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願いと褒賞
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ユスフたちの襲撃を受けた日から二十日が経っていた。
魔術が使えなくなったユスフはオフィーリアの件だけでなく、イルマの暗殺を企てたことも自供。マーコムと共に現在牢屋に入っている。裁判はまだ行われていないが、皇族の暗殺を謀った罪で極刑は免れないだろう。
第二皇子であるキーランは、直接暗殺を指示したわけではないこともあり、現在は城館の奥に軟禁状態になっていた。命まで奪われるということはなかったが、皇帝の座は確実に遠のいた。これから先、オフィーリアよりも酷い軟禁生活が続いていくだろう。
これで事実上、キーラン派は壊滅した。
そんな話をマドックから聞いたのが、今朝王宮に来てすぐだ。オフィーリアはいま、王宮にある謁見の間に立っていた。
高い天井の、奥に広い部屋。天井には大きな明かり取り用の窓がいくつも開いている。入り口から左右の壁には貴族達が並んでおり、その中にはマドックの姿があった。
三段の階段を上った台の上には玉座がある。そこには皇帝であるトビアスが座り、その横には元気になったイルマが立っていた。
トビアスとイルマに見下ろされる形でオフィーリアは向かい合う。彼女の後ろにはバシェルとハリエット、そしてカークウッドといった離宮の面々。更にはスケアクロウの姿があった。いずれも正装をしている。スケアクロウは近衛騎士団の制服姿だった。
「まずは皆、大儀であった」
トビアスが口を開いた。五年ぶりに見た父親の姿を、オフィーリアはじっと見つめる。
短く刈られた茶色の髪。細いが知的な光を湛えた青い瞳。侵略戦争に明け暮れた先代とは違い、トビアスは哲学者のような雰囲気の中年だった。
「お前が無事でなによりだ」
トビアスはオフィーリアを見て言う。娘を見る瞳は優しい。だが決して自分を溺愛しているわけではないことをオフィーリアは知っている。例えば自分とキーランの立場が逆であったなら、この父親はあっさりと自分を切り捨てるだろう。
トビアスはオフィーリアの父親であると同時にペルンデリア帝国とその傘下にある属州を束ねる皇帝なのだ。常に帝国の利益を一番に考えている。
「そしてイルマの件、深く礼を言う」
そう。トビアスにとっては娘のオフィーリアよりも息子のイルマの方が大事だ。帝位を継ぐのはイルマなのだから。それは分かっている。だからオフィーリアは笑顔を浮かべて一礼をする。
「もったいないお言葉です陛下」
だが寂しい気持ちがあるのも確かだ。いまのオフィーリアには梨愛としての人格が強く出ているのだから。そして両親に愛されていた梨愛の記憶も。
顔を上げたオフィーリアとイルマの視線が交差した。イルマは微かに微笑んで、頷いてみせる。すっかり元気になったイルマ。その表情は姉を慕う弟がみせるものだ。
オフィーリアは数日前に弟とふたりで話した時のことを思い出していた。
◆
「調子は……どう?」
「すっかり良くなったよ。あんなに調子が悪かったのが嘘みたいだ」
オフィーリアの言葉にイルマが笑顔で答える。二人がいるのはイルマの寝室。イルマはまだベッドの上だが、顔色もよくすっかり元気になっていた。
「ありがとう」
「あたしは何も。貴方にかけられた魔術を解いたのはカークウッドだから」
「でも、彼を連れて来てくれたのは……フー姉さまのおかげだ」
オフィーリアが驚いてイルマを見る。フー姉さま。それはイルマがまだ幼い頃によく言っていたオフィーリアの呼び方だ。
照れたような弟の表情を見て、姉は微笑んだ。
「それと……ごめん」イルマは俯いた。「姉さまが離宮で脳天気に暮らしてるなんて言って」
それは五年振りに会ったあの日、オフィーリアの変わりようを見てイルマが言った台詞だ。言われた時はショックだったが、あの状況ならば言いたくなる気持ちも分かる。そしてイルマの反応は年相応な感情の発露でもあるのだ。
この世界では一人前として扱われる時期は早い。それは何も年齢だけの話ではなかった。立場や地位により求められるものは違い、それに応える事が出来た時、一人前として扱われる。
イルマは帝位継承権をもつ皇子としての振る舞いを求められ必死になってそれに応えようとして来た。それだけ我慢しなければならないことも多かったのだ。ただ一人、孤独に。
オフィーリアは目を閉じて首を横に振る。
「あたしこそごめんね。イルマが苦しんでいるのに、何もしてあげられなくて。貴方はあんなに〝わたし〟を励ましてくれたのに」
アーベルの事件以来、腫れ物扱いされていたオフィーリアに、唯一家族として接してくれたのは幼いイルマだた一人だった。
「姉さん覚えてる?」イルマが顔を上げてゆっくりと話出す。
「? なにを?」
「兄上……キーランにいじめられて泣いていたのを助けてくれた時のこと」
「……ええ」
それはオフィーリアの記憶の中にあった。アーベルの暗殺事件から後、建設中の離宮での崩落事故に遭う少し前。いつものようにオフィーリアの部屋へと向かっていたイルマは、キーランに捕まってしまい嫌味を言われていた。八歳のイルマに十三歳のキーラン。性格の大人しいイルマは何も言い返せないでいた。
そこに現れたのがオフィーリアだった。彼女とて決して勝ち気な性格ではない。だからオフィーリアはキーランとイルマの間に入り込み、ただ黙ってじっとキーランを見続けた。
そして何を言っても動かないオフィーリアに不気味さを感じ、キーランは悪態を吐いて去っていったのだ。
「あの時も何もしてなかったわ」オフィーリアは苦笑してみせる。
「でも僕を助けてくれた。あの時も、今回も。変わってないよ」
「え?」
「フー姉さまはフー姉さまだ。僕を助けてくれたあの時のままだ」
そう言ってイルマは微笑んだ。柔らかく温かく、姉を慕う弟が見せる笑顔で。
それを見たオフィーリアは虚を突かれたような表情になった。そしてすぐに笑顔を返す。
「うん」
「だから、今度は僕が姉さまを守る。僕にできることは何でもするよ。困った時は僕に言って欲しい」
年齢以上に大人びた表情でイルマは言う。オフィーリアにはそれが頼もしく思えた。
「なら、ひとつだけお願いがあるのだけど――」
◆
「さて褒賞についてなのだが……お前の願いとやらをイルマから聞いた」
トビアスの声にオフィーリアの意識が戻ってくる。オフィーリアは緊張した面持ちでトビアスの言葉を待った。
「旅に出たい……と申すのだな?」
「はい。お許しいただけるのなら離宮を離れ帝国の版図を廻ってみたいと思っています」
それがオフィーリアがイルマに言った願いであった。謁見の間がざわついた。特にオフィーリアの背後にいるハリエットとバシェルが酷く動揺していた。
ペルンデリア帝国は現在、大陸の中でも最大の国家だ。属州を含めると西方のほぼ半分を版図とする。ひと回りするだけでも一年以上の月日がかかるだろう。
「ならぬ。そなたはペルンデリアの皇族だ。そう簡単に出歩けるものではない」
「では――」
「皇族としての身分を捨てたとしても同じだ」トビアスはオフィーリアの言葉を遮った。「イルマを助けたことでそなたの価値は上がった。皇族でなくとも、いや皇族でなくなったが故にそなたを狙う者も増えるだろう。それはなにも命を狙う……ということに限らない」
「価値」と言う言葉に、オフィーリアは唇を噛んだ。イルマも驚いた様子でトビアスを見る。
分かっている。トビアスにとって自分は装飾品のようなものだ。帝国を飾り、その威光を高めるために使われる品物。そして時には有利な条件と引き替えに売られていく存在。
いままでのオフィーリアにはそれだけの価値はなかった。政略結婚にも使えない傷モノの皇女。だが弟でもあるイルマ皇子を救ったことで〝実は聡明な皇女〟という才名が生まれた。それは新たな価値となる。
政略結婚は無理でも、トビアスは何らかの利用方法を思いついた可能性はあった。そして命じられれば、オフィーリアに断る選択肢はない。
「なので、そなたには新たに役職を与える」
「え?」
思いがけないトビアスの言葉に、オフィーリアは間の抜けた声を上げた。
トビアスが顔を横に向け何やら合図する。同時に正装の貴族が一人、オフィーリアの前へと箱を持って来た。跪いて、その箱を恭しく掲げる。
箱は底面を両手で支えられるほどの大きさだった。蓋はなく赤い光沢のある布が張られているのが見える。布の下には綿が敷き詰められているようだった。そして箱の中央には横倒しになった竜の彫像が、半ば埋もれるように置かれていた。
竜の脚は三本。ペルンデリア帝国の国章にもなっている幻獣だ。そして脚の先は立方体の台座で、底面には何か彫られていた。
「これは……?」
「魔術付与された道具だ。彫像の竜については分かるな? その下の台座は監査官の身分を示す印章になっておる。手にとってみよ」
彫像は台座も含めてオフィーリアの手のひらより少し大きいくらい。彼女でも片手で掴むことが出来る程度の大きさだ。材質は不明だが全体的に鈍色をしている。
オフィーリアは両手で包み込むように、彫像を取り出した。底面に彫られた印影がよく見えるようになる。
国章の竜を真ん中に、その回りを囲うように麦の穂が彫られていた。
「刻んである術式は二つ。一つは紙などに押せば、紙へ印影が焼き付く。もう一つは翳すことで空中に印影を映し出す。その印影はそなたにのみ許されたものだ。
監査官の任を行う助けとなろう」
監査官とは、元々は属州において税の徴収が正しく行われているかを調べる徴収監査官のことだ。現在では税収に関することだけでなくその他の不正に関しても調査と取り締まりを行う権限を皇帝から与えられている。
通常その身分を示すのは、麦の穂とそれを咥える竜の顔の紋章。昔の税は穀物で支払われたため、麦の穂とそれを帝国の象徴たる竜が咥えることで徴税を表しているのだ。
しかし目の前の印影に刻まれているのは竜の顔ではなく国章の竜だ。三本脚の竜は皇族にしか利用を許されていない。
「帝都に留まるというのならともかく、外に出たいのなら遊ばせるつもりはない。各地の不正に目を光らせ、それを取り締まるという条件を飲むなら旅立つことを許そう」
イルマを助けたオフィーリアには、もう一つ評判がついていた。マーコムとユスフの不正を暴いたという勇名だ。トビアスはそれを利用するつもりらしかった。オフィーリアを旗印として、帝都の外へも目を光らせているというアピール。
そして皇女であるオフィーリアを監査官とすることで、帝国内に領地を持つことを許された大貴族の牽制も目論んでいるのだろう。
それがトビアスが考えたオフィーリアの新たな利用方法だ。
「謹んでお受けいたします」
だがオフィーリアにとってそれは些細なことだった。一生を帝都に縛られて生きていく。そんなのは御免だ。新しい立場として外に出れば命を狙われる機会が増えるかもしれないが、それの対策もすでに思い浮かんでいる。
「ならばそなたを監査官に任命する。そのマジックアイテムであれば魔力は一年は持とう。魔力が尽きる前には一度、帰ってくるとよい」
オフィーリアを見つめる瞳に一瞬だけ、娘に向ける父親の愛情が浮かんだ。しかしすぐにそれは消え去った。
「他の者たちにも追って褒賞を与えよう」
