178 / 247
ジュニエスの戦い
51 明日へ翔ぶ鳥 2
しおりを挟む
「そのアウグスティン自身さえ、虐げられ、利用され、嘲笑され続けてたのさ……おかげで、あんたみたいに、当たり前に倫理でものを言う人間に対する、強烈な反抗心があいつの性根に宿った。あいつは、まともな言葉に従うことは負けと一緒だ、とでも思ってたんじゃねえかな。それを幼稚だと笑うのは簡単だけど……」
「確かに、兄はどれほど親切心や道理に基づいて忠告を受けようと、聞き入れはしなかった」
「正しさに反抗すること自体が、もうあいつの立脚点になっちまってたんだ」
「当然だが幼い頃は、それほど頑冥ではではなかった。一体何が、兄をそこまで歪ませたのだ……」
「あの父親、リードホルム王家、ノルドグレーンとの関係……そういうもん全てが、もしかしたらバカでお人好しな普通の王様になれたかも知れねえ人間を、不安と憎悪に支配された怪物に変えたんだ」
「父は我ら兄弟を争わせ、ノルドグレーンは兄を利用し、自国に都合のいい王に仕立て上げようとしていた。それは誰か個人が望んだものではない。おそらく、国という制度そのものが望んでいる」
「そいつが、アウグスティンが死ぬまで囚われていた呪いの正体だ。あんたがさっき言ったろう、争いに負けたが最後、正しさも誇りも、全部勝者に飲み込まれちまう……そういう世界に生きてたら、よっぽど人格を陶冶した聖人でもねえかぎり、正しさより力に引き寄せられちまうよ」
ノアは戦慄した。リースベットを、あるいはリードホルムという国全体を苛んでいたものはアウグスティンやエイデシュテットという個人ではなく、権力や暴力といった力そのものだったと彼女は言う。
だとしたら、国家という機構と一体化するほど深く根を張った病根から、その中心に立とうとする自分は無縁でいられるはずがない。現にさっきまで、その暴力装置を用いて妹の立場を復権させようとしていたのだから。
そうした自分が先導する次代のリードホルム王国は、今と一体何が違うのだろう――
「アウグスティンは首を切り落とされる瞬間まで、そんな世界の住人だと自分を縛りつけてた。あたしは、あんたにだけは……」
リースベットの言葉は途切れ、ひどく悲しそうな笑顔を浮かべた。
「いや、あんたはいずれ、そんな世界の王として生きなきゃいけなんだよな……」
「リース、私は……」
「悪い。憂鬱になる話をしちまった」
リースベットは首を左右に振り、砦の外壁にもたせかけていた身体と両腕を伸ばした。その左腕をノアが掴む。
「いいんだ。リース、君は大事な話をしてくれた。私も忘れかけていたことを思い出せたよ」
「……それなら、よかった」
咄嗟に掴んだリースベットの左腕を、ノアはゆっくりと手放した。離れ際に指先が触れ合う。ふたりが緊張気味の顔でしばし見つめ合っていると、ランガス湖から水鳥が飛び立った。
「兄さんが王になったリードホルムは、確実に今よりはマシだよ。それは間違いない。少なくとも、力を振るうことに自制ができるもの」
「自制か……果たしてどこまで、自制的でいられるかな……」
「そんなら権力の暴走を監視する奴を雇ったり、王様に文句言っても罰せられない役職でも作ればいい。やり方は色々あるんじゃない?」
「そうか、権力を監視する、ということか……。いやそもそも、私が王になるかどうかは、一応まだわからないのだ」
取り越し苦労だとでもいうように、ノアは穏やかに笑う。
「……そうなの?」
「差し迫った話として、この戦いに負けたらリードホルムは終わりだ」
「ああ、そっちの話ね」
「ヘルストランドが落ちても、他にも拠点にできそうな都市はある。だが、王宮を移して抗戦しようにも、そもそも国内に戦力がほとんど残っていないのだ。徹底抗戦も不可能ではないが……その場合、リードホルムの国土と国民の犠牲は計り知れないものとなるだろう」
「総力戦をやる気はない、ってことか」
ひどく悲観的な未来予測をしているというのに、ノアの表情にさほど沈んだ様子はない。
