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ジュニエスの戦い

14 軍議 2

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「……だがここへ来て、その前例は崩壊したと言ってよい。敵はランバンデット湖のほとりに、大規模な前線基地を築いておる」
「なんですと?!」
「前線基地というとありふれて聞こえようが……町を築いている、と言ったほうが想像がしやすかろう。それほどの規模のものだ」
 ミュルダールの説明にレイグラーフが補足する。
「山中に町を築く……ノルドグレーンの力を持ってすればこそ、か」
 ノアは思わず感歎かんたんのつぶやきをこぼした。
 この軍事拠点の出現は、とつぜん降っていた話ではない。
 中心となって計画を動かしていたのは、ノルドグレーンでも屈指の有力者であるローセンダール家だった。長い時間と莫大な私費を投じて峻厳しゅんげんなノーラント山脈の山道を整備し、安全に建設資材を運搬できる体勢を整えた上で築き上げられたものだ。
「な、なぜそうなるまで、状況を放置していたのだ軍務長官!」
 ステーンハンマルが声を荒げた。軍務省はここに至るまで事態を傍観していた、と多くの者は感じており、内容面ではもっともな批判である。
「……同盟がありましたからな。いたずらに手を出すことはできなかったのです」
 その言葉に、フォッシェルを含む列席者全員が押し黙った。
 ノルドグレーン軍への攻撃の禁止は、ヴィルヘルム三世によって厳命げんめいされていたのだ。
 実際のところ、ヘルストランドから遠く離れた南方の地域では、幾度か偶発的な遭遇戦が起きたこともあった。だが国王の膝下ひざもととも言えるソルモーサン砦では、命令は固く守られていた。
 無論、山道整備の先にあるものをミュルダールは危惧きぐし、幾度かヴィルヘルムへ具申ぐしんも行っていた。それをれたヴィルヘルムからノルドグレーン大公オリアンへの苦言も届けられてはいたのだが、ローセンダール家がそれに従わず強行していたのである。形式的な代表者に過ぎないノルドグレーン大公では、私兵すら備えているローセンダール家を抑えることはできなかったのだ。
 ノアがふと顔を上げ、軍事関係者たちに質問する。
「では、拠点建設中の敵に対し、こちらから攻めかかることはできませんか?」
 ミュルダール以外の長官たちが何人かうなずく。彼らの中にも、同様の疑問を持った者がいたようだ。
「難しい、と言わざるを得ないでしょう。ランバンデット湖との間は、足を滑らせやすい地衣ちい類に覆われた岩肌の斜面、岩だらけの渓谷と森、そのような地形ばかりです。おそらくは、そういった場所に兵を伏せてあるでしょうな」
 ノアの疑問を受けて、ラインフェルトがそう説明した。並ぶ者のない軍略家の言葉に、全員が腕組みをして暗くうめき。言葉をつぐんだ。
「敵は充実した補給地で英気を養い、陣容を整え、かと言って我々は、これまでその恩恵に浴し続けてきた天然の要害ようがいに阻まれ、手を出すこともできんか……」
「ノルドグレーンが態勢を整えるのを、指をくわえて見ていることしかできぬとは……」
「この際です、敵が長期戦の構えなら、こちらも時間を使いましょう。外交ルートから手を回す、一兵でも多く数を揃える……やれることはあるはずです」
「ノア王子の言われる通り。そのための六長官会議なのですからな」
「……傭兵などでもよければ、私もいくつか心当たりがあります」
「事ここに至っては、傭兵などを独立部隊として活用するのも良いでしょう。既存の部隊に組み込んでは、命令伝達や連携に支障をきたす恐れがあります」
 全員の視線がノアに集まり、ようやく、議論がわずかに前進した。
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