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楽園の涯

2 山道にて 2

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 さまざまな疑惑の渦中かちゅうにいたエイデシュテットは、失踪したという行動によって、その身にかけられていたいくつもの嫌疑を事実だと認めたに等しい。たとえそのなかに冤罪えんざいが含まれていたとしても、彼は自己弁護の機会を、巨大な責任と罪とともに放棄しようとしていたのだ。
 リードホルムの中枢ちゅうすうにありながらノルドグレーンに通じていたエイデシュテットは、ジュニエス河谷かこくからの侵攻計画を事前に察知し、リードホルムの滅亡を確信――あるいは願望した。
 ヘルストランドを脱出した老宰相さいしょうは、ノルドグレーン東端の都市オルへスタルに潜伏し、国王による解任の宣旨せんじのないまま宰相となった。
 事前にこらされた密議により、ノルドグレーン国家情報局局長ハッセルブラードから特別通行許可証が届けられるまで、その町で待つ手はずになっていたのだ。許可証なくして、表向きには敵国の宰相であるエイデシュテットが、警備の厳重なベステルオースの門をくぐることはできない。
 行商人になどにふんして検問を抜けようにも、欲深く宝石や美術品といった私財を持ち出していたため、荷物をあらためられれば言い逃れるのは難しいのだ。

 半月ほど滞在していたオルヘスタルでは、エイデシュテットの心胆しんたんを寒からしめる小さな事件があった。
 滞在十日を過ぎた頃、元宰相が宿泊する宿の扉をノックする、剣を携えた青年の姿があった。
「ご老人、失礼ながら、いかなる目的でこのオルヘスタルに滞在なされておられるのですか?」
「……答える必要を認めん」
「では治安維持隊事務所までご同行を」
「拒否する」
「承知いたしました。……心変わりの際はいつでもご出頭ください」
 治安維持軍オルヘスタル駐屯ちゅうとん部隊のダール隊長が、宿に長逗留ながとうりゅうする身元の知れぬ老人に不審感を抱き、任意での同行を願い出たのだ。あくまで任意であるのでエイデシュテットは法にのっとって拒絶し、ダールもその時は規律を守って引き下がった。
 もしもダールが強欲で遵法じゅんぽう意識の薄い男であれば、強引な尋問の末にリードホルムの宰相であることを自白させていただろう。その場合、背信者の汚名と不法入国の罪を負ったエイデシュテットを、内通者のハッセルブラードがかばったかは疑わしい。
 エイデシュテットが意固地になって同行を拒否せず、財産を放棄して亡命でも申し出れば、ノルドグレーンは受け入れざるを得なかっただろう。だが彼は、その程度のいさぎよさも持ち合わせていなかった。
 エイデシュテットにとって幸いなことに、ダールが本格的な身辺調査を開始する前に、特別通行許可証は彼のもとに届けられた。

 エイデシュテットは深呼吸し、旅人から最も離れた椅子に腰掛けた。ロブネルは立ったまま、ところどころに見慣れぬきのこの生えた柱に背をもたせ掛け、周囲を見渡している。
 戦争によって社会が混乱している時期には、野盗などの活動が活発化する。男たちが兵士として戦争に行き、村落の自警団などが手薄になるためだ。
 ロブネルが休憩所の手すりに腰掛けると、黙りこくっていた旅人が唐突に口を開いた。
「……奇遇とは思わんか、こんなところで出会おうとは」
 旅人がフードを下ろし、怪訝けげんな顔のロブネルが顔を覗き込む。そこには見知った、しかしさほど親密ともいえない顔があった。
「てめえ……ミルヴェーデン……」
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