181 / 247
ジュニエスの戦い
54 分水嶺
しおりを挟む
ジュニエス河谷北側の急峻な丘の上に、大人と子供のような二つの人影があった。
この場所は監視のためにわざわざ登る必要もなければ、戦場までの距離が大きすぎるため、よほどの強弓を用いない限り射撃も届かない。そんな場所に、わざわざ北側の緩やかな斜面へ迂回して登ってきた二人の男は、リードホルム、ノルドグレーンいずれの兵士でもなかった。
先をゆく青年はマントを空風にたなびかせ、白く染め抜いたグローブを額に掲げて日差しを遮る。その背後には、熊の毛皮を着込んだような防寒具に身を包んだ、熊のような体躯の大男が続く。人影が大人と子供のように見えたのは、一方が大きすぎるからだ。
「ああ、ここからなら、安全に戦場を見渡せそうだ」
「ずいぶん登ったぜ兄貴。少し休もうや……」
岩肌がむき出しの崖の上に立ち、ラルフ・フェルディンは周囲を見渡した。リードホルムとノルドグレーンの両軍が、穀粒のような大きさで一望できる。
クリスティアン・カールソンは背負っていた荷物を下ろし、岩肌の上に身を横たえていた。
「さてこの戦い、どう転ぶか……」
「ノルドグレーンのが強えんだろ?」
「数の上では圧倒的だ。加えて、ノルドグレーンは社会制度や男女の平等性という点で先進的な国でもある」
「ダンジョノビョウドウ……?」
「リードホルム軍に女性の姿は皆無だが、ノルドグレーンは総指揮官を始めとして女性士官が幾人かいるだろう? 戦場だけに、数は多くはないが……」
「いるだろう? っつわれても、人が麦粒ぐれえにしか見えねえよ」
カールソンは小さな目を細め、ノルドグレーン軍の陣を凝視する。
「まあつまり、ノルドグレーンのほうが正しいのか?」
「いや、道義的に理があるかどうかは、また別の話ではある。とくに今回の戦争はな」
「そうなのか」
「例えば僕らが追っていた、賞金首、というのはわかりやすい。ほとんどの場合、人々の生活を脅かす者たちだった」
「んで、結局どっちに付くんだ?」
「さて……どちらが正しいのか、どちらが僕の力を必要としているのか……。こういうときは」
「こういうときは?」
「わからない、と言う」
「わからない」
カールソンはしばらくのあいだ、口を半開きにして呆然としていた。
「兄貴でも分からねえことがあんのか」
「そうだ。わからないのだ。決して拙速に答えを出さず、わからないままでいる。それに……」
「それに?」
「ヒーローはいつだって、弱者の危機に颯爽と登場するものだ。今はまだその時ではない」
「そうなのか」
カールソンはふたたび、先程よりも長い時間、口を半開きにして呆然としていた。
「おや……? 対岸の丘がなんだか騒がしいようだが……」
フェルディンは目を細めて南の丘を見やった。
リードホルム軍の弓兵が陣取っている高台が騒然としている。
この場所は監視のためにわざわざ登る必要もなければ、戦場までの距離が大きすぎるため、よほどの強弓を用いない限り射撃も届かない。そんな場所に、わざわざ北側の緩やかな斜面へ迂回して登ってきた二人の男は、リードホルム、ノルドグレーンいずれの兵士でもなかった。
先をゆく青年はマントを空風にたなびかせ、白く染め抜いたグローブを額に掲げて日差しを遮る。その背後には、熊の毛皮を着込んだような防寒具に身を包んだ、熊のような体躯の大男が続く。人影が大人と子供のように見えたのは、一方が大きすぎるからだ。
「ああ、ここからなら、安全に戦場を見渡せそうだ」
「ずいぶん登ったぜ兄貴。少し休もうや……」
岩肌がむき出しの崖の上に立ち、ラルフ・フェルディンは周囲を見渡した。リードホルムとノルドグレーンの両軍が、穀粒のような大きさで一望できる。
クリスティアン・カールソンは背負っていた荷物を下ろし、岩肌の上に身を横たえていた。
「さてこの戦い、どう転ぶか……」
「ノルドグレーンのが強えんだろ?」
「数の上では圧倒的だ。加えて、ノルドグレーンは社会制度や男女の平等性という点で先進的な国でもある」
「ダンジョノビョウドウ……?」
「リードホルム軍に女性の姿は皆無だが、ノルドグレーンは総指揮官を始めとして女性士官が幾人かいるだろう? 戦場だけに、数は多くはないが……」
「いるだろう? っつわれても、人が麦粒ぐれえにしか見えねえよ」
カールソンは小さな目を細め、ノルドグレーン軍の陣を凝視する。
「まあつまり、ノルドグレーンのほうが正しいのか?」
「いや、道義的に理があるかどうかは、また別の話ではある。とくに今回の戦争はな」
「そうなのか」
「例えば僕らが追っていた、賞金首、というのはわかりやすい。ほとんどの場合、人々の生活を脅かす者たちだった」
「んで、結局どっちに付くんだ?」
「さて……どちらが正しいのか、どちらが僕の力を必要としているのか……。こういうときは」
「こういうときは?」
「わからない、と言う」
「わからない」
カールソンはしばらくのあいだ、口を半開きにして呆然としていた。
「兄貴でも分からねえことがあんのか」
「そうだ。わからないのだ。決して拙速に答えを出さず、わからないままでいる。それに……」
「それに?」
「ヒーローはいつだって、弱者の危機に颯爽と登場するものだ。今はまだその時ではない」
「そうなのか」
カールソンはふたたび、先程よりも長い時間、口を半開きにして呆然としていた。
「おや……? 対岸の丘がなんだか騒がしいようだが……」
フェルディンは目を細めて南の丘を見やった。
リードホルム軍の弓兵が陣取っている高台が騒然としている。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
美しい姉と痩せこけた妹
サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――
妹を見捨てた私 ~魅了の力を持っていた可愛い妹は愛されていたのでしょうか?~
紗綺
ファンタジー
何故妹ばかり愛されるの?
その答えは私の10歳の誕生日に判明した。
誕生日パーティで私の婚約者候補の一人が妹に魅了されてしまったことでわかった妹の能力。
『魅了の力』
無自覚のその力で周囲の人間を魅了していた。
お父様お母様が妹を溺愛していたのも魅了の力に一因があったと。
魅了の力を制御できない妹は魔法省の管理下に置かれることが決まり、私は祖母の実家に引き取られることになった。
新しい家族はとても優しく、私は妹と比べられることのない穏やかな日々を得ていた。
―――妹のことを忘れて。
私が嫁いだ頃、妹の噂が流れてきた。
魅了の力を制御できるようになり、制限つきだが自由を得た。
しかし実家は没落し、頼る者もなく娼婦になったと。
なぜこれまであの子へ連絡ひとつしなかったのかと、後悔と罪悪感が私を襲う。
それでもこの安寧を捨てられない私はただ祈るしかできない。
どうかあの子が救われますようにと。
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました
杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」
王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。
第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。
確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。
唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。
もう味方はいない。
誰への義理もない。
ならば、もうどうにでもなればいい。
アレクシアはスッと背筋を伸ばした。
そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺!
◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。
◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。
◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。
◆全8話、最終話だけ少し長めです。
恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。
◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。
◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。
◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03)
◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます!
9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!
〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。
江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。
了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。
テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。
それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。
やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには?
100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。
200話で完結しました。
今回はあとがきは無しです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる