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18 革命家
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小森家から東に三百メートルほど離れた場所に、自動販売機の並ぶ休憩スペースがある。柳澤たちはそこから小森家の様子を伺っていた。千鶴がトラックと言っていたのはコンテナ用の牽引車で、菜園下の砂利道に車道向きで停車している。周囲にはスーツ姿の男が一人と作業着姿の男が二人、車の上でなにか作業をしているようだ。後部座席にいた杏子はかなたと席を入れ替え、助手席に移った。
「相手三人か、俺一人じゃきついな……進藤くん、無線で応援呼んでくれ。それからシッスル、さっき先輩をメールで呼んだって?」
「はい。女子寮に立ち入るのは嫌なので、今から届けに来るそうです」
「ここに直接来てもらったほうが良さそうだな」
「メールを送信します」
「ああ。それで進藤君、俺たちは三人を先輩に引き渡してから動こう。今んとこ人身に危害は及んでないそうだ」
「主任、拳銃は」
「もちろん置いてきた」
柳澤は千鶴との通話を切らず、逐一状況確認していた。幸い暴漢が押し入るような事態には至っていないが、物置の作業は着実に進んでいるようだ。やがて、コンテナ車のエンジンがすさまじい唸りを上げた。牽引車後部の油圧式リフトアームが、何かを持ち上げようとしている。土にまみれた船便輸送用の二〇フィートコンテナだ。リフトによって斜めに釣り上げられたコンテナの上から、解体現場のような轟音とともに物置が滑り落ちてゆく。五時間ほど前にかなたたちが侵入した物置だ。
亜沙美たち三人が閉じ込められていたのは、屋外に設置してから土を被せて隠蔽した、コンテナの内部だったのだ。
「なんだありゃ……船に積むコンテナか」
「中を見た時は貨物列車みたいだと思ったけど、港とかにあるあれか……」
「小森さん、異変があったらすぐに伝えてください。今はこっちも人数が少ないんで応援を待ってる状況です」
「一番近くのパトロールでも、あと十分はかかりそうです」
「ここで十分ロスは痛いな……」
「来ました」
亜沙美が告げたのは警察の応援ではなく、中原の到来だった。
「さすが先輩、肝心な時に間がいい」
道路西側から近づいてくる中原の車を、かなたが車外で手を振って誘導する。もう、自分にできることはこれくらいしかないだろう。
「先輩、この子らを頼みます」
「ずいぶん差し迫った状況のようで?」
「ご明答にございます」
「時間ないんでざっくりですけど、あのコンテナ車が強盗犯です」
「……強盗? そんな状況に」
「すぐに動くより、様子を見てあの車と逆の進路を取るほうが安全では?」
「そうだな、俺らはともかく子供らは。先輩、いざって時のためにエンジン切らないでてください。とりあえず今は一般人のフリで」
「わかりました」
「なんかすごいね、修羅場って感じ」
黄土色の土煙を上げて、物置は跡形もなく崩壊した。五メートルほどの高さまでコンテナが持ち上げられると、リフトアームがゆっくり折りたたまれてゆく。逆L字型をしたアームの可動部分が完全に閉じ終わると、三人の男たちは大急ぎでコンテナの土を払い落とす。二分ほどで清掃作業に見切りをつけ、コンテナ車は走り出した。
女生徒三人を中原の車に移し、警察車両の正規乗員二人は出発の機会を待った。東西に伸びる県道を、コンテナ車は東に向けてゆっくりと走行している。計画的な犯行の場合、交通違反で止められないよう乱暴な運転は避けるのが常道だ。すれ違いざまにコンテナ車の乗員を確認したが、柳澤の知る顔ではなかった。
「よし、行くか。現在地の連絡頼む」
「鑑識がこんなことをするのは不本意ですが、仕方ありません」
「まあ頑張れ。蓮見かなたの好きなドラマの鑑識官は、マフィアとの銃撃戦もこなしたぞ」
「気に入られるチャンスですね」
コンテナ車との距離を一〇〇メートルほど取り、柳澤の運転する車が追跡を開始する。中原たちには逆方向に行くよう念を押した。
「見てみたかったけど、さすがにちょっと怖いね」
物置の現場を見ていないせいか危機感の薄い美希が、残った四人の中で最初に口を開いた。
「ここに至っては、もう蓮見さんの趣味の世界ではないです。彼らに任せましょう」
「でも、あれ見つけたのかなたさんだよね? 凄いよねそういうの」
「え? いや、それほどの者で……す」
「そうなんですか……役に立つこともあるのか」
「何か言ったか」
後半部分は小声で、中原は呟いた。
「そういえば、本当は来週の日曜だって言ってたんだよね。何で早まったんだろう」
「侵入したのがまずかったのでは」
予定が早まったことについては、亜沙美の推論が事実である。
「昨日聞いた話では、確かにそう言っていたんだけど……勘付かれたか。それにしたって車の準備とかあるだろうに……」
「昨日そう言っていたのなら、予定通りですね」
「え?」
「カレンダーを思い浮かべてください。何なら英語の、曜日の歌でもいいです」
亜沙美は無表情で記憶を掘り起こし、美希は曜日の歌を口ずさみ、かなたは凍りついた。
物置入り口に設置された赤外線センサーが小森玲やかなたたちの進入を感知したため、深夜の予定が十時間ほど繰り上がったのだ。
「……つまらない勘違いを」
またも小声で呟くが、かなたは文句も言えずにフリーズしていた。
「で、でも、結局発見はできたわけだし」
「……それも、小森さんからの、電話だった……」
かなたのプライドは崩壊しつつある。
かなたの行動は犯行に多大な影響を与えている。だが、真実を知っている者はここにはいない。
雑談を切り上げてこの場を離れようと中原が周囲を見渡すと、西側から近づいてくる一台のバイクが見えた。クラシカルなデザインのバイクは徐々にスピードを落とし、中原たちのすぐそばに停まった。サイドスタンドを下ろしてフルフェイスヘルメットを脱ぐと、特に美希には馴染み深い顔があった。
「おや、あの人は」
「あ、師匠!」
左耳にイヤホンをしたクジマは穏やかな笑顔でコンニチワと挨拶し、美希は車を降りて出迎えた。
「ミキ、怪我はありませんか?」
「え? なんともないけど」
「そしてみなさんも無事で何よりです」
美希に続いて車から降りた三人に、クジマはそう挨拶した。
「あなたは、一体……」
「師匠……あれ? なんか言葉違くない?」
「すまないミキ、私は、君をずっと騙していた。私は親日家のおもしろロシア人などではなく、警察官なんだ」
「うん、それは聞いたよ。普通に喋れるのは知らなかったけど」
「私の使命は、祖国から盗まれたものを、探すことだった。……それが今走り去ったコンテナだ」
「あの中身が……?」
「正直なところ、もう見つからなくてもいいと半ば諦めていた。それならそれで良かったのだが……」
かなたは、昨日磐船講内で聞いた声を思い返していた。クジマとは明確に声質が違う。では電話の向こう側にいたのだろうか。だとすれば、今ここで悠長に話をしている時間はない筈だ。
「この日本で、デルス・ウザーラのような生活で一生を終えても良いと、そう考えていた。だがここ二ヶ月ほどで、状況が急激に変わった」
「四月頃からか」
「そうだ。まず、この地域のどこかに財宝が隠されている、などという噂が立ち始めた。他愛のない噂だが、その噂は人々の記憶の底から、小森家の老人が何かを隠している、という事実を呼び起こした。地域の主婦たちの情報網というのは侮れんな」
「千花様が仰ってました。ご婦人方がそうした噂をしていたと」
「ここで私は確信した、それが私の探すべき物だと。さらには何者かが、どうやら横取りを狙っていると……」
「情報戦に長けた集団のようだな」
クジマは一旦話を切り、自動販売機で人数分の飲み物を買ってきた。少女たちにはミルクティーを渡し、自身は缶コーヒーの蓋を開ける。
「断っておくと、小森氏自身はおそらく、正当な代価を払ってそれを購入した筈だ。彼は盗人ではない。だが元を辿ると、祖国の混乱に乗じて盗まれたものなのだ。今は、この国の警察が追いかけているんだったね?」
「ああ。応援も呼んでいた」
「ならば大丈夫だろう」
「盗まれたものとは、一体何です?」
「……この国には無いほうがいい。そういうものだ。そして今、私に先んじてそれを手にしたのは、初瀬という男だ」
「初瀬!」
「知っている人物かね」
つい一時間ほど前まで一緒にいた男の名前は、中原たち四人を戦慄させた。一方かなたには、一つの疑問が芽生えていた。地下に閉じ込められた時、無言で縄梯子を下ろし、危害を加えることなく去ったのもやはり初瀬なのだろうか。
「さあ、後は警察に任せよう。この国の警察は優秀だ、私には一歩劣るがね」
「師匠には勝てないよね」
「柳君たちも怪我がなければ良いんですが」
「……帰りましょう、先生」
「ぼくちんは見ての通りツーリングたい。後ばついてきてはいけん」
柳澤と杏子は追跡を続けている。車載スピーカーでコンテナ車に停止を呼びかけたところで、素直に応じるはずもない。大型のコンテナ車相手では、アクション映画のように二人の乗る普通車をぶつけて強引に止める、などという真似もできない。また窃盗犯は三人、対して荒事に対応できるのは柳澤一人だ。検問などの応援体制が整っていない状況では、追跡して現在地を把握し、随時報告することしかできないのだ。そんな膠着状態の中、コンテナ車との車間距離が徐々に開きはじめた。
「気付かれたな」
「車が少なすぎますね」
柳澤はアクセルを踏み込み、スピードを上げる。回転灯やサイレンを出してはいないが、同じ車がずっと背後に付いていれば気取られて当然だ。走行性能では勝っているので振り切られることはないが、手出しもできない。
コンテナ車は交通量の少ない県道を東に向かって走り、県沿岸部に向かっているようだった。西日が時折コンテナ車のリアバンパーに反射し、柳澤の視界を遮った。
「応援は遠回りしてますね。海岸沿いを固めるみたいです」
「そのほうが助かるな。俺らが無理しなくても良さそうだ」
追跡開始から十分ほど過ぎると、田んぼに囲まれた直線道路に入った。コンテナ車がスピードを上げ、警察車両も追いすがる。
太陽を覆っていた薄雲が切れ、反射光に柳澤が目を細めた瞬間、コンテナ車は急減速した。柳澤は咄嗟にブレーキを踏むが加速していた勢いは殺ぎ切れず、タイヤが悲鳴のような擦過音を上げながらコンテナ車に追突した。
音と衝撃で吹き飛ばされた意識が戻ってきて、柳澤はゆっくり目を開けた。強烈な平手打ちを受けたような痛みが顔の左半分に残っている。車のフロントバンパーは潰れ、車内はエアバッグが膨らむ際に飛び散った粉末が煙のように充満している。助手席の杏子は、エアバッグにぶつかった衝撃で気を失ったようだ。
開いたコンテナの扉の奥に誰かが立っている。シートベルトを外して車外に出ようとするが、身体が思う通りに動かない。咳込みながら運転席のドアを開けて転げ出ると、コンテナの人影が口を開いた。
「すまないな柳澤刑事! あとで出頭するというのは嘘だ!」
「お前は、初瀬……?」
「悪いがここで捕まるわけにはいかない、為すべき仕事があるのでな。お互い、二度と会わないことを願おうじゃないか!」
「ふざけたことを……」
初瀬は自信に満ちた表情で朗々と言い放ち、勢い良く扉を閉めた。立ち上がる体力さえ今の柳澤には残っていない。コンテナ車が小さくなってゆく情景を、歯噛みして見送るしかなかった。
杏子の容態を確認し、安全のため車のイグニッションキーをオフにする。車載無線が使えないため携帯電話で雲雀野署と連絡を取ろうとすると、一台のバイクが柳澤たちの傍を走り抜けた。
「相手三人か、俺一人じゃきついな……進藤くん、無線で応援呼んでくれ。それからシッスル、さっき先輩をメールで呼んだって?」
「はい。女子寮に立ち入るのは嫌なので、今から届けに来るそうです」
「ここに直接来てもらったほうが良さそうだな」
「メールを送信します」
「ああ。それで進藤君、俺たちは三人を先輩に引き渡してから動こう。今んとこ人身に危害は及んでないそうだ」
「主任、拳銃は」
「もちろん置いてきた」
柳澤は千鶴との通話を切らず、逐一状況確認していた。幸い暴漢が押し入るような事態には至っていないが、物置の作業は着実に進んでいるようだ。やがて、コンテナ車のエンジンがすさまじい唸りを上げた。牽引車後部の油圧式リフトアームが、何かを持ち上げようとしている。土にまみれた船便輸送用の二〇フィートコンテナだ。リフトによって斜めに釣り上げられたコンテナの上から、解体現場のような轟音とともに物置が滑り落ちてゆく。五時間ほど前にかなたたちが侵入した物置だ。
亜沙美たち三人が閉じ込められていたのは、屋外に設置してから土を被せて隠蔽した、コンテナの内部だったのだ。
「なんだありゃ……船に積むコンテナか」
「中を見た時は貨物列車みたいだと思ったけど、港とかにあるあれか……」
「小森さん、異変があったらすぐに伝えてください。今はこっちも人数が少ないんで応援を待ってる状況です」
「一番近くのパトロールでも、あと十分はかかりそうです」
「ここで十分ロスは痛いな……」
「来ました」
亜沙美が告げたのは警察の応援ではなく、中原の到来だった。
「さすが先輩、肝心な時に間がいい」
道路西側から近づいてくる中原の車を、かなたが車外で手を振って誘導する。もう、自分にできることはこれくらいしかないだろう。
「先輩、この子らを頼みます」
「ずいぶん差し迫った状況のようで?」
「ご明答にございます」
「時間ないんでざっくりですけど、あのコンテナ車が強盗犯です」
「……強盗? そんな状況に」
「すぐに動くより、様子を見てあの車と逆の進路を取るほうが安全では?」
「そうだな、俺らはともかく子供らは。先輩、いざって時のためにエンジン切らないでてください。とりあえず今は一般人のフリで」
「わかりました」
「なんかすごいね、修羅場って感じ」
黄土色の土煙を上げて、物置は跡形もなく崩壊した。五メートルほどの高さまでコンテナが持ち上げられると、リフトアームがゆっくり折りたたまれてゆく。逆L字型をしたアームの可動部分が完全に閉じ終わると、三人の男たちは大急ぎでコンテナの土を払い落とす。二分ほどで清掃作業に見切りをつけ、コンテナ車は走り出した。
女生徒三人を中原の車に移し、警察車両の正規乗員二人は出発の機会を待った。東西に伸びる県道を、コンテナ車は東に向けてゆっくりと走行している。計画的な犯行の場合、交通違反で止められないよう乱暴な運転は避けるのが常道だ。すれ違いざまにコンテナ車の乗員を確認したが、柳澤の知る顔ではなかった。
「よし、行くか。現在地の連絡頼む」
「鑑識がこんなことをするのは不本意ですが、仕方ありません」
「まあ頑張れ。蓮見かなたの好きなドラマの鑑識官は、マフィアとの銃撃戦もこなしたぞ」
「気に入られるチャンスですね」
コンテナ車との距離を一〇〇メートルほど取り、柳澤の運転する車が追跡を開始する。中原たちには逆方向に行くよう念を押した。
「見てみたかったけど、さすがにちょっと怖いね」
物置の現場を見ていないせいか危機感の薄い美希が、残った四人の中で最初に口を開いた。
「ここに至っては、もう蓮見さんの趣味の世界ではないです。彼らに任せましょう」
「でも、あれ見つけたのかなたさんだよね? 凄いよねそういうの」
「え? いや、それほどの者で……す」
「そうなんですか……役に立つこともあるのか」
「何か言ったか」
後半部分は小声で、中原は呟いた。
「そういえば、本当は来週の日曜だって言ってたんだよね。何で早まったんだろう」
「侵入したのがまずかったのでは」
予定が早まったことについては、亜沙美の推論が事実である。
「昨日聞いた話では、確かにそう言っていたんだけど……勘付かれたか。それにしたって車の準備とかあるだろうに……」
「昨日そう言っていたのなら、予定通りですね」
「え?」
「カレンダーを思い浮かべてください。何なら英語の、曜日の歌でもいいです」
亜沙美は無表情で記憶を掘り起こし、美希は曜日の歌を口ずさみ、かなたは凍りついた。
物置入り口に設置された赤外線センサーが小森玲やかなたたちの進入を感知したため、深夜の予定が十時間ほど繰り上がったのだ。
「……つまらない勘違いを」
またも小声で呟くが、かなたは文句も言えずにフリーズしていた。
「で、でも、結局発見はできたわけだし」
「……それも、小森さんからの、電話だった……」
かなたのプライドは崩壊しつつある。
かなたの行動は犯行に多大な影響を与えている。だが、真実を知っている者はここにはいない。
雑談を切り上げてこの場を離れようと中原が周囲を見渡すと、西側から近づいてくる一台のバイクが見えた。クラシカルなデザインのバイクは徐々にスピードを落とし、中原たちのすぐそばに停まった。サイドスタンドを下ろしてフルフェイスヘルメットを脱ぐと、特に美希には馴染み深い顔があった。
「おや、あの人は」
「あ、師匠!」
左耳にイヤホンをしたクジマは穏やかな笑顔でコンニチワと挨拶し、美希は車を降りて出迎えた。
「ミキ、怪我はありませんか?」
「え? なんともないけど」
「そしてみなさんも無事で何よりです」
美希に続いて車から降りた三人に、クジマはそう挨拶した。
「あなたは、一体……」
「師匠……あれ? なんか言葉違くない?」
「すまないミキ、私は、君をずっと騙していた。私は親日家のおもしろロシア人などではなく、警察官なんだ」
「うん、それは聞いたよ。普通に喋れるのは知らなかったけど」
「私の使命は、祖国から盗まれたものを、探すことだった。……それが今走り去ったコンテナだ」
「あの中身が……?」
「正直なところ、もう見つからなくてもいいと半ば諦めていた。それならそれで良かったのだが……」
かなたは、昨日磐船講内で聞いた声を思い返していた。クジマとは明確に声質が違う。では電話の向こう側にいたのだろうか。だとすれば、今ここで悠長に話をしている時間はない筈だ。
「この日本で、デルス・ウザーラのような生活で一生を終えても良いと、そう考えていた。だがここ二ヶ月ほどで、状況が急激に変わった」
「四月頃からか」
「そうだ。まず、この地域のどこかに財宝が隠されている、などという噂が立ち始めた。他愛のない噂だが、その噂は人々の記憶の底から、小森家の老人が何かを隠している、という事実を呼び起こした。地域の主婦たちの情報網というのは侮れんな」
「千花様が仰ってました。ご婦人方がそうした噂をしていたと」
「ここで私は確信した、それが私の探すべき物だと。さらには何者かが、どうやら横取りを狙っていると……」
「情報戦に長けた集団のようだな」
クジマは一旦話を切り、自動販売機で人数分の飲み物を買ってきた。少女たちにはミルクティーを渡し、自身は缶コーヒーの蓋を開ける。
「断っておくと、小森氏自身はおそらく、正当な代価を払ってそれを購入した筈だ。彼は盗人ではない。だが元を辿ると、祖国の混乱に乗じて盗まれたものなのだ。今は、この国の警察が追いかけているんだったね?」
