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一世一代の交渉

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 オフィーリアとカークウッドは再び王宮の城館にいた。出迎えてくれたのはメイナードではなく、近衛騎士団の制服を着た若者だった。年齢はカークウッドと同じくらいか。
 垂らした右手ひらを見せてから、サッと左肩へ当てる。それと同時に右足を踏み鳴らした。カシャンという音が響く。

「自分はスケアクロウって言うッス。メイナード団長から案内するよう言われているッス」

 一見すると金髪に青い瞳の優男だが、口をひらけば軽薄さが垣間見えた。スケアクロウはオフィーリアを見てニカリと笑う。

「噂通り綺麗な女性ひとッスね」

 近衛騎士団の団員だというのに、スケアクロウは皇女であるオフィーリアに向かって軽い口調で話す。そして自分を見つめるカークウッドの方へと顔を向けた。

「どうかしたッスか? えっと……」
「執事のカークウッドと申します」カークウッドが一礼する。「いえ。変わった装備をされているのでつい見入ってしまいました」
「ああ、これッスね」

 スケアクロウは執事の視線が自分の足元に向いていることに気づいた。スケアクロウの両脚、膝から下は鎧のような鉄製のブーツを履いていた。平時は騎士と言えど、制服を着て王宮の警備に当たっている。制服では通常、履くのは革製のブーツだ。

「自分、こっちが義足なんッス」スケアクロウは右膝を上げて見せる。「片方だけだと見栄が悪いって言われて、左も右に合わせてるッス。では案内するッス」

 そう言ってスケアクロウは先導を始めた。彼の歩く様は危なげない。言われなければ義足を付けていると気づかないほどにだ。
 感心した様子でオフィーリアが後をついていく。カークウッドはさりげなくオフィーリアの斜め後ろに陣取った。何かあった時に彼女と素早く入れ替わることのできる位置だ。

 三人が歩いているのは城館の中でも政務の行われる部署が集まった区画だった。オフィーリアはイルマに面会を求めたが病を理由に断られた。しかし代わりに、マドックと会う約束を取り付けたのだ。
 扉の前に立つとスケアクロウがノックする。そして声を上げた。

「皇女殿下をお連れしたッ……しました!」

 「ッス」と言いかけて、慌てた様子でスケアクロウが言い直す。

「入れ」

 聞こえて来たのはマドックではなくメイナードの声だった。
 不思議に思いながら部屋に入ったオフィーリアを迎えたのは、メイナードとマドックの二人だ。

 部屋の中央に背の低いテーブルがあり、向かい合うようにソファが置かれていた。マドックはソファに、そのすぐ横にメイナードが立っていた。壁際には絵画などの美術品が飾られている。それ以外の調度品はなかった。ここは外部からの面会を受け付ける応接室のようだった。

「よくおいで下さいました皇女殿下。どうぞお座りください」

 マドックは立ち上がって貴族式の礼をする。オフィーリアは頷くと、椅子に座った。その後ろにカークウッドが控える。
 スケアクロウは扉の横に直立不動で立っていた。

「イルマ殿下のことでお話があるとのことですが、生憎と本日は調子がよろしくありません。代わりに私がお話を聞きましょう」

 マドックの言葉にオフィーリアの表情が曇った。

「イルマ……皇子はあれから?」
「……はい」苦しそうにマドックが言う。「皇女殿下には隠しても仕方のないことですので正直に申します。殿下の症状はここ数日で急激に悪くなっております」
「時間がないのね」
「いつその時が来ても……おかしくないかと」

 オフィーリアは後ろを振り返り、カークウッドと目を合わせた。カークウッドは頷いてみせる。
 そんな二人を見てマドックが訝しげな表情をした。

「マドック……いえ、フェルダ伯爵」オフィーリアが真剣な表情で言う。「イルマ皇子の病は未知の魔術によるもの……で間違いない?」
「はい。司祭の話を信じるなら。そしてイルマ殿下を診た司祭は信用のおける者です」
「ではその魔術をこちらで破術はじゅつすることができる……と言ったら貴方は信じてくれる?」
「なんですと? まさか皇女様が!?」

 マドックがまじまじとオフィーリアを見つめる。

「いいえ。やるのはカークウッドよ。そちらのメイナードは知っていると思うけど、うちの執事は魔術に詳しいの」

 今度はマドックとメイナードが顔を見合わせる番だった。メイナードは頷いて見せる。

「確かに詳しいようでしたが……しかし魔術師ではない、と」

 戸惑ったように言うメイナード。視線はカークウッドの方を見ていた。
 カークウッドはメイナードを見て頷いてから、マドックへと顔を向けた。

「私は魔眼持ちです」
「!?」

 カークウッドが片眼鏡モノクルを外してみせた。薄く色のついたレンズに隠れて分からなかったが、その瞳は変わった色合いをしていた。瞳の中に二色が混在しているのだ。
 青とグレーの部分的な光彩異色オッドアイ。光彩のほぼ中央を境にして左右二色に別れている。
 刹那、青白い炎がカークウッドの右目に宿った。マドックとメイナード、そしてスケアクロウの三人が驚いた表情になる。

