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彼女の名は……

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「マリーパミュピャッ……! マリーパミパ……マリーピャムピャム……ええい! マリー! お前との婚約を破棄する!」

 半ばやけくそ気味に婚約破棄を宣言したのは、この国の王子――エドワード。
 彼は一体何を言おうとしていたのか? という疑問はすぐに解消されるだろう。
 エドワードと向かい合わせて佇んでいるのは、王子の婚約者であり侯爵令嬢。愛称はマリー。
 マリーは自国の王子に対する態度とは思えない程、不機嫌な表情を浮かべてチッと小さく舌打ちした。

「エドワード殿下。婚約破棄を申し付けるのであれば、相手の愛称ではなく、正式な名前をハッキリと申し上げてくださいませ」

 マリーは鼻をツンと尖らせ、呆れた様子で腕を組み、エドワードに軽蔑の眼差しを向けた。

「さあ、私の名前『マリーパミュパミュジュディムピョミピャミアントワネット』と、はっきり仰ってくださいませ」

 スラスラと自分の名前を言いきったマリーに対し、エドワードは悔しそうに自らの拳を握りしめ、ギリッと歯を噛み締めた。
 
「何故だ!? 何故君はそんなにスラスラと自分の名前を言えるんだ!?」
「当たり前ですわよ。一体何年、この名前と付き合ってきたと思っていますの?」

 マリーは現在二十歳。
 つまり二十年間、この無駄に長くて言いづらい名前と付き合ってきた事になる。いや、実際には十五年間だろうか。
 
 マリーは、まだ読み書きが出来ない幼少期、両親が呼んでくれる『マリー』が自分の名前だと思っていた。
 だが、時々遊びに来る叔父はマリーの事を『アントワネット』と呼んでいたので、もしかしたら『マリー』は愛称で、本当は『マリーアントワネット』という素敵な名前なのかもしれない、などと期待に胸を膨らませていた。
 
 五歳を迎え、自分の名前を書く練習をするためにと、両親から渡された紙を見て、マリーは愕然とした。いや、絶望に近いかもしれない。
 そこに記されていた文字の羅列は――

 『マリーパミュパミュジュディムピョミピャミアントワネット・ルーズヴェルト』

 なんだこれ。
 何で謎の呪文が、自分の名前の間に隙間なく割り込んでいるのだろう? 私の名前は『マリーアントワネット』ではなかったのか? と、マリーは思った。

 暫く無言でそれと見つめていたマリーは、深く考える事をやめた。
 きっと何かの冗談よね? と五歳の子供とは思えない様な鋭い眼差しで親へ訴えかけた。
 そんな娘の真っすぐな瞳を見た父親は、
 
 (もうこの子は親がいないと何も出来ない子供じゃない。私も真剣に向き合わなければならないな)注:マリーは五歳
 
 と、一度目を瞑り、産まれたばかりのマリーを思い浮かべ、滲み出る涙を無理やり押し込んだ。
 そしてゆっくりと目を見開き、真剣な表情でマリーを見据えた。
 
「マリー。本当の名前を教えるのは、今日が初めてだったな。お前の正式な名前はマリーピャ……マリーピャ……マリーピャ……」
「マリーピャ……が私の名前なのですか?」
「違う! マリーピャミュピャミュジュデミュビュミュピャムアントワネッチュだ!」

 噛みまくる父親の姿を隣で見ていたマリーの母親が、小さく舌打ちした。
 
「あなた、全然言えてませんわ。マリーパミュパミュジュディムピョミピャミアントワネットですわよ」
「何故だ!? 何故君はそんなにスラスラとマリーの名前を言えるんだ!?」
「当たり前ですわよ。我が子の名前を言えないなんてクズ同然ですわ。そもそも、この名前はあなたが考えたのでしょう? 私はマリーアントワネットにしたかったのに。あなたが誰とも絶対に被らない様な名前にしよう、なんて言ったものだから」

 マリーの母親は蔑む様な眼差しを自分の夫に向けたが、向けられた本人はグゥッと一瞬狼狽えただけで、すぐに開き直った。
 
「良いではないか! 世界にただ一つだけのオンリーワン! マリーピャミュピャミュジュディムビュミュピャムアントワネッチュ!」
「だからなんで毎回同じ所で嚙みますの?『こんな噛みそうな名前をつける親はいないだろう!』とかほざいてあなたが名前を言えなくなってどうするの!? ほんとクズですわね!」

 お母様、なぜそこまでおっしゃるならお父様を止めて下さらなかったの……?と、マリーは心の中でツッコミを入れたが、それを口に出す元気はもはや無く、ただただ白目を向いて二人が言い争う声を右か左へ聞き流していた。

 それから一週間、マリーはショックで寝込んだ。
 目が覚めた時、全ては悪い夢で、やっぱり自分の名前はマリーアントワネットなのではないかと、希望を胸に起き上がっては、名前が書かれた紙に現実を叩き込まれて再び寝込んだ。
 
 それでも、このままではいけないと、自らを奮い立たせて起き上がり、そこからはひたすら自分の名前と向き合った。
 何度も何度も、自分の名前を書いては声に出して読み上げた。
 最初は上手く言えなかった名前だが、マリーの努力の甲斐があって、次第に読み上げる事が出来る様になった。あと滑舌もやたらと良くなった。

 そうこうしているうちに、マリーは次第にこの名前に愛着が湧き出した。
 そしていつしか夢を見るようになった。
 いつかこの名前を愛しの男性に呼ばれてみたい。
 名前を呼ばれて、プロポーズなんてされたら――

 けれど、現実はそう甘くは無かった。
 
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