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噛み噛み王子

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「こんな名前をつけるなんて、君の両親は一体何を考えているんだ!」
「親を悪く言うのはやめてくださいませ! すぐに責任転嫁する、あなたのそういう所が嫌いですわ!」

 愛しの男性である婚約者のエドワードは、今まで一度もマリーの名前を呼んでくれた事が無い。
 エドワードとマリーの婚約が決まったのは三年前。二人が十七の時だった。
 親同士が決めた政略結婚だったが、初めて顔を合わせた二人は、運命的にお互いが惹かれ合うのを感じていた。
 
 マリーが『初めまして。マリーパミュパミュジュディムピョミピャミアントワネットと申します』と自己紹介した時、エドワードはしばらく目をぱちくりと瞬きさせた後、『ははっ! 君は面白い女性だな! 気に入ったよ。よろしく、マリー』と笑顔で受け流していた。

 そんな彼に、自分の本当の名前を打ち明けたのが一年前。
 その時から、二人の間にはだんだん亀裂が入り始めた。
 いつまで経っても、自分の名前を呼ぶ事が出来ない王子に苛立つマリーと、『どうして君の名前はこんな名前なんだ!』と逆ギレしだした王子。二人の間には険悪なムードが漂い始め、会話を交わす事も少なくなった。
 
 二人の不仲説は貴族達の間に広がり、今日の夜会で王子が婚約破棄を申し立てるのではないか、という噂まで流れた。
 それを狙って、ぜひ自分の娘を王子の婚約者にと売り込みたい貴族と、王子と婚約したい令嬢達がこの会場内に集まった。
 今か今かと目を光らせ、ニヤけそうになる口元を隠し、二人のやりとりを見つめた。

 それなのに――この男がマリーの名前を言えないせいで、ズルズルと無駄な時間だけが過ぎていく。

「マリーピャ……マリーパ・ミュパミュ・ジュディム・ピョミ・ピャミア――」
「変な所で区切るのはやめてくださいませ! あなたのそういう優柔不断な所が嫌いなのです!」

「くそ! マリーパミュパミュ!……ジュディム……パミュパミュ……?」
「もう! 婚約者の名前も覚えてないの!? あなたのそういういい加減な所が本当に嫌いよ! あと苦手な部分を言い切ったからってドヤ顔するのもやめて! すぐ調子に乗る所もほんと嫌い!」

 もはや言葉遣いを気に掛ける気もない程、マリーは苛立っていた。
 さりげなく今まで積み重ねてきた不満も盛り込みまくっている。

 もちろん、苛立っているのはマリーだけではない。
 ここにいる人々全員が、この何にも始まらない無駄な時間に苛立ち始めている。
 王子が噛むたび、あちこちで落胆の溜息と舌打ちが聞こえてくる。
 
「よし、ならば……マリーパミュパミュジュディムピョミ――」
「待って。あなた、その服の袖に何か隠していますわね?」
「え……」

 マリーは怪訝な様子でエドワードを睨みつけたまま、ドレスを両手で摘んで持ち上げ、彼の元へズカズカと歩み寄った。
 マリーは彼の袖から見えている紙切れを摘んで引っこ抜く。そこにはマリーの名前が書かれていた。
 その紙切れをグシャリと握り潰し、マリーは怒りでわなわなと震え出した。
 
「あなた……私の名前を本当に覚えてくれてないの? こんな紙切れを読み上げるだけなんて……そんなのあんまりですわ!」

 マリーの瞳には涙が滲んでいる。怒りと悲しみを奏でるその瞳を見てエドワードは狼狽えだした。
 
「そ、そうじゃない! 君の名前を忘れる筈が無い! さっきも油断して一瞬分からなくなっただけで……本当は全部覚えているんだ! でも文字を見た方が噛みにくいんだ!」
「あなたのそういうずる賢い所もほんと嫌い! もうさっさと婚約破棄してちょうだい!」
「出来る事ならしている! マリーパミュパミュジュディムミピャミアントワネット! 君との婚約を破棄する!」
「違うわよ! 私の名前はマリーパミュパミュジュディムミピャミアントワネット! 今気付いてたのに押し切ったわよね!? だからあなたはずるいって言ってるのよ!」
「うっ……もう一度! マリーピャミュピャミュジュディムビュミュピャムアントワネッチュ!」
「なんでお父様と同じ噛み方をするのよ! 開き直らないでちょうだい! このクズ野郎!」
「マリーパミュパミュジュディムパミピャミアントワネッ!」
「だからなんで最後の最後で噛んじゃうのよ! あなたのそうやってすぐ油断する所も肝心な所で恰好が付かない所も本当無理! あとその嚙み方も気持ち悪いのよ!」

 もはやエドワードの精神的ダメージは計り知れないが、彼の苛立ちも最高潮を迎えようとしていた。
 この名前を付けたマリーの両親に。
 こんな名前のマリー自身に。
 だが、何よりも苛立ち許せなかったのは、愛する者の名を呼ぶ事が出来ない自分自身にだった。
 

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