上 下
185 / 247
ジュニエスの戦い

58 反撃

しおりを挟む
窮屈きゅうくつな戦場じゃのう……息が詰まるわい」
 猛禽もうきんのような目でジュニエス河谷かこくを見下ろしながら、トールヴァルド・マイエルは吐き捨てるように言った。
 他の軍馬が兎馬ロバに見えるほど巨大な馬にまたがり、軍旗のように長大な鈎槍かぎやりを手にしたマイエルは、先に布陣していた弓兵たちを押し退け南の丘の先端に出た。
 彼の背後には麾下きかの重装騎馬部隊2000騎が控え、マイエルの号令を今や遅しと待ち望んでいる。
 ぎょろつく目で戦況を観察するマイエルに、一騎の騎兵が駆け寄った。マイエルの部下とは装いの違うその男は、特別奇襲隊のトマス・ブリクストだ。
「お初お目にかかります。小官は特別奇襲隊の隊長、トマス・ブリクストであります」
「おう、隊の噂は聞いておる。ブリクストとやら、我に力を貸せ」
「おそれながら将軍、我らはこの地の守備を命じられております。それを放棄してこの丘を敵に奪われては、地の利を手放すことに」
「構わぬ。もとより時間稼ぎのための布陣よ。どうせこの丘からの射撃が届く位置ではもう戦わん」
「しかしそれでは、敵がレイグラーフ将軍の後背とソルモーサン砦に……」
「ならばレイグラーフと砦に受け止めさせればよい。あの古老と山小屋のような古塁こるいでも、そのぐらいの用には耐えよう……さあ、長々と議論している暇はないぞ」
「承知いたしました。して、我が隊は何をすれば……」
「我が敵陣に風穴を開けるが、痛手を与えている暇はない。貴様は傷口を広げ、敵を徹底的に叩くのだ。貴様らは駿馬しゅんめを揃えておるようだ、我らの鉄馬てつばよりも速かろう。我らの動きを見てからでも遅れを取らず行動できるはずだ。細かな判断は任す」
 ブリクストが敬礼して下がると、マイエルの部下たちがしびれを切らしたように前に進み出た。
「……皆の者、突撃じゃ。我に続け!」
 マイエルが叫び、馬が前足を挙げていななく。そして丘の急斜面を駆け下り始めた。
 重装騎馬部隊はマイエル自身を先頭に、ノルドグレーン軍の横腹に突撃してゆく。それは無謀とも言える突撃命令だったが、マイエルの部下たちはためらう素振りさえ見せずに追従した。
 密集陣形を取る重装歩兵に対して、ほんらい騎馬部隊は相性が悪い。大盾で守りを固める歩兵の前では、騎兵は防御を崩す前に長槍で突き殺されてしまう。
 だからこそレイグラーフは劣勢に陥っても騎兵を戦線に投入せず、敵の歩兵が隊列を崩すまで、じっと機会を伺っていたのだ。
 だがマイエルは、そんな基礎を無視するように重装歩兵に突撃し、その一角を見事に打ち破った。
 奇襲であればこその勝利でもあるのだが、マイエルには、そうした一見不合理な戦術を成功させる不思議な力がある――すくなくとも彼の部下たちはそう信じ込んでいた。
「敵が崩れたぞ!」
 リードホルムの前線部隊は気勢を上げ、マイエルの猛攻で混乱するノルドグレーンの部隊に畳み掛けるように攻撃を仕掛けた。
「ここが好機だ、押し返せ!」
「田舎者のノルドグレーン人め、この国から出ていけ!」
 右側面から突入してくる重装騎馬と、息を吹き返した歩兵部隊による正面からの反撃に、ノルドグレーン前線部隊は総崩れとなっていた。マイエル自身はすでに一陣を抜け、次の標的に槍の穂先を突き立てている。

「おお! すげえすげえ、騎馬が出てきた!」
 ジュニエス河谷北側の丘の上で、クリスティアン・カールソンが子供のようにはしゃいでマイエルの突撃を観戦していた。
「うむ……」
「なあ兄貴、サッソウと登場するヒーローってのは、あんな感じで出てくるもんかな?」
「そ、そうだな……」
 ラルフ・フェルディンの笑顔はわずかに引きつっている。
 彼がマイエルのように参戦しようと思っていたのかどうかは、定かではない。
しおりを挟む

処理中です...