上 下
128 / 247
ジュニエスの戦い

1 同盟破棄

しおりを挟む
 リースベットたちが近衛兵を撃退して以後、リードホルムを取り巻く情勢は大きく変わりつつあった。
 ヘルストランドの北西に位置するソルモーサン砦から、ノルドグレーン軍の侵攻がほぼ確実であるとの報が届けられた。
 以前より、ノルドグレーンがソルモーサン砦に通じる山道を整備しているという報告はたびたび寄せられている。だがノルドグレーン軍本隊には動きはなく、軍務長官ミュルダールは監視の強化を命じるにとどめていた。それが近衛兵の敗北以後、ソルモーサン砦に最も近いノルドグレーンの山岳都市グラディスに、続々と兵が集まりつつあるという。
 ソルモーサンとグラディスの間にはノーラント山脈の稜線りょうせん屹立きつりつしている。これが長きに渡って両国の版図をほぼ固定化させていたが、ノルドグレーンはついにその境界線を踏破とうはしようと兵を挙げたのだった。
 状況が確実なものとなり、その情報は国王ヴィルヘルム三世の耳にも届けられた。

 時の黎明館ツー・グリーニンでは、近年なかった事態に使用人たちが困惑していた。
 館の主である国王ヴィルヘルム三世はこれまで、少なくとも彼ら彼女らにとっては、気性が穏やかで仕えやすい主人だった。だがその「温厚な国王様」が、些細な落ち度にも怒りをあらわにする狭量きょうりょうな暴君へと変わり果てていた。
 その理由こそがノルドグレーン軍の侵攻だ。
 リードホルムとノルドグレーンは、八十七年前のターラナ戦争以後は盟約を結び、以後大規模な軍事的衝突は起こっていない。
 さらにノルドグレーン大公オリアンとの密約により、ヴィルヘルムの地位は退位までの間は保全されるはずだった。だがノルドグレーンはそれらを反故にし、圧倒的な軍事力でその地位を脅かそうとしている。
 明確な同盟破棄は宣言されていないものの、その意図はすでに明白と言えるところまで事態は進展していた。
「おのれオリアンめ、臣下の分際で……」
 謁見えっけんの間の玉座で、ヴィルヘルムは憎しみを込めて吐き捨てた。
 ノルドグレーン大公オリアンは、形式上は宗主国リードホルムの国王によって任命された臣下という立場だが、これはもはや形骸けいがい化している。宗主国とは名ばかりで、両国の力関係はノルドグレーンの圧倒的優位となって久しい。
 そんな情勢下で、密約が交わされたのは二十年前のことだ。ノルドグレーン内での地位を欲したオリアンが、ヴィルヘルムに自らを大公に任命させる見返りに、陰から王権を支えることを約束したのだった。
 苛立ちを抑えきれないヴィルヘルムの眼前には、五人の近衛兵が拝跪はいきしている。
 戦死したアムレアンと反目し合っていた、もうひとりの近衛兵隊長であるエリオット・フリークルンド、副隊長のキム・ハセリウス、それにアムレアンの配下だった三人の近衛兵たちだ。
 この謁見は、旧アムレアン隊の生き残りをフリークルンド隊に編入するための任命式のはずだった。だが当のヴィルヘルムはアムレアンの死因を思い起こすと、たちまち瞋恚しんいの炎にその身をとらわれてしまっていた。
「そもそもリースベットがアムレアンに大人しく討たれておれば、このような事態にはならなかったのだ。王家に仇なすあぶれ者めが……」
 岩を荒く削り出したような無骨な顔を上げ、フリークルンドが口を開いた。
「陛下……その一件は、アムレアンのみに任せた俺にも責任の一端いったんがあろうかと存じます。ご下命かめいいただけば、必ずや逆賊が首をこの手で……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

ヒューストン家の惨劇とその後の顛末

よもぎ
恋愛
照れ隠しで婚約者を罵倒しまくるクソ野郎が実際結婚までいった、その後のお話。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】やり直しの人形姫、二度目は自由に生きていいですか?

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
「俺の愛する女性を虐げたお前に、生きる道などない! 死んで贖え」  これが婚約者にもらった最後の言葉でした。  ジュベール国王太子アンドリューの婚約者、フォンテーヌ公爵令嬢コンスタンティナは冤罪で首を刎ねられた。  国王夫妻が知らぬ場で行われた断罪、王太子の浮気、公爵令嬢にかけられた冤罪。すべてが白日の元に晒されたとき、人々の祈りは女神に届いた。  やり直し――与えられた機会を最大限に活かすため、それぞれが独自に動き出す。  この場にいた王侯貴族すべてが記憶を持ったまま、時間を逆行した。人々はどんな未来を望むのか。互いの思惑と利害が入り混じる混沌の中、人形姫は幸せを掴む。  ※ハッピーエンド確定  ※多少、残酷なシーンがあります 2022/10/01 FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、二次選考通過 2022/07/29 FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、一次選考通過 2021/07/07 アルファポリス、HOT3位 2021/10/11 エブリスタ、ファンタジートレンド1位 2021/10/11 小説家になろう、ハイファンタジー日間28位 【表紙イラスト】伊藤知実さま(coconala.com/users/2630676) 【完結】2021/10/10 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

処理中です...