227 / 247
楽園の涯
7 山賊団のリースベット 3
しおりを挟む
「……あの時代はもう、あたしの頭の中だけにあればいい。戻る必要も、その気もない。ただ、離れるなら離れるで、付けとかなきゃならないけじめや、言っとかなきゃいけない言葉が、まだ残ってんだ。それを精算しに行く」
そんなもの投げ出したら――という言葉を、エステルは言えなかった。
――もしもリースベットが、自他の境界を冷淡に割り切ることができ、欲心と利得の打算だけで判断する人物だったなら、おそらく自分は今ここにいないだろう。自己という概念の範囲が広い、“そんなもの“まで自己の範疇に含めてしまうリースベットが中心にいたからこそ、ティーサンリードは子供が暮らせるほど安定的に日々を積み重ねてきたのだ。
「でもあんた、大丈夫なの? 戦争なんて」
「そうだな……今までやってきた山の中や狭い坑道での戦いとは、おそらくぜんぜん違うんだろうとは思う。そういう不安はあるよ」
「それはそうよね……」
「でも、あたしは今けっこう、晴れ晴れした気分なんだ」
「あら、どうして?」
「あたしは今までずっと、目の前で起きてることに、その場その場で対応してるだけだった気がする」
「いろんなことが、次々に起こったものね」
「ああ。でも、ここからようやく、自分で選んだ道を進めそうな気がするんだ」
穏やかで、少しだけ晴れやかな笑顔でリースベットは言う。
エステルはその顔を見て、リースベットを引き止める意思を失った。まるで思いが肚の奥で、粉雪が水に溶けるようにふわりと消えてしまったように感じた。
その柔らかな笑顔を思い浮かべると、エステルはどうしても、リースベットを引き止めるべきだったとは考えられなかった。
彼女の選択を身勝手だと謗る者もいる。山賊団の首領としてのリースベットという一側面のみを見れば、その非難も的外れではないだろう。
そんな単純さの枠に収まらない程度には、エステルはリースベットという個人を知っている。だからこそ、リースベットがノアの窮地を救いに向かうことは必然だったのであろうし、だからこそ、その結果としてリースベットが死んだという事実が、エステルはひどく悲しかった。
もしかしたら、何年か後に別の場所で、変わらぬ調子で権力者に悪態をついているリースベットに出会う――彼女が出ていってから数日間ほど抱いていたささやかな希望が、永遠に失われたのだ。
訃報を聞いたエステルは自室に丸一日閉じこもり、声を押し殺して泣いた。それでも翌日には彼女の仕事場に顔を出し、まるでそうすることが悲しみを鎮める薬だとでも言うように、山賊たちの食事を黙々と準備していた。
そんなもの投げ出したら――という言葉を、エステルは言えなかった。
――もしもリースベットが、自他の境界を冷淡に割り切ることができ、欲心と利得の打算だけで判断する人物だったなら、おそらく自分は今ここにいないだろう。自己という概念の範囲が広い、“そんなもの“まで自己の範疇に含めてしまうリースベットが中心にいたからこそ、ティーサンリードは子供が暮らせるほど安定的に日々を積み重ねてきたのだ。
「でもあんた、大丈夫なの? 戦争なんて」
「そうだな……今までやってきた山の中や狭い坑道での戦いとは、おそらくぜんぜん違うんだろうとは思う。そういう不安はあるよ」
「それはそうよね……」
「でも、あたしは今けっこう、晴れ晴れした気分なんだ」
「あら、どうして?」
「あたしは今までずっと、目の前で起きてることに、その場その場で対応してるだけだった気がする」
「いろんなことが、次々に起こったものね」
「ああ。でも、ここからようやく、自分で選んだ道を進めそうな気がするんだ」
穏やかで、少しだけ晴れやかな笑顔でリースベットは言う。
エステルはその顔を見て、リースベットを引き止める意思を失った。まるで思いが肚の奥で、粉雪が水に溶けるようにふわりと消えてしまったように感じた。
その柔らかな笑顔を思い浮かべると、エステルはどうしても、リースベットを引き止めるべきだったとは考えられなかった。
彼女の選択を身勝手だと謗る者もいる。山賊団の首領としてのリースベットという一側面のみを見れば、その非難も的外れではないだろう。
そんな単純さの枠に収まらない程度には、エステルはリースベットという個人を知っている。だからこそ、リースベットがノアの窮地を救いに向かうことは必然だったのであろうし、だからこそ、その結果としてリースベットが死んだという事実が、エステルはひどく悲しかった。
もしかしたら、何年か後に別の場所で、変わらぬ調子で権力者に悪態をついているリースベットに出会う――彼女が出ていってから数日間ほど抱いていたささやかな希望が、永遠に失われたのだ。
訃報を聞いたエステルは自室に丸一日閉じこもり、声を押し殺して泣いた。それでも翌日には彼女の仕事場に顔を出し、まるでそうすることが悲しみを鎮める薬だとでも言うように、山賊たちの食事を黙々と準備していた。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
虐げられた令嬢、ペネロペの場合
キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。
幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。
父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。
まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。
可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。
1話完結のショートショートです。
虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい……
という願望から生まれたお話です。
ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。
R15は念のため。
拾ったものは大切にしましょう~子狼に気に入られた男の転移物語~
ぽん
ファンタジー
⭐︎コミカライズ化決定⭐︎
2024年8月6日より配信開始
コミカライズならではを是非お楽しみ下さい。
⭐︎書籍化決定⭐︎
第1巻:2023年12月〜
第2巻:2024年5月〜
番外編を新たに投稿しております。
そちらの方でも書籍化の情報をお伝えしています。
書籍化に伴い[106話]まで引き下げ、レンタル版と差し替えさせて頂きます。ご了承下さい。
改稿を入れて読みやすくなっております。
可愛い表紙と挿絵はTAPI岡先生が担当して下さいました。
書籍版『拾ったものは大切にしましょう〜子狼に気に入られた男の転移物語〜』を是非ご覧下さい♪
==================
1人ぼっちだった相沢庵は住んでいた村の為に猟師として生きていた。
いつもと同じ山、いつもと同じ仕事。それなのにこの日は違った。
山で出会った真っ白な狼を助けて命を落とした男が、神に愛され転移先の世界で狼と自由に生きるお話。
初めての投稿です。書きたい事がまとまりません。よく見る異世界ものを書きたいと始めました。異世界に行くまでが長いです。
気長なお付き合いを願います。
よろしくお願いします。
※念の為R15をつけました
※本作品は2020年12月3日に完結しておりますが、2021年4月14日より誤字脱字の直し作業をしております。
作品としての変更はございませんが、修正がございます。
ご了承ください。
※修正作業をしておりましたが2021年5月13日に終了致しました。
依然として誤字脱字が存在する場合がございますが、ご愛嬌とお許しいただければ幸いです。
劣悪だと言われたハズレ加護の『空間魔法』を、便利だと思っているのは僕だけなのだろうか?
はらくろ
ファンタジー
海と交易で栄えた国を支える貴族家のひとつに、
強くて聡明な父と、優しくて活動的な母の間に生まれ育った少年がいた。
母親似に育った賢く可愛らしい少年は優秀で、将来が楽しみだと言われていたが、
その少年に、突然の困難が立ちはだかる。
理由は、貴族の跡取りとしては公言できないほどの、劣悪な加護を洗礼で授かってしまったから。
一生外へ出られないかもしれない幽閉のような生活を続けるよりも、少年は屋敷を出て行く選択をする。
それでも持ち前の強く非常識なほどの魔力の多さと、負けず嫌いな性格でその困難を乗り越えていく。
そんな少年の物語。
ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ
雑木林
ファンタジー
現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。
第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。
この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。
そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。
畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。
斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。
家族に辺境追放された貴族少年、実は天職が《チート魔道具師》で内政無双をしていたら、有能な家臣領民が続々と移住してきて本家を超える国力に急成長
ハーーナ殿下
ファンタジー
貴族五男ライルは魔道具作りが好きな少年だったが、無理解な義理の家族に「攻撃魔法もろくに使えない無能者め!」と辺境に追放されてしまう。ライルは自分の力不足を嘆きつつ、魔物だらけの辺境の開拓に一人で着手する。
しかし家族の誰も知らなかった。実はライルが世界で一人だけの《チート魔道具師》の才能を持ち、規格外な魔道具で今まで領地を密かに繁栄させていたことを。彼の有能さを知る家臣領民は、ライルの領地に移住開始。人の良いライルは「やれやれ、仕方がないですね」と言いながらも内政無双で受け入れ、口コミで領民はどんどん増えて栄えていく。
これは魔道具作りが好きな少年が、亡国の王女やエルフ族長の娘、親を失った子どもたち、多くの困っている人を受け入れ助け、規格外の魔道具で大活躍。一方で追放した無能な本家は衰退していく物語である。
勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる