上 下
27 / 29

落とし前

しおりを挟む
 月明かりのない夜だった。帝都の中心。王宮にほど近いこの区画には貴族達の屋敷が集中している。街路に設置された街灯によるものだ。ゆらめく炎が帝都の夜を照らしていた。

 マーコムは屋敷の自室からじっと街中を眺めていた。帝都の少し外れ、離宮のある方角だ。ユスフは上手くやっただろうか。離宮の警備にはわざと穴をつくるように指示してある。子飼いの衛兵と共に無事に計画が遂行されたことを、マーコムは祈っていた。
 扉がノックされた。

「なんだ?」
「旦那様。ユスフ様の使いという方がお越しになっています」

 入って来たのはメイドだった。短く切りそろえられたダークブラウンの髪に、明るい茶色の瞳が印象的だ。マーコムは女好きというわけではなかったが、それでも目を惹かれてしまう。

「ユスフ殿からの使いだと?」

 こんなメイドはいただろうか。そんな思いがマーコムの頭をよぎる。だが、この時間にしかもユスフからの使いが来たことの方が気になってしまった。成功したら連絡をするという約束はしていない。もしオフィーリアの暗殺が成功していた場合、下手に接触すればどこかしらボロが出る可能性があからだ。
(しかし――)マーコムは考える。(なんらかの不具合が起きたのあれば、連絡が来てもおかしくはない)

「分かった。談話室サロンに通しておけ。すぐに向かう」

 それだけ言うとマーコムは机に向かった。内心穏やかではない。話の内容によってはすぐに帝都を離れなければならない。マーコムにも妻子はいる。家族まで連れ出す時間はあるだろうか。

「いえ。すでにこちらにいらしてます」
「なんだと?」

 メイドの言葉にマーコムは振り返った。いかにユスフの使いとはいえ、勝手にこの部屋に通すなどあり得ない。マーコムは怒鳴ろうとしてしかし、メイドの後ろにいる人物を見て口を開けたまま声を出せなかった。
 彼女より頭半分ほど高いその人物は黒かった。メイドの後ろからゆっくりと姿を現す。
 オイルランプに照らされてその姿が浮き彫りになる。そいつはフード付きのマントに身を包み、黒塗りの仮面をつけていた。不気味な黒い存在。

「き、貴様は誰だ!?」

 ようやく口をついて出たのは誰何の声だった。さすがのマーコムも目の前の存在がユスフの使いでないことは気づいていた。

「ご指名いただいた暗殺者だよ。クレイグ・マーコム伯爵」

 冷たい男の声が仮面の向こうから聞こえてきた。マーコムは部屋の温度が一気に下がった錯覚に陥る。

「あ、暗殺者だとッ!? おいお前、早く警備の者を読んでこい!」

 マーコムはメイドに命じた。彼女は背を向けて扉へと近づくと――静かに閉じた。

「な!?」

 メイドが自分の味方ではないことにマーコムはようやく気づいた。そもそもこんな時間にメイドが来客を取り次ぐことがおかしかったのだ。

「ま、まて。何かの間違いだ。私は暗殺者など指名して――」

 そこまで言って、マーコムは何か思い出したかのように目を見開いた。震える指で仮面の男を指す。
「まさか〝人形師ドールメーカー〟」
「その通り名はあまり好きではないが……そうだ」

 〝人形師〟の後ろにいたメイドが、なぜかくすりと笑った。だがマーコムにそれを見咎める余裕はない。

「俺を噛ませ犬にしてくれた礼はさせてもらう」
「な、何を言うか。そもそもお前がオフィーリア様を殺せなかったのがいけないんだぞ!」

 マーコムに近づいていた〝人形師〟の足が止まった。仮面の向こうで笑ったような気配が生まれる。

「その点については謝罪しよう。まさか〝死なずの〟オフィーリアがあのような体質だとは知らなかったのでな。そちらのお膳立てに乗って、ろくに調査しなかったこちらの落ち度だ」
「オフィーリア様の……体質?」

 思いがけない言葉にマーコムが聞き返す。オフィーリアが二度生死の境を彷徨い、それでも死ななかったことに明確な理由があるというのだろうか。

「ああ。あれは特異体質だな。と言ってもお前に説明するつもりはない」

 〝人形師〟がその歩みを再開した。マーコムが後ずさる。すぐに机に当たり、慌てた様子で反対側へと回り込んだ。机の引き出しに短剣が置いてあるはずだ。それを取りだそうとして、動きがピタリと止まった。背後に気配を感じたのだ。
 慌てて振り向くと、すぐ後ろに〝人形師〟が立っていた。
 音もなく目を離した僅かな隙に忍び寄ったその姿に、マーコムはかつてないほどの不気味さを感じた。

「ま、待て。見逃してくれ。最初に言った額の倍払う!」
「断る。後悔しても、もう遅い」

 仮面の右目に当たる部分に青白い炎が生まれた。それはまるで人の魂を冥界へと誘う鬼火ウイルオウイスプのようだ。先程感じた不気味さに拍車がかかる。

「ひっ」後ずさったマーコムが椅子の上に崩れ落ちた。「こ、殺さないでくれ。命だけは……」
「他者の命を奪うのなら、自分が奪われる覚悟をしろ……と言いたい所だがお前は殺さない。いまの雇い主に感謝するんだな」
「で、では……」
「だが逃がすこともしない」

 〝人形師〟の右手が座り込んだマーコムの頭に当てられてた。マーコムは思わず目を閉じる。
 青白い炎がその手を包んだ。刹那、キンッ――という硬質な何かが割れるような音が室内に響く。ただ、それだけだった。

「は?」

 痛みも何も感じなかったことに驚いてマーコムは目を開いた。
 見上げると〝人形師〟が背を向けていた。もう興味がないとばかりに目の前から去っていく。マーコムは刺激しないように息を潜めてそれを見ていた。
 〝人形師〟は入って来た時と同じくらい唐突に、部屋を出て行った。メイドがその後へ続く。扉を閉める前にメイドはマーコムにウインクをして見せた。

「はははははは。本当に殺さなかったぞ。何が〝人形師〟だ。一流の暗殺者だ!」

 しばらくして、〝人形師〟が戻ってくる様子がないことが分かると、マーコムは狂ったように笑い始めた。

「くくくく。あははははは。逃がすことはしないだと? 馬鹿め。私は逃げてやる。そして後悔させてやるぞ! あいつめ、いまの雇い主と言いおったな。どうせオフィーリアだろう。ああ今度こそ殺してやる。殺さなかったことを後悔させて――」

 立ち上がろうとしてマーコムの言葉が止まった。立ち上がれないのだ。両脚に力が入らない。いや、そもそも動かない。

「く。腰が抜けたか。情けない」

 手を使ってなんとか立ち上がろうとする。だがマーコムの意志に反して手が動くことはなかった。手だけではない。腕が、両腕が動かないのだ。

「なんだ。なぜ動かない」

 見た目はどこも傷ついていない。なのに動かない。痛みすらないのに。そこでマーコムは気づいた。感じないのは痛みだけではない。手足の感覚もないのだ。

「ひっ、こ、これは」

 彼が殺した人間は外傷もなく、一見すると生前と変わらないまま。その死体はまるで人形のよう。だからついた通り名が〝人形師ドールメーカー〟。
 なぜオフィーリアを殺すのに〝人形師〟を指名したのか、マーコムは思い出した。〝死なずの〟オフィーリアは生死の境を彷徨うほどの大怪我をしたのに二度も死ななかった。傷ついてなお死なないならば他の方法で……そう思って〝人形師〟を指名したのだ。

 スケアクロウから連絡を受け、メイナードたちが屋敷に来たのはそれから一時間後のことだった。マーコムの部屋へと踏み込んだメイナードが見たものは、椅子に座りこんでうつろに呟き続ける屋敷の主の姿だった。
 外傷もなく意識もあったが、ただうわごとのように〝人形師〟と繰り返し呟くマーコム。なぜか四肢を動かせなくなった彼を連行するのに、メイナードたちはひどく苦労した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生したら大嫌いな乙女ゲームの世界線だったので悪役令嬢のお仕事をこの俺が引き受けます!

夜月奏
ファンタジー
前世で大好きな彼女から乙女ゲームの攻略対象のガチ恋になったから別れてほしいと言われたこの俺・天崎優雅。 なんか起きたら乙女ゲームの世界線だったんですけど!?!? なんかヒロインにどんどんムカついてきたのでこの俺が悪役令嬢(?)をやってやろうではないか!!! ーーーー 勘違い×狂ったシナリオのはちゃめちゃファンタジー作品!!

義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。

克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位 11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位 11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位 11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

乙女ゲームの悪役令嬢に転生したけど何もしなかったらヒロインがイジメを自演し始めたのでお望み通りにしてあげました。魔法で(°∀°)

ラララキヲ
ファンタジー
 乙女ゲームのラスボスになって死ぬ悪役令嬢に転生したけれど、中身が転生者な時点で既に乙女ゲームは破綻していると思うの。だからわたくしはわたくしのままに生きるわ。  ……それなのにヒロインさんがイジメを自演し始めた。ゲームのストーリーを展開したいと言う事はヒロインさんはわたくしが死ぬ事をお望みね?なら、わたくしも戦いますわ。  でも、わたくしも暇じゃないので魔法でね。 ヒロイン「私はホラー映画の主人公か?!」  『見えない何か』に襲われるヒロインは──── ※作中『イジメ』という表現が出てきますがこの作品はイジメを肯定するものではありません※ ※作中、『イジメ』は、していません。生死をかけた戦いです※ ◇テンプレ乙女ゲーム舞台転生。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げてます。

悪役令嬢は処刑されました

菜花
ファンタジー
王家の命で王太子と婚約したペネロペ。しかしそれは不幸な婚約と言う他なく、最終的にペネロペは冤罪で処刑される。彼女の処刑後の話と、転生後の話。カクヨム様でも投稿しています。

転生ヒロインは不倫が嫌いなので地道な道を選らぶ

karon
ファンタジー
デビュタントドレスを見た瞬間アメリアはかつて好きだった乙女ゲーム「薔薇の言の葉」の世界に転生したことを悟った。 しかし、攻略対象に張り付いた自分より身分の高い悪役令嬢と戦う危険性を考え、攻略対象完全無視でモブとくっつくことを決心、しかし、アメリアの思惑は思わぬ方向に横滑りし。

転生王女は異世界でも美味しい生活がしたい!~モブですがヒロインを排除します~

ちゃんこ
ファンタジー
乙女ゲームの世界に転生した⁉ 攻略対象である3人の王子は私の兄さまたちだ。 私は……名前も出てこないモブ王女だけど、兄さまたちを誑かすヒロインが嫌いなので色々回避したいと思います。 美味しいものをモグモグしながら(重要)兄さまたちも、お国の平和も、きっちりお守り致します。守ってみせます、守りたい、守れたらいいな。え~と……ひとりじゃ何もできない! 助けてMyファミリー、私の知識を形にして~! 【1章】飯テロ/スイーツテロ・局地戦争・飢饉回避 【2章】王国発展・vs.ヒロイン 【予定】全面戦争回避、婚約破棄、陰謀?、養い子の子育て、恋愛、ざまぁ、などなど。 ※〈私〉=〈わたし〉と読んで頂きたいと存じます。 ※恋愛相手とはまだ出会っていません(年の差) ブログ https://tenseioujo.blogspot.com/ Pinterest https://www.pinterest.jp/chankoroom/ ※作中のイラストは画像生成AIで作成したものです。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

処理中です...