「私の魔眼は魔術の術式を見ることができます。そして見えた術式を破術することができる」

 カークウッドは右手を顎の下まで上げる。その瞬間、右手に青白い炎が宿った。

「これが、あたしが隠しておきたいと言った切り札です」

 オフィーリアはメイナードを見る。
 イルマにかけられた魔術をカークウッドが解く。その為にはイルマにもう一度会わなければならない。それはカークウッドの能力を部外者に明かすということになる。

 だが馬鹿正直に全てを話すつもりは二人にはなかった。そもそもカークウッドがオフィーリアを暗殺するために来た〝人形師ドールメーカー〟であるなどと言ってしまえばややこしいことになる。
 そこでオフィーリア達が立てた作戦はカークウッドの能力は魔術に対してのみ有効と思わせることだった。幸いにもその為の前振りはできている。メイナードがこの場に居てくれたことも、こちらにとって都合が良かった。

「メイナード?」
「あ、ああ。間違いない。確かにそのような会話をした」

 父親マドックの問いに息子メイナードは答える。マドックはカークウッドをじっと見つめる。その視線は鋭く、執事の表情から真偽の程を探ろうとしているようだ。

「オフィーリア様の言葉を信じないわけではありません。しかし事はイルマ殿下の命に関わること。はいそうですかとは――」
「時間がないのでしょう!? このままではイルマの命は失われてしまうのよ」

 煮え切らないマドックの言葉をオフィーリアが遮った。その表情は必死で、弟を心配する姉のものだった。それでもマドックは悩んでいるようだった。

「あちらの方の履いておられる鉄製のブーツ。片方は義足とのことでしたが、両方とも魔術付与された装備マジックアイテムですよね?」

 カークウッドがスケアクロウを見て言う。突然話題を向けられて、スケアクロウが驚いた表情になる。

「もしお許しいただけるなら、そのブーツに与えられた術式を破術してみせますが?」
「か、勘弁して欲しいッス!」

 スケアクロウが後ずさった。しかしすぐに壁にぶつかってしまう。

「待て。あれは近衛騎士団の支給品だし、それなりに高価なものだ」メイナードも慌てた様子で言う。
「そうですか。信じていただくには、実際に目の前で破術してしまうのが一番なのですが」

 困ったようにカークウッドが言った。そしてしばし考え込んだ後、マドックの方を向いて口を開いた。

「では破術はいたしませんので、術式をよく見させていただけませんか? 全てではないですが術式を見ればどのような魔術が付与されているか分かるかもしれません。それを言い当てることで信じて貰うというのはいかがでしょう?」
「それで破術できることの証明にはならんが、マジックアイテムなどそうそう用意できるものではないからな……まて」俯いて考え込んでいたマドックが弾かれたように顔を上げる。「お前いま術式を見ればどのような魔術か分かると言ったか?」
「? はい。確かにそう申しました」
「ではイルマ殿下にかけらた魔術がどのようなものか分かるのか?」
「それは何とも申し上げられません。魔術に詳しいと言っても私は魔術師ではありません。全ての魔術を知っているわけではないのです。魔眼を使えば術式を見ることはできますし、知らなくとも破術することはできます。ですがその術式がどういったものかは、私の知識の中になければ答えることはできません。
 私の魔眼はそれほど万能ではないのです」
「そうか……メイナード、お前はどう思う?」

 問われてメイナードはカークウッド、オフィーリアの順に視線を向ける。そして意を決した表情になるとマドックを見た。

「オフィーリア様を襲った賊の件は話しましたね? 決定的な証拠は出てませんが、俺はユスフが怪しいと睨んでいます。そしてユスフは宮廷魔術師の筆頭で、魔術師団は奴の影響下にある。なら例えどんな魔術がかけられているか分かっても、宮廷魔術師をイルマ殿下に近づけさせることはできない。
 いま頼ることができるのはオフィーリア様だけだと俺は思う」

 メイナードの言葉にマドックはしばし考え込んだ。宮廷魔術師には頼れない。それはマドックがオフィーリアに言った言葉でもある。
 黙って見ていたオフィーリアが焦れ始めた頃、マドックはようやく口を開いた。

「……わかりました」マドックがオフィーリアを見る。「皇女殿下を信じましょう。すぐにイルマ殿下に会えるよう手配いたします」
「ありがとう……マドック」
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