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006 煌びやかな社交界に隠された闇

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 それからリリーは、その社交シーズンの間何度もグレンと顔を合わせた。会った時に、次に会う場所を決めた。大抵は、庭園か休憩室をグレンが予約する。そうやって二人だけの逢瀬を重ねた。
 隠れるようにして会うことに少しの疑問はあったけれど、とにかくリリーは舞い上がっていてグレンに問いただすようなことはしなかった。

 だけど、ついにある日の夜会で、リリーはグレンに関する噂を聞いてしまう。母親と一緒に女性用の休憩室で、軽く軽食を食べている時だった。隣に座って楽しそうにおしゃべりしているグループから、「グレン」と言う名が聞こえてきたのだ。

 リリーは、気になって母親と会話をしながらも隣の話に耳を傾けていた。

「今日、グレン・ピーターソン来ていたわよね? 見た? あんなに素敵な男性なのに、本当にかわいそう」
 
 令嬢の一人がそう言ったのだ。リリーは、ピーターソンという家名を初めて聞いた。話している令嬢たちは、その名前の男性を知っているようで盛り上がっている。
 リリーは、気になって仕方なく更に隣の会話に聞き耳をたてる。聞こえてきた会話を要約すると、グレン・ピーターソンという男性はどうやら既婚者であるらしいということだった。
 なぜかわいそうかというと、結婚した令嬢が社交界一評判の悪い令嬢なのだとか。我儘で傲慢、場の雰囲気を読まずに自分の思い通りにしようとする。
 今は、結婚して伯爵夫人となっているが元は侯爵令嬢。だから今でも、実家の権力を傘に威張り散らしている。
 そんな女性に、グレン・ピーターソンは一方的に好意を抱かれ結婚させられてしまった。そんな話を、面白そうに令嬢たちは笑いを交えて話をしていた。
 リリーは、話を聞いて放心してしまう。そのグレン・ピーターソンとは、いつもこっそり会っているグレンなのではないか……。そう思ったら、納得できる点がいくつもあった。

 いつも約束する場所は、人目につかないところ。最初に会った時に、やけに疲れたような顔をしていたこと。そして、リリーと一緒にいると落ち着くし癒されてホッとする。
 もし、本当に令嬢たちが話しているグレンと、リリーが会っているグレンが同じだとしたら、どうしたらいいのだろう……。リリーは、ショックで顔色が青ざめる。

「リリー、大丈夫? 突然どうしたの? 具合が悪そうよ?」

 母親が、リリーの異変に気付いて声をかけてくれた。だけど、リリーは放心状態で言葉がでない。

「大丈夫? 疲れたの? もういいわ。今日は、帰りましょう?」

 何も言わないリリーを心配して、母親は帰る準備を始めた。そして、リリーは何もわからないまま気づいたら自分の屋敷の部屋で、ベッドにつっぷしていた。

 それからのリリーは、気づくとグレンのことばかり考えていた。社交界の噂を聞いてしまって、もう会うのは良くないと頭ではわかっていた。
 だけど、もしかしらた噂の人物とは違うかもしれないという希望を抱いた。きちんと確認しようと、次に会った時にグレンのジャケットを見た。
 リリーの祈りも虚しく、既婚者の証である家紋のタックピンがしっかりと止められていた。最初に会った時からずっと止められていた筈なのに、リリーは全く見ていなかった。
 リリーは、なんて馬鹿なのだろうと自分を責めた。だけどリリーは、それを知ってからもグレンを断ち切ることができなかった……。

 グレンと一緒にいるのが楽しい。何となく、自分に好意を向けてくれているのがわかる。だけど、もうこの関係がどうにもならないのは分かっている。だから終わりにしなくてはいけない。
 その一方で、グレンと新たな約束を交わすのが嬉しかった。好きになったら駄目な人なのだとブレーキをかける。会いたい気持ちとブレーキをかける気持ちが、行ったり来たりしていてリリー自身も辛い。

 すでに、自分も気づかぬ内にリリーはグレンにどっぷり嵌まっていた。でも、ここで断ち切れないことがどういうことになってしまうのか、世間知らずなリリーには考えることができなかった。

 そうこうしているうちに、社交シーズンは終盤に迫っていた。夜会への招待状も、あと数件だけになっている。
 この頃には、リリーは漠然とグレンとの関係はこの社交シーズンだけだろうと思っていた。
 キスされてしまったのは、最初のあの一回だけ。その後は、本当に二人で少しの時間おしゃべりをして終わり。ずっとその繰り返しだった。
 グレンと会えなくなると考えると、とても寂しい。だけど何かを壊してまで、グレンを手にしたいとは全く考えていなかった。

 リリーの人生が変わってしまったのは、グレンと会うのはこれで最後だろうと思われた夜会。いつものように、グレンが休憩室を予約してくれていた。
 約束の時間に、休憩室『ユリの間』に向かう。リリーが部屋の名前を確認してから、ノックもせずに中に入った。

――――入った瞬間、グレンに抱きしめられる。

「リリー。もう隠してはいられない。今日は、ちゃんと話をしようと思って来たんだ」

 グレンは、何かに怯えているのかリリーを抱き締めながら震えていた。

「グレン様、どうしたんですか? 震えています」

 リリーは、突然のことに驚いたがそれよりも震えているグレンが心配だった。

「すまない。リリーに話をしてしまったら、嫌われるんじゃないかと怖いんだ……」

 グレンの声は、絞り出すように必死なものだった。

「大丈夫です。嫌いになんてなりません」

 リリーは、怯えるグレンがやるせなくて、何とかしてあげたいその気持ちだけだった。グレンがリリーを抱き締める腕に、自分の手を乗せる。
 リリーの暖かい手のぬくもりが伝わったのか、少し落ち着いたみたいだった。

 二人で休憩室のソファーに座ると、グレンが疲れた顔をして話出した。ポツリとグレンが言った。

「リリーも、もう知っていると思うけど……。僕は既婚者だ……」

 掠れるようなか細い声だった。その言葉を皮切りに、途切れ途切れグレンが語る。

 グレンの結婚は、侯爵家の令嬢にその美貌を買われた政略結婚だった。グレンの意思はなく、伯爵家である父親が侯爵家との縁を持ちたい為の結婚だった。
 政略結婚なんて、貴族では当たり前。それは、グレンも分かっていたから最初のうちはよき夫婦として関係を築いていきたいと努力した。
 だけど、残念ながらグレンに目をつけたライラ侯爵令嬢は、社交界でも評判の悪い令嬢だった。

 自分が一番でなければ気がすまない性格で傲慢でわがままな女性だった。同じ空間に、他の令嬢がライラよりも高価な物を身に着けていくとグチグチと文句を言った。
 話の中心からライラが外れるようなことがあれば、その原因になった令嬢はそのグループから追放する。
 使用人たちに対する態度もひどく、気に食わないことがあるとお客の前であろうが気にすることなく叱り飛ばす。
 そんなライラは、結婚したからと言って変わることはなく、見目のいいグレンをこれ見よがしに連れ歩いた。
 グレンに対しても、夫が自分の言うことを聞くのは当たり前。少しでも面白くないと父親に言って実家への圧力をかけさせる。
 そればかりか、とても嫉妬深くグレンを他の女性から遠ざけて囲い込んでいた。だから社交界の令嬢たちは、決してグレンには近づかない。
 ただの世間話ですら、ライラに目を付けられてしまったら何をされるかわからないから目も合わせてもらえないのが日常だった。

 そんな結婚生活を送るグレンは、心身共に疲れ切っていた。そんな時に、一緒にいるとホッとするリリーに出会ったのだと真剣な表情で言われた。
 リリーは、噂でしかグレンのことを聞いたことがなかったので衝撃を受ける。いつも何だか疲れているとは思っていたが、こんな理由があったのだと知って助けてあげたいという気持ちが沸く。

「リリー、僕は君と会えなくなるのが辛くてたまらないんだ……」

 グレンが、今にも泣き出してしまいそうなほど辛そうな表情をしている。

「ごめんなさい……。私には、どうしていいのかわからないわ……」

 リリーの素直な気持ちだった。救ってあげたい気持ちはあるが、田舎娘にしか過ぎないリリーには何もできない。

「リリー、僕と一緒にいて欲しい。何も約束はできないけれど、僕だけの君でいて欲しいんだ……。僕は、リリーを愛してしまったんだ」

 グレンが、リリーの手を掴んで必死にお願いする。そんなグレンの必死の願いを、リリーが拒絶することなんてできなかった。自分がいないと、この人はダメなのだと思ったらコクリと頷いてしまっていた。

 そしてリリーは、グレンの愛人へとなった。その夜会の後、暫くしてグレンがフローレス家に訊ねて来た。突然の訪問に驚いていた両親だったが、伯爵家の男性が会いに来たのでは追い返すこともできず屋敷に招き入れる。
 リリーはその場に立ち会うことができず、両親にどんな話をしたのかは知らない。だけどグレンが説得し、その日の内にリリーは、秘密裏に彼が用意してくれた別邸に生活を移した。

 父親からは恐ろしいくらい叱られ、母親に至っては泣かれてしまう。本当にそれでいいのかと何度も確認された。
 しかも、あのピーターソン伯爵だと強く言われた。二度と表舞台には立てずに愛人だと悟られないように、こそこそと生きて行かなければならないと懇々と話をされた。
 それでもリリーの意思は固く、グレンの元に行くことを無しにはしなかった。

 年齢も若く、初めての社交会での出会いに夢を描いてしまった。華やかさの陰にある闇に、すっかり嵌ってしまったのだ。
 自分だけしか、グレンを救ってあげられないという思いに酔っていた。父親も母親も、当然喜んであげることはできないと線を引かれた。
 何も持たせてもらうことはできなかったが、唯一子供の頃からリリーの世話をしてくれた侍女のバーバラだけを一緒に伴わせてくれた。
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