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 Ⅴ 雨に濡れた日

 やまない雨

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「これは?」
「ルッツベルクで悪政を敷いていた貴族を懲らしめた時の戦利品にゃ。
その名もレイゾンデートル、異国の言葉で『存在理由』って意味らしいにゃ。
鉄と同じ性質を持ちながら、全てにおいてその長所を上回る名剣だと聞いてるにゃ。
これを溶かして最高の武器を作って欲しいにゃ」
「でも、これはお前の大事な……」
「ネムは馬鹿力だから、素手でも結構強いにゃ。
それに……その。
お嫁さんになったら、これはもう要らないにゃ?」
「……ありがとう、ネム」

頭を下げた拍子に、よろけて倒れる。

「ラト?!」

助け起こそうとするネムネムを手で制すると、ラトは作業台に向かった。

「お前には世話になってばかりだな」
「今さら何を言ってるにゃ。
結婚したらうんと贅沢させて貰うから、覚悟しておくにゃよ」
「はは、そいつは恐ろしいな。
とりあえず、今日のところは酒場のディナーで勘弁してくれ。
ネムも呑むだろ?」
「ネムは食べるの専門にゃ!
それじゃあ森で魔鉱石を採掘してくるにゃ。
その間、ラトは少し休んでるにゃよ」
「……あぁ、そうさせてもらうよ。
外は雨だったか?
足を滑らさないように気を付けてな」
「平気にゃーっ!」

元気よく駆け出すネムネムの後ろ姿に向かって、ラトは微笑んだ。
ありがとう、ネムネム。
心配かけてごめんな。
水溜まりを軽いステップで避けながら、ネムネムはお気に入りの傘を差して森へと向かった。
大好きなラトの役に立てるなら、ネムはなんだってするにゃ。
いつものように魔鉱石をハンマーで割っていると、丁度いい具合にハート型の形になった。

「なんてキュートな形にゃ!
おおぅ、こっちのは星型にゃ。
街に戻ったらラトとお揃いの首飾りにして貰うにゃ♪」

夕方を過ぎても雨は止まず、マラカーンの街に降り続いた。
ネムは袋いっぱいの魔鉱石を背負い、鼻唄混じりにラトの工房へと戻った。

「ラト、これ見てにゃ!
偶々、すっごく可愛い欠片が出来て……」

ネムネムの手から離れた麻袋が床に落ち、魔鉱石の欠片が床に散らばる。

「……ラト?」

血塗れになって倒れているその背中を、ネムネムが慌てて抱き起こす。
あんなにも汗をかいていた体が、今は冷たい。
ラトは死んでいた。
もう二度と、笑いかけてはくれない。

「……あ……あぁっ」

ネムネムは頭をかきむしった。
何が起きているのか、理解する事を心が拒否していた。

「……ラト?
……ラト?」

何度も体を揺すって起こそうとするが、愛しい人が目覚める気配はない。

「ねぇ……起きて、にゃ。
か、風邪、っぐ。
風邪……引いちゃうにゃよ……。
ラト?ラトってば!
ネムを独りに……独りにしないでぇーっ!
……う……うぅ。
うううぁぁぁぁあああああーーーーっ‼」

慟哭が暗空を揺さぶった。
どれくらい、そうしていただろう。
ネムネムはゆっくりと、幽鬼のように立ち上がると、床の隅に転がっている刃物を見た。
柄に蛇の紋様が刻まれているナイフ。
見覚えのあるそれを手に取り、刃ごと握り潰す。
掌からぽたぽたと赤い雫が落ちた。

「……ラト、待ってて。
ネム、ちょっと出掛けてくるにゃ」

受け入れられない悲しみが、抑止出来ぬ憎悪へと変わってゆく。
雨に濡れながら少女が向かったのは、ごろつき達の溜まり場になっている古い館だった。


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