「ああ。応援も呼んでいた」
「ならば大丈夫だろう」
「盗まれたものとは、一体何です?」
「……この国には無いほうがいい。そういうものだ。そして今、私に先んじてそれを手にしたのは、初瀬という男だ」
「初瀬!」
「知っている人物かね」
つい一時間ほど前まで一緒にいた男の名前は、中原たち四人を戦慄させた。一方かなたには、一つの疑問が芽生えていた。地下に閉じ込められた時、無言で縄梯子を下ろし、危害を加えることなく去ったのもやはり初瀬なのだろうか。
「さあ、後は警察に任せよう。この国の警察は優秀だ、私には一歩劣るがね」
「師匠には勝てないよね」
「柳君たちも怪我がなければ良いんですが」
「……帰りましょう、先生」
「ぼくちんは見ての通りツーリングたい。後ばついてきてはいけん」
柳澤と杏子は追跡を続けている。車載スピーカーでコンテナ車に停止を呼びかけたところで、素直に応じるはずもない。大型のコンテナ車相手では、アクション映画のように二人の乗る普通車をぶつけて強引に止める、などという真似もできない。また窃盗犯は三人、対して荒事に対応できるのは柳澤一人だ。検問などの応援体制が整っていない状況では、追跡して現在地を把握し、随時報告することしかできないのだ。そんな膠着状態の中、コンテナ車との車間距離が徐々に開きはじめた。
「気付かれたな」
「車が少なすぎますね」
柳澤はアクセルを踏み込み、スピードを上げる。回転灯やサイレンを出してはいないが、同じ車がずっと背後に付いていれば気取られて当然だ。走行性能では勝っているので振り切られることはないが、手出しもできない。
コンテナ車は交通量の少ない県道を東に向かって走り、県沿岸部に向かっているようだった。西日が時折コンテナ車のリアバンパーに反射し、柳澤の視界を遮った。
「応援は遠回りしてますね。海岸沿いを固めるみたいです」
「そのほうが助かるな。俺らが無理しなくても良さそうだ」
追跡開始から十分ほど過ぎると、田んぼに囲まれた直線道路に入った。コンテナ車がスピードを上げ、警察車両も追いすがる。
太陽を覆っていた薄雲が切れ、反射光に柳澤が目を細めた瞬間、コンテナ車は急減速した。柳澤は咄嗟にブレーキを踏むが加速していた勢いは殺ぎ切れず、タイヤが悲鳴のような擦過音を上げながらコンテナ車に追突した。
音と衝撃で吹き飛ばされた意識が戻ってきて、柳澤はゆっくり目を開けた。強烈な平手打ちを受けたような痛みが顔の左半分に残っている。車のフロントバンパーは潰れ、車内はエアバッグが膨らむ際に飛び散った粉末が煙のように充満している。助手席の杏子は、エアバッグにぶつかった衝撃で気を失ったようだ。
開いたコンテナの扉の奥に誰かが立っている。シートベルトを外して車外に出ようとするが、身体が思う通りに動かない。咳込みながら運転席のドアを開けて転げ出ると、コンテナの人影が口を開いた。
「すまないな柳澤刑事! あとで出頭するというのは嘘だ!」
「お前は、初瀬……?」
「悪いがここで捕まるわけにはいかない、為すべき仕事があるのでな。お互い、二度と会わないことを願おうじゃないか!」
「ふざけたことを……」
初瀬は自信に満ちた表情で朗々と言い放ち、勢い良く扉を閉めた。立ち上がる体力さえ今の柳澤には残っていない。コンテナ車が小さくなってゆく情景を、歯噛みして見送るしかなかった。
杏子の容態を確認し、安全のため車のイグニッションキーをオフにする。車載無線が使えないため携帯電話で雲雀野署と連絡を取ろうとすると、一台のバイクが柳澤たちの傍を走り抜けた。
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