!?風のエンチャントの魔法!?夏輝一度も使ったことなかったし、詠唱もなしで!?』
夏輝のポケットからトロンの叫び声がする。一体どういうことだ?詠唱もなしにこいつは魔法を使いやがったのか!?
瑞雪も俺も一瞬目を見開きぽかんと夏輝を見て、すぐに我に返る。
「うおおおおっ!」
強化された脚力で瑞雪と靄の間に割り込む。青臭い叫び声をあげながら、夏輝は烈風を纏った刃を正面から靄に向かって突き出した!
強烈な旋風が靄を吹き飛ばしていく。
靄の中から現れたのは一人の女だった。
「繧医¥繧ゅd縺」縺ヲ縺上l縺溘↑?∫區陦」?∽ココ髢難シ∝慍逅?ココ?∫ァ√°繧牙?縺ヲ繧貞・ェ縺」縺溘Ζ繝?シ」
長いぼさぼさとした黒髪。髪の内側は灰色の毛髪も混ざっている。そして頭部から伸びる角と尾てい骨から伸びる尾。そしてぼろぼろの飛べそうにもないような翼。
紛れもなくその風貌はエデン人で、そしてこの場に存在してはならない、本来はエデンでも上位の種族だった。
なにより彼女の纏う服に俺は見覚えがあった。
薄緑色の貫頭衣。厳密には俺のいた研究所のものとは異なるようだったが、その類の服であることは明白だった。
『「「竜!?」」』
俺と瑞雪、そしてトロンの声が重なる。
そう、竜。俺のような獣人とは比べるべくもない、エデンの中でも有数の強力な種族!
自由に空を舞い、魔法に長け、強靭な肉体を持つ、敵意が向いたら死ぬしかないような災害ともいうべき存在だった。
何故ここに?そんな風に悠長に考えている暇は今はない。
「豁サ縺ュ?∵サ??繧搾シ∵カ医∴螟ア縺帙m?」
竜が咆哮する。真正面から突き出された刃を烈風ごと片手で握りしめ、受け止めていた。
手からはだらだらと血が零れていたが、指や掌が切断されるほど深くはない。
「や、ばっ……!?」
つまり、もう片手は空いているということ。伸び放題のひび割れた爪が夏輝の腕をぐわりと掴む。
「っが、ぐぁ……!やめ、ろっ!」
みしみしどころかバキバキと嫌な音が夏輝の利き腕から走り、彼の顔が苦痛に歪む。手に力が入らないのだろう、握っていたはずの短剣が地面へと落ちからんと無機質な音を立てた。
このままではまずい。瑞雪は脇腹を抑えながら弓を捨て、矢を握り締める。
俺は竜から夏輝を庇うべく思い切り竜女の細腕を掴んだ。瞬間だった。
「っ……!?」
全身がぞわりと粟立つ。竜女を掴んだ瞬間、何かが頭の中に入り込んでくる。
視界が明滅し、暗転する。
一体何が。同時に薄れゆく意識、視界の中竜が夏輝の腕を離し、後ろによろめくのが見えた。
最後に確認できたのは、俺の方を見て目を見開き手を伸ばす夏輝の姿。
(ああ、俺より自分の心配しろっての……おまえ、てが、おれて)
泥に沈むように、そのまま俺は意識を失った。
息を潜める。耳と尾を解放し五感を研ぎ澄ます。身体強化としての五感強化の魔法は使えないが、獣人は元々優秀だ。
周辺一帯地域は瑞雪がすでに結界を展開済みだ。昼間の歓楽街付近ということもあり人通りは少ないし、結界によって一般人は入ってこられないだろう。
「ラテアって目が本物の動物みたいだよね」
「エデン人はそもそも人と皆種族によって瞳孔の形が違うからな。髪以外にもな。っていうかそんなこという暇あったら警戒しろよ間抜け」
ただでさえ人間で脆いのに。夏輝は俺に言われて慌ててシャキっとした顔になる。
それを横目でちらりと見て盛大にため息をつく瑞雪。
「実際俺でも感じ取れるくらいには強いマナが漂ってる」
夏輝は短剣を、瑞雪は弓をそれぞれ構える。
びゅぅとまだまだ冷たい風が吹いてきてぶるりと毛が逆立つ。
全体的に薄汚れた世界で、瑞雪が黒系の服なのもあり夏輝の白いセーターが異様にくっきりと目立って見えた。
「罠でも張って追い込み猟が出来れば一番なんだがな」
いつ襲われるかわかったもんじゃない今、それは現実的ではない。わかっているからこそ瑞雪は首をゆるく横に振る。その時だった。
全身の毛という毛がぶわりと逆立つ。
「来るっ!」
『来るわよ!』
俺とトロンが叫んだのはほぼ同時だった。
「縺励?縺医∴縺医∴縺医∴縺茨シ√f繧九&縺ェ縺??√f繧九&縺ェ縺??√%繧阪☆?」
それと同じくして頭上から悍ましい淀んだ雄たけびと共に黒い靄を纏った人型のナニカが飛び込んでくる。
俺は夏輝の背中を思いっきり蹴りつつ自らも転がりながら距離を取る。
瑞雪は流石と言うべきか忌々し気な顔はしていたものの即座に後方へと飛びのいた。
「豁サ縺ュ?」
靄は夏輝に狙いを定めたのか大きく腕を振りかぶり凄まじいスピードで薙いで来る。受け止められるわけもない俺達は今度は互いに分かれ、散会する。
「広い場所に出るぞっ!」
瑞雪の怒号。俺たちはひとまとまりにならないようにバラバラに動く。距離を取って改めて気づく。あいつは夏輝を狙っている!
この間出会った時とは異なる明確な殺意。全身がピリピリと痺れ、毛が産毛まで全て逆立つ。
走った先は広い2車線の道路。タンカーも走れる公道だ。
「夏輝、狙われてるぞ!」
「う、うんっ!なんでおれ、がっ!」
靄が腕をぶんっと地面に叩きつければ硬いはずのコンクリートの地面が柔らかい土みたいにへこみやがった。
おまけに速度もとてつもなく速く、掠っただけで手酷いダメージを受けるのが目に見えていた。
「未踏の地平に、踏み出す勇気を、我が脚に宿せっ(アンエクスプロア・エムバル・マニエーテ)……!」
靄が夏輝の首を掠める直前、大きく叫び魔法が展開される。脚力強化の魔法。夏輝が会得した身体強化魔法の一つだ。
文字通り脚力を増強させ、人ならざる動きを可能にする。
夏輝が瞬時に前かがみになり見事に腕を避けて見せた。そのまま短剣を取り出し振りかざす。しかし相手はそれ以上の速度で反応。
夏輝に再び襲い掛かろうと咆哮しながら反転する。
「っぐぅ……!」
咄嗟に致命傷を避けようと夏輝は腕を顔の前にやりうける態勢をとる。そんなことをしても死ぬ!そう思い吹き飛ばそうとする。
しかし、そんな俺をよそに夏輝の前に冷気とイオが集まる。
「万象押しとどめる氷の盾ッ(オラルド・ホーデン・グラキエル)」
声のしたほうを横目で見れば瑞雪が弓を構えつつ魔法を詠唱していた。
夏輝の前に現れたのは堅牢なる氷の盾。
靄の腕がめり込み、ぴき、ぴき、とゆっくりひびが入っていく。
「あほ面下げて棒立ちするなっ!さっさと距離を取れ!」
瑞雪の怒号が響き、俺は夏輝を蹴飛ばし自らもさっさと靄の攻撃範囲から離脱する。
夏輝はつんのめりながらも持ち前の運動神経のよさで受け身をとりつつさっさと起き上がった。
「……っち、なんであいつは夏輝を狙っている!?」
「わからない、心当たりなんてないですよ!この間だって一緒に襲われたけど特筆して俺が狙われてるなんてことなかった、しっ!」
瑞雪がぼやき、夏輝が叫ぶ。
夏輝はトロンのサポートの元、腕力強化の魔法も発動させつつ間一髪靄の攻撃を避け続けていた。
しかし、今までの雑魚とは違いとにかく避けることで手いっぱいのようだった。
夏輝が狙われている今、絶好のチャンスでもある。
「血を寄越せ、夏輝!」
俺の言葉に夏輝はハっとした顔になる。次の瞬間ぶわりと血が滾る。首輪を通して血が流れ込み、俺の保有するマナと混ぜ合わせていく。
一人では決して味わうことのない高揚感。瞳孔がキュっと締まり、くるると喉が鳴る。力が溢れるのを感じるが、それでも間違いなく目の前の靄には届かない。
それでもやらなければやられる。俺は魔法を詠唱し、炎を思い切り靄に向かってぶち込んだ。
「驍ェ鬲斐↑?」
背中と思しき部分に着弾。靄は耳をつんざくような咆哮と共に今度はこちらに突っ込んで来ようとする。
即座に俺は走り出すが、俺を追うように靄が手足を使い獣のように這ってくる。
「迸る 小さな 太陽(スクアルズ ミルド イグニス)!」
逃げながら距離を何とか取ろうとしつつ同時に魔法も詠唱する。掌にじんわりと温かな熱が集う。
それらは増幅し、暴力的なまでの炎へと育っていく。強い魔法は使えないが、小手先の技だけはそれなりに使えるんだ。
利き手を後ろに向け、いくつも生み出した炎をぶつける。走りながらとはいえ、イオを用いた俺にとっては強力な破壊力を持った魔法のはずだった。
「どてっぱらにぶちこんでるはずなのに……ぜんっぜん効いてねえ!」
吐き捨てるように叫ぶ。
別に魔法は外れちゃいない。むしろ相手が避けることなく真正面から受け止めているにも関わらず、効いたように見えないのだ。
「ラテアに触るなっ!」
飛んで跳ねて避けて。何とか攻撃を食らわずにやり過ごす中、夏輝が短剣を構え突進してくる。
「とにかく攻撃を食らうな!ラテア、お前は狙われなくなったらひたすら炎をぶつけ続けろ!俺も攻撃を……」
瑞雪の指示が飛ぶ。瑞雪は弓を構え、タブレットを口に含みかみ砕く。
俺達と異なり、猟犬を持たない瑞雪は今、自由にイオを使うことが難しい。
あのタブレットはマナを摂取するためのものらしいが、微々たるものだ。猟犬はおらず、杖もまともなものじゃない。けれど、あいつはその状況に慣れているんだろう。
「っが、ぐっ!」
右から左へ一閃。靄の背中に短剣を突き立てようとした刹那、ぐるりと靄が方向転換する。腕が夏輝の腹にぶちあたり、思い切りコンクリートのビルの壁に叩きつけられた。
肺から空気が漏れ、ぎしぎしと骨が軋む。かろうじて受け身はとっているものの、すぐには起き上がることが出来ない。
