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ジュニエスの戦い

4 時代の旗手2

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「たびたび『あの子』と仰っていますが……?」
「差し向けた刺客よ。あなたよりもさらに若い娘……名はアウロラと言ったかしら」
「リーパーだったのでしょう? ……大魚をいっするとはエディットさんらしくもない」
「ちょっと迷ってはいたのよねえ。力は確かでも扱いは難しい燃え盛る炎、うっかり足元に落としたら、たちまち燎原りょうげんの火に包まれるのは私よ」
「そうした炎を制御なさるのはお得意でしょうに」
「ふふ、まあね」
 二人はともに、野心的な笑みを浮かべた。
 アウロラのリースベット暗殺が成功するかどうかに関わらず、エディットはアウロラの生活を密かに支援しようと考えていた。そうしてハリネズミのように警戒心を尖らせていたアウロラを懐柔かいじゅうし、内務省直属の、あるいはエディット自身に対してのみ忠実なリーパーに仕立て上げる腹積もりでいたのだった。
 その場合のアウロラとアルフォンスたちは、物質的にはより豊かな生活を送れていただろう。
 だが、内務省が表向きに管轄する治安維持や地方行政といった業務の裏で行われる、反乱分子の逮捕や他国の間諜スピオニエラの暗殺などに、アウロラの実直な精神は耐えられただろうか。
「あの子が私を頼って来るようなことがあれば、その機会もあったのだけど……まあ、昔話はよしましょう」
「機会……そう、機を見ることは重要ですわね」
「失敗ができないものねえ……なにしろ敵が多くて、お互い」
「不愉快な時代ですわ……」
 二人はノルドグレーンでもまだまだ珍しい「社会的地位を得た女性」だった。
 この点に関してベアトリスは特に、ローセンダール家の財力によって地位を得ただけと見られがちだ。現在の彼女を構成する一要素に家柄が含まれることは否定し得ない。エディットもはじめは、物好きな良家のわがまま令嬢、という程度にしか見ていなかった。
 だがベアトリス自身が戦陣に立って戦果を上げ、敵に関する情報収集を彼女自身が労をいとわず行う姿を目の当たりにし、その認識を改めざるを得なかった。
 ベアトリスは四年前、各省に散在する、リードホルム軍の人員や部隊構成に関する資料を渉猟しょうりょうして回っていた。エディットとはその際に出会う。以後ふたりは、年齢こそ十以上も離れていても、お互いの知性を認め合う間柄となったのだ。
「ところで、今回の侵攻経路は北東のノーラント山脈越えと聞いたけど。大丈夫なの?」
「問題ございません。ずっとこの日のため、ローセンダール家の財まで注いで下準備を進めていたのですから」
「気候も味方しているわね。今年は随分温かいわ」
「ええ。いよいよ時代が変わりますわ。オリアン公とリードホルム王という、ノルドグレーンの養分を吸う寄生木やどりぎ、わたくしが断ち切ってご覧に入れます」
 ベアトリスは自信ありげに菫青石アイオライトの瞳を輝かせた。
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