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第2話

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 それから一ヶ月後。
 事態は私とバーナルドの期待通りにはいかず、私の記憶は、戻る気配すらなかった。

 身体の方は随分と良くなり、なんとか杖をついて散歩ができるようになったが、私が杖を頼りに、腰を曲げて歩く姿を見るのを、バーナルドはとても嫌がった。

「バーナルド、どうして目を背けるの?」

 そう尋ねると、バーナルドはちらりとこちらを見て、すぐに視線を外し、明後日の方向を見ながら答える。

「……すまない。記憶を失う前の君は、凄く行動的で、元気な人だったから、そんなきみが、まるで老婆のように杖をついて歩く姿を見るのは、その、うまく言葉にできないんだが、凄く辛いんだ」

 そういうものだろうか。

 バーナルドの言った、『まるで老婆のように』という例えは、私をひどく傷つけたが、これまで何度も私を元気づけてくれたバーナルドに、この程度のことで文句を言うわけにもいかないだろう。私は力ない笑みを浮かべ、ただ一言、「こんなことになって、ごめんね」とだけ呟いた。





 さらに、二ヶ月の時が過ぎた。

 もう事故から三ヶ月も経ったのに、私はあいも変わらず、自分の家の住所すら思い出せない。どんなお芝居を好んで見ていたのかも、どんな料理が好きだったのかも、何が得意で何が苦手だったのかさえも、まったくわからない。

 少しも進展を見せない私の頭に、優しかったバーナルドも、少しずつ苛立った姿を見せるようになっていった。

「なあ、エリザベラ。そろそろ、昔のことを思いだしたんじゃないのか? 全部じゃなくてもいい。少しくらいは、何か、心に浮かんでくることがないか? なあ、もう三ヶ月も経つんだぞ」

 詰問するようにそう言われ、私は身を縮こまらせて、謝罪する。

「ごめんなさい……」

 その卑屈な態度が、ますますバーナルドの神経を逆なでしたらしい。彼はフンと鼻を鳴らし、少し語気を強める。

「やめてくれよ。どうして謝るんだ。まるで僕がきみを虐めてるみたいじゃないか」

 いつも柔和な笑みを浮かべていたバーナルドが、怖い顔でそう言うのが、ただただ悲しくて、私はぽろぽろと涙をこぼしながら、声を震わせて、先程と同じ謝罪の言葉を繰り返した。

「ごめんなさい……」

「だから、謝るなって言ってるだろ!」

 バーナルドは激昂し、病室の壁を叩いた。
 その音で、ダンストン先生が駆け込んでくる。

「バーナルドさん、ここは病院です。大きな物音を出すのはご遠慮願います。……そして、それ以上に、必死に良くなろうと努力している患者さんを刺激するような言動は、控えていただけませんか?」

 言い方そのものは丁寧だったが、言葉の調子自体は厳格で、有無を言わせぬ迫力があった。普段は穏やかなダンストン先生に厳しく諭されたことで、バーナルドは少々気圧されたのか、素直に頭を下げる。
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