「チッ!」
爪を出し、俺は靄の背中から夏輝から引きはがそうと飛び掛かるのと同時に瑞雪が攻撃魔法を取りやめ、別の魔法の詠唱を始める。
タブレットを犬歯でかみ砕き、つがえかけた矢が靄に向かって放たれることなく終わる。
「ラテア、夏輝を連れて距離を取れっ!縫い留めて離すな氷の茨(シエニ ベンド グラキエラ)……!」
代わりに無駄に長い足を力強くコンクリートの地面へと叩きつける。
足先に強烈な冷気とイオが収束する。靴先が触れた場所から霜が降り、地面を這うように美しい氷の茨が靄を拘束するように伸びていく。
周辺一帯の温度を下げつつ、靄の四肢を拘束する。鋭い茨が食い込み、動きが止まる。
「立てるか?」
「っげほ、がほ……ラテアごめん」
夏輝の元に駆け寄り、腕を掴んで無理やり立たせる。
口の中が切れたのだろう。血の混ざった唾を吐きながら、それでも夏輝は闘志を失ってはいないようだった。
「縺。繧?%縺悶>縺ェ?∝。オ闃・螯ゅ″縺碁が鬲斐☆繧九↑?」
ぶちぶちぶちっ!ホッとしたのもつかの間嫌な音が靄のいる方からしてくる。
「もたねえか……っ!馬鹿力かバカマナか、どちらにせよ厄介この上ないな」
氷の茨がボロボロになって崩壊し、いともたやすく引きちぎられ瑞雪が舌打ちする。
しかし、悪いことばかりではない。
「ち、血が出てる……!血が出てるよ!ちゃんと靄の中には人がいるんだ!」
叫ぶ夏輝に俺と瑞雪が頷く。
そう、茨が食い込んだ場所は確かに出血し、くすんだ鉄筋コンクリートの地面にぱたぱたと滴り落ちていた。
「今度はこっちか……順当だ、なっ!」
茨が厄介と見たのか、残りの茨を踏みしめながら竜は瑞雪へと四つん這いになりながら腕を伸ばし走り出す。
瑞雪が使える身体強化魔法は弓を素早く強く引くための腕力強化のみだ。
それでも踏んだ場数が違うのだろう。靄の突進を予測し、触れるか触れないかギリギリのところで回避する。
しかし、靄は執拗に瑞雪を追い続ける。身体能力が並の地球人より少しマシ程度でしかない瑞雪が捕まるのは時間の問題だ。
「夏輝、瑞雪からターゲットを引きはがさないと俺達勝てない!」
「うんっ!」
俺の怒号に夏輝は短剣を構えなおし、強く握りこむ。淡く腕と脚部が輝き、イオが収束する。
腕力・脚力強化の魔法を使用し夏輝は再び靄へと向けて突進した。俺もそれに続く。
交戦して理解した。俺や夏輝程度の攻撃魔法では、こいつに碌なダメージを与えることはできない。
瑞雪が攻撃を行えなければじり貧になって詰む。
しかし、目の前のこいつは狂っていると思いきや一番の脅威である瑞雪を的確に狙おうとしていた。本能的な脅威を察知したのかもしれない。
「驍ェ鬲斐□??が鬲斐□驍ェ鬲斐□驍ェ鬲斐□?」
弓を構え引く腕が邪魔だと判断したのだろう。靄は瑞雪の腕に向かって手を伸ばした。
どろりとした高濃度のマナの靄が瑞雪に伸びる。
「っぐぅ”……っ!」
俺と夏輝がたどり着く前に靄の凶刃が届くのが先だった。
しかし、瑞雪は腕をやられては弓を引けなくなると考え、咄嗟に腕を引き上半身を捩る。
結果、靄の腕は瑞雪の脇腹へと吸い込まれた!