その言葉が合図であったかのように、オフィーリアと背後に控える者たちが深く頭を下げる。
こうしてオフィーリアは望んだ自由を手に入れたのだった。
魔術が使えなくなったユスフはオフィーリアの件だけでなく、イルマの暗殺を企てたことも自供。マーコムと共に現在牢屋に入っている。裁判はまだ行われていないが、皇族の暗殺を謀った罪で極刑は免れないだろう。
第二皇子であるキーランは、直接暗殺を指示したわけではないこともあり、現在は城館の奥に軟禁状態になっていた。命まで奪われるということはなかったが、皇帝の座は確実に遠のいた。これから先、オフィーリアよりも酷い軟禁生活が続いていくだろう。
これで事実上、キーラン派は壊滅した。
そんな話をマドックから聞いたのが、今朝王宮に来てすぐだ。オフィーリアはいま、王宮にある謁見の間に立っていた。
高い天井の、奥に広い部屋。天井には大きな明かり取り用の窓がいくつも開いている。入り口から左右の壁には貴族達が並んでおり、その中にはマドックの姿があった。
三段の階段を上った台の上には玉座がある。そこには皇帝であるトビアスが座り、その横には元気になったイルマが立っていた。
トビアスとイルマに見下ろされる形でオフィーリアは向かい合う。彼女の後ろにはバシェルとハリエット、そしてカークウッドといった離宮の面々。更にはスケアクロウの姿があった。いずれも正装をしている。スケアクロウは近衛騎士団の制服姿だった。
「まずは皆、大儀であった」
トビアスが口を開いた。五年ぶりに見た父親の姿を、オフィーリアはじっと見つめる。
短く刈られた茶色の髪。細いが知的な光を湛えた青い瞳。侵略戦争に明け暮れた先代とは違い、トビアスは哲学者のような雰囲気の中年だった。
「お前が無事でなによりだ」
トビアスはオフィーリアを見て言う。娘を見る瞳は優しい。だが決して自分を溺愛しているわけではないことをオフィーリアは知っている。例えば自分とキーランの立場が逆であったなら、この父親はあっさりと自分を切り捨てるだろう。
トビアスはオフィーリアの父親であると同時にペルンデリア帝国とその傘下にある属州を束ねる皇帝なのだ。常に帝国の利益を一番に考えている。
「そしてイルマの件、深く礼を言う」
そう。トビアスにとっては娘のオフィーリアよりも息子のイルマの方が大事だ。帝位を継ぐのはイルマなのだから。それは分かっている。だからオフィーリアは笑顔を浮かべて一礼をする。
「もったいないお言葉です陛下」
だが寂しい気持ちがあるのも確かだ。いまのオフィーリアには梨愛としての人格が強く出ているのだから。そして両親に愛されていた梨愛の記憶も。
顔を上げたオフィーリアとイルマの視線が交差した。イルマは微かに微笑んで、頷いてみせる。すっかり元気になったイルマ。その表情は姉を慕う弟がみせるものだ。
オフィーリアは数日前に弟とふたりで話した時のことを思い出していた。
◆
「調子は……どう?」
「すっかり良くなったよ。あんなに調子が悪かったのが嘘みたいだ」
オフィーリアの言葉にイルマが笑顔で答える。二人がいるのはイルマの寝室。イルマはまだベッドの上だが、顔色もよくすっかり元気になっていた。
「ありがとう」
「あたしは何も。貴方にかけられた魔術を解いたのはカークウッドだから」
「でも、彼を連れて来てくれたのは……フー姉さまのおかげだ」
オフィーリアが驚いてイルマを見る。フー姉さま。それはイルマがまだ幼い頃によく言っていたオフィーリアの呼び方だ。
照れたような弟の表情を見て、姉は微笑んだ。
「それと……ごめん」イルマは俯いた。「姉さまが離宮で脳天気に暮らしてるなんて言って」