リースベットは飛び上がって外壁に腰掛け、粉ガラスを散らしたような星空を見上げた。
「じゃあ……負けたら逃げようか、あたしと一緒に」
「確かに、兄はどれほど親切心や道理に基づいて忠告を受けようと、聞き入れはしなかった」
「正しさに反抗すること自体が、もうあいつの立脚点になっちまってたんだ」
「当然だが幼い頃は、それほど頑冥ではではなかった。一体何が、兄をそこまで歪ませたのだ……」
「あの父親、リードホルム王家、ノルドグレーンとの関係……そういうもん全てが、もしかしたらバカでお人好しな普通の王様になれたかも知れねえ人間を、不安と憎悪に支配された怪物に変えたんだ」
「父は我ら兄弟を争わせ、ノルドグレーンは兄を利用し、自国に都合のいい王に仕立て上げようとしていた。それは誰か個人が望んだものではない。おそらく、国という制度そのものが望んでいる」
「そいつが、アウグスティンが死ぬまで囚われていた呪いの正体だ。あんたがさっき言ったろう、争いに負けたが最後、正しさも誇りも、全部勝者に飲み込まれちまう……そういう世界に生きてたら、よっぽど人格を陶冶した聖人でもねえかぎり、正しさより力に引き寄せられちまうよ」
ノアは戦慄した。リースベットを、あるいはリードホルムという国全体を苛んでいたものはアウグスティンやエイデシュテットという個人ではなく、権力や暴力といった力そのものだったと彼女は言う。
だとしたら、国家という機構と一体化するほど深く根を張った病根から、その中心に立とうとする自分は無縁でいられるはずがない。現にさっきまで、その暴力装置を用いて妹の立場を復権させようとしていたのだから。
そうした自分が先導する次代のリードホルム王国は、今と一体何が違うのだろう――
「アウグスティンは首を切り落とされる瞬間まで、そんな世界の住人だと自分を縛りつけてた。あたしは、あんたにだけは……」
リースベットの言葉は途切れ、ひどく悲しそうな笑顔を浮かべた。
「いや、あんたはいずれ、そんな世界の王として生きなきゃいけなんだよな……」
「リース、私は……」
「悪い。憂鬱になる話をしちまった」
リースベットは首を左右に振り、砦の外壁にもたせかけていた身体と両腕を伸ばした。その左腕をノアが掴む。
「いいんだ。リース、君は大事な話をしてくれた。私も忘れかけていたことを思い出せたよ」
「……それなら、よかった」
咄嗟に掴んだリースベットの左腕を、ノアはゆっくりと手放した。離れ際に指先が触れ合う。ふたりが緊張気味の顔でしばし見つめ合っていると、ランガス湖から水鳥が飛び立った。
「兄さんが王になったリードホルムは、確実に今よりはマシだよ。それは間違いない。少なくとも、力を振るうことに自制ができるもの」
「自制か……果たしてどこまで、自制的でいられるかな……」
「そんなら権力の暴走を監視する奴を雇ったり、王様に文句言っても罰せられない役職でも作ればいい。やり方は色々あるんじゃない?」
「そうか、権力を監視する、ということか……。いやそもそも、私が王になるかどうかは、一応まだわからないのだ」
取り越し苦労だとでもいうように、ノアは穏やかに笑う。
「……そうなの?」
「差し迫った話として、この戦いに負けたらリードホルムは終わりだ」
「ああ、そっちの話ね」
「ヘルストランドが落ちても、他にも拠点にできそうな都市はある。だが、王宮を移して抗戦しようにも、そもそも国内に戦力がほとんど残っていないのだ。徹底抗戦も不可能ではないが……その場合、リードホルムの国土と国民の犠牲は計り知れないものとなるだろう」
「総力戦をやる気はない、ってことか」
ひどく悲観的な未来予測をしているというのに、ノアの表情にさほど沈んだ様子はない。
リースベットは飛び上がって外壁に腰掛け、粉ガラスを散らしたような星空を見上げた。
「じゃあ……負けたら逃げようか、あたしと一緒に」
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
みそっかすちびっ子転生王女は死にたくない!
沢野 りお
ファンタジー
【書籍化します!】2022年12月下旬にレジーナブックス様から刊行されることになりました!
定番の転生しました、前世アラサー女子です。
前世の記憶が戻ったのは、7歳のとき。
・・・なんか、病的に痩せていて体力ナシでみすぼらしいんだけど・・・、え?王女なの?これで?
どうやら亡くなった母の身分が低かったため、血の繋がった家族からは存在を無視された、みそっかすの王女が私。
しかも、使用人から虐げられていじめられている?お世話も満足にされずに、衰弱死寸前?
ええーっ!
まだ7歳の体では自立するのも無理だし、ぐぬぬぬ。
しっかーし、奴隷の亜人と手を組んで、こんなクソ王宮や国なんか出て行ってやる!
家出ならぬ、王宮出を企てる間に、なにやら王位継承を巡ってキナ臭い感じが・・・。
えっ?私には関係ないんだから巻き込まないでよ!ちょっと、王族暗殺?継承争い勃発?亜人奴隷解放運動?
そんなの知らなーい!
みそっかすちびっ子転生王女の私が、城出・出国して、安全な地でチート能力を駆使して、ワハハハハな生活を手に入れる、そんな立身出世のお話でぇーす!
え?違う?
とりあえず、家族になった亜人たちと、あっちのトラブル、こっちの騒動に巻き込まれながら、旅をしていきます。
R15は保険です。
更新は不定期です。
「みそっかすちびっ子王女の転生冒険ものがたり」を改訂、再up。
2021/8/21 改めて投稿し直しました。
平凡冒険者のスローライフ
上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。
平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。
果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか……
ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。
追い出された万能職に新しい人生が始まりました
東堂大稀(旧:To-do)
ファンタジー
「お前、クビな」
その一言で『万能職』の青年ロアは勇者パーティーから追い出された。
『万能職』は冒険者の最底辺職だ。
冒険者ギルドの区分では『万能職』と耳触りのいい呼び方をされているが、めったにそんな呼び方をしてもらえない職業だった。
『雑用係』『運び屋』『なんでも屋』『小間使い』『見習い』。
口汚い者たちなど『寄生虫」と呼んだり、あえて『万能様』と皮肉を効かせて呼んでいた。
要するにパーティーの戦闘以外の仕事をなんでもこなす、雑用専門の最下級職だった。
その底辺職を7年も勤めた彼は、追い出されたことによって新しい人生を始める……。
分析スキルで美少女たちの恥ずかしい秘密が見えちゃう異世界生活
SenY
ファンタジー
"分析"スキルを持って異世界に転生した主人公は、相手の力量を正確に見極めて勝てる相手にだけ確実に勝つスタイルで短期間に一財を為すことに成功する。
クエスト報酬で豪邸を手に入れたはいいものの一人で暮らすには広すぎると悩んでいた主人公。そんな彼が友人の勧めで奴隷市場を訪れ、記憶喪失の美少女奴隷ルナを購入したことから、物語は動き始める。
これまで危ない敵から逃げたり弱そうな敵をボコるのにばかり"分析"を活用していた主人公が、そのスキルを美少女の恥ずかしい秘密を覗くことにも使い始めるちょっとエッチなハーレム系ラブコメ。
公爵家長男はゴミスキルだったので廃嫡後冒険者になる(美味しいモノが狩れるなら文句はない)
音爽(ネソウ)
ファンタジー
記憶持ち転生者は元定食屋の息子。
魔法ありファンタジー異世界に転生した。彼は将軍を父に持つエリートの公爵家の嫡男に生まれかわる。
だが授かった職業スキルが「パンツもぐもぐ」という謎ゴミスキルだった。そんな彼に聖騎士の弟以外家族は冷たい。
見習い騎士にさえなれそうもない長男レオニードは廃嫡後は冒険者として生き抜く決意をする。
「ゴミスキルでも美味しい物を狩れれば満足だ」そんな彼は前世の料理で敵味方の胃袋を掴んで魅了しまくるグルメギャグ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる