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ジュニエスの戦い

51 明日へ翔ぶ鳥 2

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「そのアウグスティン自身さえ、しいたげられ、利用され、嘲笑ちょうしょうされ続けてたのさ……おかげで、あんたみたいに、当たり前に倫理でものを言う人間に対する、強烈な反抗心があいつの性根しょうねに宿った。あいつは、まともな言葉に従うことは負けと一緒だ、とでも思ってたんじゃねえかな。それを幼稚だと笑うのは簡単だけど……」
「確かに、兄はどれほど親切心や道理に基づいて忠告を受けようと、聞き入れはしなかった」
「正しさに反抗すること自体が、もうあいつの立脚点になっちまってたんだ」
「当然だが幼い頃は、それほど頑冥がんめいではではなかった。一体何が、兄をそこまで歪ませたのだ……」
「あの父親、リードホルム王家、ノルドグレーンとの関係……そういうもん全てが、もしかしたらバカでお人好しな普通の王様になれたかも知れねえ人間を、不安と憎悪に支配された怪物に変えたんだ」
「父は我ら兄弟を争わせ、ノルドグレーンは兄を利用し、自国に都合のいい王に仕立て上げようとしていた。それは誰か個人が望んだものではない。おそらく、国という制度そのものが望んでいる」
「そいつが、アウグスティンが死ぬまで囚われていた呪いの正体だ。あんたがさっき言ったろう、争いに負けたが最後、正しさも誇りも、全部勝者に飲み込まれちまう……そういう世界に生きてたら、よっぽど人格を陶冶とうやした聖人でもねえかぎり、正しさより力に引き寄せられちまうよ」
 ノアは戦慄せんりつした。リースベットを、あるいはリードホルムという国全体をさいなんでいたものはアウグスティンやエイデシュテットという個人ではなく、権力や暴力といった力そのものだったと彼女は言う。
 だとしたら、国家という機構と一体化するほど深く根を張った病根びょうこんから、その中心に立とうとする自分は無縁でいられるはずがない。現にさっきまで、その暴力装置を用いて妹の立場を復権させようとしていたのだから。
 そうした自分が先導する次代のリードホルム王国は、今と一体何が違うのだろう――
「アウグスティンは首を切り落とされる瞬間まで、そんな世界の住人だと自分を縛りつけてた。あたしは、あんたにだけは……」
 リースベットの言葉は途切れ、ひどく悲しそうな笑顔を浮かべた。
「いや、あんたはいずれ、そんな世界の王として生きなきゃいけなんだよな……」
「リース、私は……」
「悪い。憂鬱ゆううつになる話をしちまった」
 リースベットは首を左右に振り、砦の外壁にもたせかけていた身体と両腕を伸ばした。その左腕をノアがつかむ。
「いいんだ。リース、君は大事な話をしてくれた。私も忘れかけていたことを思い出せたよ」
「……それなら、よかった」
 咄嗟とっさに掴んだリースベットの左腕を、ノアはゆっくりと手放した。離れ際に指先が触れ合う。ふたりが緊張気味の顔でしばし見つめ合っていると、ランガス湖から水鳥が飛び立った。
「兄さんが王になったリードホルムは、確実に今よりはマシだよ。それは間違いない。少なくとも、力を振るうことに自制ができるもの」
「自制か……果たしてどこまで、自制的でいられるかな……」
「そんなら権力の暴走を監視する奴を雇ったり、王様に文句言っても罰せられない役職でも作ればいい。やり方は色々あるんじゃない?」
「そうか、権力を監視する、ということか……。いやそもそも、私が王になるかどうかは、一応まだわからないのだ」
 取り越し苦労だとでもいうように、ノアは穏やかに笑う。
「……そうなの?」
「差し迫った話として、この戦いに負けたらリードホルムは終わりだ」
「ああ、の話ね」
「ヘルストランドが落ちても、他にも拠点にできそうな都市はある。だが、王宮を移して抗戦しようにも、そもそも国内に戦力がほとんど残っていないのだ。徹底抗戦も不可能ではないが……その場合、リードホルムの国土と国民の犠牲は計り知れないものとなるだろう」
「総力戦をやる気はない、ってことか」
 ひどく悲観的な未来予測をしているというのに、ノアの表情にさほど沈んだ様子はない。
 リースベットは飛び上がって外壁に腰掛け、粉ガラスを散らしたような星空を見上げた。
「じゃあ……負けたら逃げようか、あたしと一緒に」
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