「み、瑞雪さんっ!」
「致命傷じゃねえ、気にするなっ!」
やや狼狽えた夏輝の声に瑞雪の怒号が返される。
瑞雪の脇腹を靄の手が貫通はしているが、重要な臓器を傷つける位置ではない。
……最も、着ていたコートや上衣ごと腕が貫通しており、抉れた赤色の肉がどう見ても痛々しかったが。
しかし、ここから腕を心臓方面へ動かされれば瑞雪は死ぬ。そうなる前になんとかしなきゃならない。
「夏輝、とにかくあの靄を殴るんだよっ!瑞雪から引きはがさないと今度こそ致命傷になるだろ!」
爪を伸ばし、マナを纏わせ大きく両腕を振り上げクロスさせるように振り下ろす。それに続き夏輝もナイフを突き刺そうと腕を前に超速度で突き出した。
靄は超反応!しかし、瑞雪への意識は確実に逸れた!一瞬の隙をつき、コンクリートに血をまき散らし、転がりながら瑞雪は靄から距離を取る。
俺の爪が靄の中へと吸い込まれ、しかし人肌に傷をつけた感触がする。といっても、薄皮、皮膚一枚で止まってしまう。自らの力のなさにそっと唇を噛みしめる。
一方の夏輝もまた俺に続く。白セーターがはためき、指輪に慎められた翡翠が強く輝く。
「瑞雪さんから離れろっ!」
ぶわりと一迅の突風が吹く。
『えっ!?ちょっ!?風のエンチャントの魔法!?夏輝一度も使ったことなかったし、詠唱もなしで!?』
夏輝のポケットからトロンの叫び声がする。一体どういうことだ?詠唱もなしにこいつは魔法を使いやがったのか!?
瑞雪も俺も一瞬目を見開きぽかんと夏輝を見て、すぐに我に返る。
「うおおおおっ!」
強化された脚力で瑞雪と靄の間に割り込む。青臭い叫び声をあげながら、夏輝は烈風を纏った刃を正面から靄に向かって突き出した!
強烈な旋風が靄を吹き飛ばしていく。
靄の中から現れたのは一人の女だった。
「繧医¥繧ゅd縺」縺ヲ縺上l縺溘↑?∫區陦」?∽ココ髢難シ∝慍逅?ココ?∫ァ√°繧牙?縺ヲ繧貞・ェ縺」縺溘Ζ繝?シ」
長いぼさぼさとした黒髪。髪の内側は灰色の毛髪も混ざっている。そして頭部から伸びる角と尾てい骨から伸びる尾。そしてぼろぼろの飛べそうにもないような翼。
紛れもなくその風貌はエデン人で、そしてこの場に存在してはならない、本来はエデンでも上位の種族だった。
なにより彼女の纏う服に俺は見覚えがあった。
薄緑色の貫頭衣。厳密には俺のいた研究所のものとは異なるようだったが、その類の服であることは明白だった。
『「「竜!?」」』
俺と瑞雪、そしてトロンの声が重なる。
そう、竜。俺のような獣人とは比べるべくもない、エデンの中でも有数の強力な種族!
自由に空を舞い、魔法に長け、強靭な肉体を持つ、敵意が向いたら死ぬしかないような災害ともいうべき存在だった。
何故ここに?そんな風に悠長に考えている暇は今はない。
「豁サ縺ュ?∵サ??繧搾シ∵カ医∴螟ア縺帙m?」
竜が咆哮する。真正面から突き出された刃を烈風ごと片手で握りしめ、受け止めていた。
手からはだらだらと血が零れていたが、指や掌が切断されるほど深くはない。
「や、ばっ……!?」
つまり、もう片手は空いているということ。伸び放題のひび割れた爪が夏輝の腕をぐわりと掴む。
「っが、ぐぁ……!やめ、ろっ!」
みしみしどころかバキバキと嫌な音が夏輝の利き腕から走り、彼の顔が苦痛に歪む。手に力が入らないのだろう、握っていたはずの短剣が地面へと落ちからんと無機質な音を立てた。
このままではまずい。瑞雪は脇腹を抑えながら弓を捨て、矢を握り締める。
俺は竜から夏輝を庇うべく思い切り竜女の細腕を掴んだ。瞬間だった。
「っ……!?」
全身がぞわりと粟立つ。竜女を掴んだ瞬間、何かが頭の中に入り込んでくる。
視界が明滅し、暗転する。
一体何が。同時に薄れゆく意識、視界の中竜が夏輝の腕を離し、後ろによろめくのが見えた。
最後に確認できたのは、俺の方を見て目を見開き手を伸ばす夏輝の姿。
(ああ、俺より自分の心配しろっての……おまえ、てが、おれて)
泥に沈むように、そのまま俺は意識を失った。
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