それは五年振りに会ったあの日、オフィーリアの変わりようを見てイルマが言った台詞だ。言われた時はショックだったが、あの状況ならば言いたくなる気持ちも分かる。そしてイルマの反応は年相応な感情の発露でもあるのだ。
この世界では一人前として扱われる時期は早い。それは何も年齢だけの話ではなかった。立場や地位により求められるものは違い、それに応える事が出来た時、一人前として扱われる。
イルマは帝位継承権をもつ皇子としての振る舞いを求められ必死になってそれに応えようとして来た。それだけ我慢しなければならないことも多かったのだ。ただ一人、孤独に。
オフィーリアは目を閉じて首を横に振る。
「あたしこそごめんね。イルマが苦しんでいるのに、何もしてあげられなくて。貴方はあんなに〝わたし〟を励ましてくれたのに」
アーベルの事件以来、腫れ物扱いされていたオフィーリアに、唯一家族として接してくれたのは幼いイルマだた一人だった。
「姉さん覚えてる?」イルマが顔を上げてゆっくりと話出す。
「? なにを?」
「兄上……キーランにいじめられて泣いていたのを助けてくれた時のこと」
「……ええ」
それはオフィーリアの記憶の中にあった。アーベルの暗殺事件から後、建設中の離宮での崩落事故に遭う少し前。いつものようにオフィーリアの部屋へと向かっていたイルマは、キーランに捕まってしまい嫌味を言われていた。八歳のイルマに十三歳のキーラン。性格の大人しいイルマは何も言い返せないでいた。
そこに現れたのがオフィーリアだった。彼女とて決して勝ち気な性格ではない。だからオフィーリアはキーランとイルマの間に入り込み、ただ黙ってじっとキーランを見続けた。
そして何を言っても動かないオフィーリアに不気味さを感じ、キーランは悪態を吐いて去っていったのだ。
「あの時も何もしてなかったわ」オフィーリアは苦笑してみせる。
「でも僕を助けてくれた。あの時も、今回も。変わってないよ」
「え?」
「フー姉さまはフー姉さまだ。僕を助けてくれたあの時のままだ」
そう言ってイルマは微笑んだ。柔らかく温かく、姉を慕う弟が見せる笑顔で。
それを見たオフィーリアは虚を突かれたような表情になった。そしてすぐに笑顔を返す。
「うん」
「だから、今度は僕が姉さまを守る。僕にできることは何でもするよ。困った時は僕に言って欲しい」
年齢以上に大人びた表情でイルマは言う。オフィーリアにはそれが頼もしく思えた。
「なら、ひとつだけお願いがあるのだけど――」
◆
「さて褒賞についてなのだが……お前の願いとやらをイルマから聞いた」
トビアスの声にオフィーリアの意識が戻ってくる。オフィーリアは緊張した面持ちでトビアスの言葉を待った。
「旅に出たい……と申すのだな?」
「はい。お許しいただけるのなら離宮を離れ帝国の版図を廻ってみたいと思っています」
それがオフィーリアがイルマに言った願いであった。謁見の間がざわついた。特にオフィーリアの背後にいるハリエットとバシェルが酷く動揺していた。
ペルンデリア帝国は現在、大陸の中でも最大の国家だ。属州を含めると西方のほぼ半分を版図とする。ひと回りするだけでも一年以上の月日がかかるだろう。
「ならぬ。そなたはペルンデリアの皇族だ。そう簡単に出歩けるものではない」
「では――」
「皇族としての身分を捨てたとしても同じだ」トビアスはオフィーリアの言葉を遮った。「イルマを助けたことでそなたの価値は上がった。皇族でなくとも、いや皇族でなくなったが故にそなたを狙う者も増えるだろう。それはなにも命を狙う……ということに限らない」
「価値」と言う言葉に、オフィーリアは唇を噛んだ。イルマも驚いた様子でトビアスを見る。
分かっている。トビアスにとって自分は装飾品のようなものだ。帝国を飾り、その威光を高めるために使われる品物。そして時には有利な条件と引き替えに売られていく存在。
