神聖なる悪魔の子

らび

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13. ニンフの加護

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 素肌に触れる彼の冷たい手は、私の体温が移ったのか少しばかり温まっていた。暗闇に慣れた目は彼の輪郭だけでなく、表情まではっきりと写す。
「カイン、私ね、ずっと気になってたことがあるの。」
「何?」
「預言者の目が、どうしてあんなに覇気を感じられないのか…。視線の先が僅かにズレている」
「…そっか、知らないんだね」
私の言葉を聞くなり、そっと身を起こすカイン。窓からカーテン越しにぼんやりと光る月明かりが、そんな彼のシルエットを浮かび上がらせた。細身で、無駄のない、それでも屈強さをもつその姿は、油絵に描かれるギリシャ神話の、一糸纏わぬ天使のようで、美しい肌は月光に光っている。
「預言者の目は、偽物なんだよ。」
「えっ…」
「預言者は、生まれてからすぐにそれと分かるんだよ。すると、生後間もない赤ん坊から眼球を抉り出してガラス玉を埋め込むんだ。代わりを埋め込むのはみてくれの問題だよ。」
「なんでそんな酷いこと…」
「盲目にしないと、真実が見えないからだよ。預言者は、預言以外を見てはいけないんだ。」
「…だからブルード家の人なのに目が青かったのね?」
「まぁ、そういうことだ。」
「そんな…」
私が泣きそうな顔をしたのが見えたのか。カインは私に覆い被さるような体制を組んで私を真上から見下ろした。紅い瞳が僅かに発光して私を照らす。彼の喉仏がくつりと動くと、それを合図にふわりと距離が縮んだ。彼の鎖骨が目の前にあるかと思えば、骨っぽい手が私のウエストラインを撫でた。
「…かわい」
耳元で、彼がくすりと笑った。それはきっと、預言者を哀れむ私の気を反らそうとしているのだろう。完全に拗ねた子供扱いである。
 預言者のことは隅に置けないこととなってしまった。
「よく聞いて、リリノア。」
もそもそと動いたカインは体勢を変えて両腕で私の頭を抱えた。冬の空気に冷やされた彼の胸は冷たく、私の考えすぎた頭を冷やすかのように思えた。
「ある日突然、目が見えなくなればそれは不自由極まりない。でも、生まれてすぐに世界を見る前に視力をなくしたら、元から無かったとしたら、劣等感は感じても不便だとは感じないんじゃないのかな。」
「そんなの、一族のエゴじゃないの」
「そうだね。でも、預言者はいなくてはならない存在だから。仕方ないと言って一人の人間の人生を棒に振ってはいけないけれど、それは君自身も同じことをされたようなものだよね?」
私がハッとしたことに、彼は気づいただろうか。私の頭を過るのは湖の底で見た記憶。思い出しただけで吐き気がする。そうだ、私は人間以下の扱いと神並の扱いを同時にされてきた。それは最早モノとしての本質でしか私には価値がないということ。
「…君は今、幸せかい?」
「そうだね。貴方がいるから…」
「俺もそうだ。でもね、幸せに溺れるのは愚かだ。」

 不幸の隣に、幸せはある。光が無いと影が生まれないように、苦痛がなければ快楽はない、と。当然のことを残念そうに言う彼は、まるで人間ではないようで、秀麗で美しかった。

●●●
 先ほどふたりが消えていった扉が再び開くと、口にガーゼを詰められたカインと、呆れ果てたような様子で彼を見るアンの姿があった。
「カイン、どうしたの」
まぁ、なんとなく想像はつくけれど…。
「…盛大に切られて盛大に縫われた」
「この子ったら自分で舌噛んで大きな膿の塊作ってたのよ?だから切除してやったのよ、呆れちゃうでしょ?」
 カインは薄らとその紅い瞳に涙さえ浮かべているように見える。よろよろと歩いてきて再び私の隣に腰を下ろした彼の背中を、慰めるつもりで軽くさすってみた。
「カインって病院苦手なの?」
「病院っていうか姉さんが苦手だ…。あいつはトラウマしか植え付けないから、そのせいで結局病院も苦手になった」
「何か、意外ね。貴方が何かを怖がったり嫌がったりするなんて。」
「俺は意外とビビリなんだけどな」
カインは驚いたように私を見る。私も驚いたように見返していたので、大きく目を見開いた私の姿が彼の大きな瞳に映っていた。そして彼も、私の瞳に同じものを見たのだろう。数秒の間を置いて、思わず小さく笑ったのはほぼ同時だった。
「全くお前らは仲がいいな。どんな子が生まれるのか楽しみだ。」
 アンが扉にもたれ掛かりながら、腕を組んで言った。その表情はとても優しく、カインはトラウマの根源だと言ったが、私には弟思いの頼もしい姉のようにしか見えなかった。
「さて、話を戻そう。出産予定は半年後だ。この半年は絶対安静な。」
「えっ、何?絶対…ん?」
「絶対安静。どうしてかは分かるね?」
私がキョトンとしていると、カインが隣からそっと私の肩を引き寄せた。その横顔を見ると、真剣な様子でアンの方を見つめている。
「流産や早産を防ぐためだよ」
アンがカインの言葉に深く頷く。そうか、生まれるまでは仮にも赤ちゃんは私の一部だから、その運命を握るのは私なのね。
「分かった」
 私は生まれた恐怖を隠すように、カインにもたれかかった。

