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ジュニエスの戦い
63 野心と偏執
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「ローセンダール様、どうかお下がりください」
座席から立ち上がり、身を乗り出してトールヴァルド・マイエルの軍勢を睨みつけるベアトリスを、親衛隊長オラシオ・ロードストレームが諌める。
彼女がこれほど血相を変えて指揮に当たる姿を、ロードストレームはこれまで見たことがなかった。
「大丈夫よ。現にマイエルの攻撃を三度も押し返したわ」
「しかし、敵の主力軍騎兵が迫っています。あれは無傷に近い部隊のはず」
「……ずいぶん弱気なことね、ロードストレーム」
「ベアトリス様にもしものことがあっては……」
「オラシオ、わたくしに卑怯者になれというの?! ローセンダール家の連中以上の」
決して我が身を危険にさらさず、財力と権力で他人を駆使するという仕方であらゆる争いに臨む――そんなローセンダール家の者たちのふるまいを、ベアトリスは心の底から厭悪している。その思いを知り共鳴するロードストレームは、ベアトリスの後退に関しては諦めざるを得なかった。
「では、グスタフソンの元から一部の兵を移動させましょう。それでもあちらは優勢のはず」
「……わかったわ」
ベアトリスも不承不承ながらに、ロードストレームの諫言を容れた。
彼女自身も心の片隅で、怒りに囚われ陣頭指揮にこだわりすぎていたことに気付きつつあったのだ。
マイエルに怒りを向ける者は、ベアトリスを始めとするノルドグレーン軍関係者以外にも存在する。
ラインフェルトの高弟アルフレド・マリーツは、苛立ちを隠しもせずに、ゆっくりと前線へ馬を進めていた。
「ラインフェルトの腰抜けめ。この期に及んで、湖の自陣側を迂回して戦場へ向かえ、だと……!」
「マリーツが言ってたように敵陣を駆け抜けてりゃ、敵をマイエルの部隊と挟み撃ちにできたってのにな」
「いよいよ老いさらばえて、攻め時が見えなくなったらしい」
「こっからじゃ戦場が遠すぎるぜ」
「まったくだ。これではマイエルどころか、主力軍の騎兵隊にまで戦功を横取りされてしまうではないか……それでは結局、いつまで経っても日陰者のままだ」
マリーツは副長のスオヴァネンと愚痴を言い合いながら、こまめに立ち止まり周囲を観察しつつ前進している。
彼らが立っている場所は、まだリードホルム軍の勢力下だ。マリーツ隊は騎兵と歩兵の混成部隊だが、歩兵に足並みをそろえているという様子でもない。
「なあマリーツ……お前ならできるって」
「だがな……」
スオヴァネンの言葉にマリーツが鼻白む。
「お前自身がいつも嘆いてたろ、この国の惨状を。いつまでも老人が地位を明け渡さねえおかげで、俺達はいつまで経っても這い上がれねえんだ」
スオヴァネンは両腕を広げ、身体を左右にゆする。
彼らの前方にはマイエルが、後方にはラインフェルトとレイグラーフがいる。いずれもマリーツとは親子ほども歳の離れた、歴戦の将たちだ。
「それに、この戦いに勝ったところで、どうせ国力の差は圧倒的だ。沈んでく船を漕ぎ続けたところで未来はねえぞ」
マリーツはしばらく考えたのち、スオヴァネンに向かってうなずいた。
「……わかった」
「それでこそアルフレド・マリーツだ。見ろ」
スオヴァネンは、ノルドグレーン軍への攻撃を繰り返すマイエルの部隊を指差した。
「あいつは今ノルドグレーンとの喧嘩にお熱だ。トールヴァルド・マイエルの首、これ以上の手土産はねえぞ」
「そうだな。証がなければ欺瞞を疑われるだろう」
「よしんば討ち取れねえまでも、奴の部隊に損害を与えりゃローセンダールとかいう指揮官も信用するだろう。ラインフェルトやレイグラーフを討っても、抜け出す前に他のリードホルム軍に囲まれるだろうが……前線にいるマイエルはちょうどいい獲物だ」
座席から立ち上がり、身を乗り出してトールヴァルド・マイエルの軍勢を睨みつけるベアトリスを、親衛隊長オラシオ・ロードストレームが諌める。
彼女がこれほど血相を変えて指揮に当たる姿を、ロードストレームはこれまで見たことがなかった。
「大丈夫よ。現にマイエルの攻撃を三度も押し返したわ」
「しかし、敵の主力軍騎兵が迫っています。あれは無傷に近い部隊のはず」
「……ずいぶん弱気なことね、ロードストレーム」
「ベアトリス様にもしものことがあっては……」
「オラシオ、わたくしに卑怯者になれというの?! ローセンダール家の連中以上の」
決して我が身を危険にさらさず、財力と権力で他人を駆使するという仕方であらゆる争いに臨む――そんなローセンダール家の者たちのふるまいを、ベアトリスは心の底から厭悪している。その思いを知り共鳴するロードストレームは、ベアトリスの後退に関しては諦めざるを得なかった。
「では、グスタフソンの元から一部の兵を移動させましょう。それでもあちらは優勢のはず」
「……わかったわ」
ベアトリスも不承不承ながらに、ロードストレームの諫言を容れた。
彼女自身も心の片隅で、怒りに囚われ陣頭指揮にこだわりすぎていたことに気付きつつあったのだ。
マイエルに怒りを向ける者は、ベアトリスを始めとするノルドグレーン軍関係者以外にも存在する。
ラインフェルトの高弟アルフレド・マリーツは、苛立ちを隠しもせずに、ゆっくりと前線へ馬を進めていた。
「ラインフェルトの腰抜けめ。この期に及んで、湖の自陣側を迂回して戦場へ向かえ、だと……!」
「マリーツが言ってたように敵陣を駆け抜けてりゃ、敵をマイエルの部隊と挟み撃ちにできたってのにな」
「いよいよ老いさらばえて、攻め時が見えなくなったらしい」
「こっからじゃ戦場が遠すぎるぜ」
「まったくだ。これではマイエルどころか、主力軍の騎兵隊にまで戦功を横取りされてしまうではないか……それでは結局、いつまで経っても日陰者のままだ」
マリーツは副長のスオヴァネンと愚痴を言い合いながら、こまめに立ち止まり周囲を観察しつつ前進している。
彼らが立っている場所は、まだリードホルム軍の勢力下だ。マリーツ隊は騎兵と歩兵の混成部隊だが、歩兵に足並みをそろえているという様子でもない。
「なあマリーツ……お前ならできるって」
「だがな……」
スオヴァネンの言葉にマリーツが鼻白む。
「お前自身がいつも嘆いてたろ、この国の惨状を。いつまでも老人が地位を明け渡さねえおかげで、俺達はいつまで経っても這い上がれねえんだ」
スオヴァネンは両腕を広げ、身体を左右にゆする。
彼らの前方にはマイエルが、後方にはラインフェルトとレイグラーフがいる。いずれもマリーツとは親子ほども歳の離れた、歴戦の将たちだ。
「それに、この戦いに勝ったところで、どうせ国力の差は圧倒的だ。沈んでく船を漕ぎ続けたところで未来はねえぞ」
マリーツはしばらく考えたのち、スオヴァネンに向かってうなずいた。
「……わかった」
「それでこそアルフレド・マリーツだ。見ろ」
スオヴァネンは、ノルドグレーン軍への攻撃を繰り返すマイエルの部隊を指差した。
「あいつは今ノルドグレーンとの喧嘩にお熱だ。トールヴァルド・マイエルの首、これ以上の手土産はねえぞ」
「そうだな。証がなければ欺瞞を疑われるだろう」
「よしんば討ち取れねえまでも、奴の部隊に損害を与えりゃローセンダールとかいう指揮官も信用するだろう。ラインフェルトやレイグラーフを討っても、抜け出す前に他のリードホルム軍に囲まれるだろうが……前線にいるマイエルはちょうどいい獲物だ」
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