いままでのオフィーリアにはそれだけの価値はなかった。政略結婚にも使えない傷モノの皇女。だが弟でもあるイルマ皇子を救ったことで〝実は聡明な皇女〟という才名が生まれた。それは新たな価値となる。
政略結婚は無理でも、トビアスは何らかの利用方法を思いついた可能性はあった。そして命じられれば、オフィーリアに断る選択肢はない。
「なので、そなたには新たに役職を与える」
「え?」
思いがけないトビアスの言葉に、オフィーリアは間の抜けた声を上げた。
トビアスが顔を横に向け何やら合図する。同時に正装の貴族が一人、オフィーリアの前へと箱を持って来た。跪いて、その箱を恭しく掲げる。
箱は底面を両手で支えられるほどの大きさだった。蓋はなく赤い光沢のある布が張られているのが見える。布の下には綿が敷き詰められているようだった。そして箱の中央には横倒しになった竜の彫像が、半ば埋もれるように置かれていた。
竜の脚は三本。ペルンデリア帝国の国章にもなっている幻獣だ。そして脚の先は立方体の台座で、底面には何か彫られていた。
「これは……?」
「魔術付与された道具だ。彫像の竜については分かるな? その下の台座は監査官の身分を示す印章になっておる。手にとってみよ」
彫像は台座も含めてオフィーリアの手のひらより少し大きいくらい。彼女でも片手で掴むことが出来る程度の大きさだ。材質は不明だが全体的に鈍色をしている。
オフィーリアは両手で包み込むように、彫像を取り出した。底面に彫られた印影がよく見えるようになる。
国章の竜を真ん中に、その回りを囲うように麦の穂が彫られていた。
「刻んである術式は二つ。一つは紙などに押せば、紙へ印影が焼き付く。もう一つは翳すことで空中に印影を映し出す。その印影はそなたにのみ許されたものだ。
監査官の任を行う助けとなろう」
監査官とは、元々は属州において税の徴収が正しく行われているかを調べる徴収監査官のことだ。現在では税収に関することだけでなくその他の不正に関しても調査と取り締まりを行う権限を皇帝から与えられている。
通常その身分を示すのは、麦の穂とそれを咥える竜の顔の紋章。昔の税は穀物で支払われたため、麦の穂とそれを帝国の象徴たる竜が咥えることで徴税を表しているのだ。
しかし目の前の印影に刻まれているのは竜の顔ではなく国章の竜だ。三本脚の竜は皇族にしか利用を許されていない。
「帝都に留まるというのならともかく、外に出たいのなら遊ばせるつもりはない。各地の不正に目を光らせ、それを取り締まるという条件を飲むなら旅立つことを許そう」
イルマを助けたオフィーリアには、もう一つ評判がついていた。マーコムとユスフの不正を暴いたという勇名だ。トビアスはそれを利用するつもりらしかった。オフィーリアを旗印として、帝都の外へも目を光らせているというアピール。
そして皇女であるオフィーリアを監査官とすることで、帝国内に領地を持つことを許された大貴族の牽制も目論んでいるのだろう。
それがトビアスが考えたオフィーリアの新たな利用方法だ。
「謹んでお受けいたします」
だがオフィーリアにとってそれは些細なことだった。一生を帝都に縛られて生きていく。そんなのは御免だ。新しい立場として外に出れば命を狙われる機会が増えるかもしれないが、それの対策もすでに思い浮かんでいる。
「ならばそなたを監査官に任命する。そのマジックアイテムであれば魔力は一年は持とう。魔力が尽きる前には一度、帰ってくるとよい」
オフィーリアを見つめる瞳に一瞬だけ、娘に向ける父親の愛情が浮かんだ。しかしすぐにそれは消え去った。
「他の者たちにも追って褒賞を与えよう」
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