 ●●●
カインsaid

 姉さんに腕を引かれて嫌々隣の部屋に放り込まれた。ぐいと半ば投げ捨てられるように開放された俺は尻から床に転ぶ。
「いっ…たいなぁ」
「お前がおとなしくしないからだよ」
ガチャリ。
 アン姉さんは扉の鍵穴に、自身の首から下げた金色の鍵を差し込んで回した。…なんで内側なのに鍵穴なんだよ。
「さて、その台に上がってもらおうか」
そう言って彼女が指さした先には、椅子型の診察台がある。歯医者などでよく見るアレ…のようで、そうではないのだ。
「これ、まだあったんだな」
「当たり前だろ。お前用に作った診察台なんだから。」
そう。俺用。どこら辺が違うかというと、椅子の肘掛けや足台にはベルトのような紐がついている。それはアジャスターで調整できて、小さい子供からある程度の大人まで対応の代物だ。そしてこれが作られた理由は。
「お前は小さい時から病院嫌いですぐ逃げ出すから…。こうでもして縛るしかなかったのは誰のせいだ?」
「だからってなんで今の俺にまで使えるように手足の長さが調整できるようになってるんだよ!?」
「お前の病院嫌いは一生モノだと思ったからさ。私の予想したとおりじゃないか。ほら座れ。」
「ったくもう。縛らなくていいからな」
渋々、というのを包み隠さずにその台に上がる。姉さんは後ろで枕の高さを調整したらしく、顔を上に向けた状態で固定された。それから懐中電灯のようなもので口の中を照らされる。
「こりゃ相当切るぞ。麻酔使うか~…このバカイン」
「んがっ」
相当切るとかそんな事言うなよ。今だって嫌なものは嫌なんだから…まぁ、脅してるんだろうけど。
 やがてゼリー状の何かを口の中に流し込まれる。
「それが麻酔だ。大人しくしとけ」
最近ではこんな物が出来ていたのか。しかし、確かに痛みは引いてきて、ついでに眠くなってきた。それが姉さんにも分かったらしく。
「眠いなら寝ててもいいぞ。」
そんな言葉をかけられて、もう眠ってしまおうと思った。しかし、アンは言葉を続けた。
「でも、1つ話しておきたいことがある。」
真剣な声に、閉じかけた瞼が開いた。眼球だけを姉に向けると、白衣をまとって眼鏡をかけた彼女が隣で見守るように座っていた。
「リリノアのことだ。お前も気づいたんじゃないのか?」
何のことやら。…いや、わかった気がする。
「あの子の身体の構造は、常人と比べて所々おかしいんだよ。そもそもの問題、歯の本数が足りないし、生え変わりもしないなんて。このことは前に言ったね?」
もう口は回らないのでゆるく頷く。
「まぁ、肋骨が欠けていたりっていうのもそうなんだが…率直にいうと、今回の問題は子宮が小さいことだ。それに伴って産道も狭い。これは、難産どころかリリノアの命自体に関わる問題だ。」
やっぱりその事だったか。俺だって、気づかなかったとは言わない。むしろ、彼女の成長は不安定で、人間の平均など基準にしてはいけないものだった。
「その事を、リリノアに言うべきかそうでないかを決めかねている。リスクは母体への不安とストレスになってしまうからね。」
そこまで話すと、アンは金具を手に取って、それで俺の口が閉じないように固定した。ゴム手袋をした手が何かをしているようだが、麻酔のためにもう何も感じない。
「どう?舌を摘んでるんだけど…わかる?」
取り敢えず首を振って、何も感じないと伝える。
「そうか。じゃあ目を閉じて。」
言われた通り目を閉じると、簡単に眠ってしまった。

「おーい、終わったぞ」
呼ばれて目を開けると、わずかに舌の根に痛みが走った。言葉を発そうにも、何やら詰め物がされているのか呂律が回らない。
「あぇあっ…あ?」
「喋るな。あと数分もすればそのガーゼとっていいから。」
ガーゼだったのか。道理で薬品臭いと。
 すると、アンはガチャリと再び鍵を開け、ノブに手をかけた。それから扉を開く前にこちらを向いて、小さく言った。
「やっぱり、言わない方がいいかもしれないな。」
俺は診察台から起き上がると、もう1度深く頷いた。アンは優しい目をして「うん」と小さく頷くと、気を取り直したように片手で白衣を正して扉を開けた。

●●●
 かつて、蛇にそそのかされて禁断の果実を手にしたことによりエデンの園を追われたアダムとイヴは、神の怒りを買って苦しみを与えられた。男には労働、女には出産の苦痛を。でも、彼らをそそのかした蛇はどこへ行ったのでしょうか?

●●●
リリノアsaid
 帰りの車の中、助手席から流れる車窓を眺めていると、不意にカインが声をかけた。
「お腹すかない?」
「少しだけ。」
「何か食べて帰るか。何がいい?」
「カインは?」
「俺はいいや。行ったところでお茶でもするよ。」
「…じゃあ、コンビニで買って帰る。家に帰ろ?」
「分かった。」
運転する彼の横顔はどこまでも優しげで。
 私の吐き気は一向に収まらない。これが出産まで続くかと思うと、それはすごく憂鬱だった。
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