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ジュニエスの戦い
1 同盟破棄
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リースベットたちが近衛兵を撃退して以後、リードホルムを取り巻く情勢は大きく変わりつつあった。
ヘルストランドの北西に位置するソルモーサン砦から、ノルドグレーン軍の侵攻がほぼ確実であるとの報が届けられた。
以前より、ノルドグレーンがソルモーサン砦に通じる山道を整備しているという報告はたびたび寄せられている。だがノルドグレーン軍本隊には動きはなく、軍務長官ミュルダールは監視の強化を命じるにとどめていた。それが近衛兵の敗北以後、ソルモーサン砦に最も近いノルドグレーンの山岳都市グラディスに、続々と兵が集まりつつあるという。
ソルモーサンとグラディスの間にはノーラント山脈の稜線が屹立している。これが長きに渡って両国の版図をほぼ固定化させていたが、ノルドグレーンはついにその境界線を踏破しようと兵を挙げたのだった。
状況が確実なものとなり、その情報は国王ヴィルヘルム三世の耳にも届けられた。
時の黎明館では、近年なかった事態に使用人たちが困惑していた。
館の主である国王ヴィルヘルム三世はこれまで、少なくとも彼ら彼女らにとっては、気性が穏やかで仕えやすい主人だった。だがその「温厚な国王様」が、些細な落ち度にも怒りを顕にする狭量な暴君へと変わり果てていた。
その理由こそがノルドグレーン軍の侵攻だ。
リードホルムとノルドグレーンは、八十七年前のターラナ戦争以後は盟約を結び、以後大規模な軍事的衝突は起こっていない。
さらにノルドグレーン大公オリアンとの密約により、ヴィルヘルムの地位は退位までの間は保全されるはずだった。だがノルドグレーンはそれらを反故にし、圧倒的な軍事力でその地位を脅かそうとしている。
明確な同盟破棄は宣言されていないものの、その意図はすでに明白と言えるところまで事態は進展していた。
「おのれオリアンめ、臣下の分際で……」
謁見の間の玉座で、ヴィルヘルムは憎しみを込めて吐き捨てた。
ノルドグレーン大公オリアンは、形式上は宗主国リードホルムの国王によって任命された臣下という立場だが、これはもはや形骸化している。宗主国とは名ばかりで、両国の力関係はノルドグレーンの圧倒的優位となって久しい。
そんな情勢下で、密約が交わされたのは二十年前のことだ。ノルドグレーン内での地位を欲したオリアンが、ヴィルヘルムに自らを大公に任命させる見返りに、陰から王権を支えることを約束したのだった。
苛立ちを抑えきれないヴィルヘルムの眼前には、五人の近衛兵が拝跪している。
戦死したアムレアンと反目し合っていた、もうひとりの近衛兵隊長であるエリオット・フリークルンド、副隊長のキム・ハセリウス、それにアムレアンの配下だった三人の近衛兵たちだ。
この謁見は、旧アムレアン隊の生き残りをフリークルンド隊に編入するための任命式のはずだった。だが当のヴィルヘルムはアムレアンの死因を思い起こすと、たちまち瞋恚の炎にその身をとらわれてしまっていた。
「そもそもリースベットがアムレアンに大人しく討たれておれば、このような事態にはならなかったのだ。王家に仇なす溢れ者めが……」
岩を荒く削り出したような無骨な顔を上げ、フリークルンドが口を開いた。
「陛下……その一件は、アムレアンのみに任せた俺にも責任の一端があろうかと存じます。ご下命いただけば、必ずや逆賊が首をこの手で……」
ヘルストランドの北西に位置するソルモーサン砦から、ノルドグレーン軍の侵攻がほぼ確実であるとの報が届けられた。
以前より、ノルドグレーンがソルモーサン砦に通じる山道を整備しているという報告はたびたび寄せられている。だがノルドグレーン軍本隊には動きはなく、軍務長官ミュルダールは監視の強化を命じるにとどめていた。それが近衛兵の敗北以後、ソルモーサン砦に最も近いノルドグレーンの山岳都市グラディスに、続々と兵が集まりつつあるという。
ソルモーサンとグラディスの間にはノーラント山脈の稜線が屹立している。これが長きに渡って両国の版図をほぼ固定化させていたが、ノルドグレーンはついにその境界線を踏破しようと兵を挙げたのだった。
状況が確実なものとなり、その情報は国王ヴィルヘルム三世の耳にも届けられた。
時の黎明館では、近年なかった事態に使用人たちが困惑していた。
館の主である国王ヴィルヘルム三世はこれまで、少なくとも彼ら彼女らにとっては、気性が穏やかで仕えやすい主人だった。だがその「温厚な国王様」が、些細な落ち度にも怒りを顕にする狭量な暴君へと変わり果てていた。
その理由こそがノルドグレーン軍の侵攻だ。
リードホルムとノルドグレーンは、八十七年前のターラナ戦争以後は盟約を結び、以後大規模な軍事的衝突は起こっていない。
さらにノルドグレーン大公オリアンとの密約により、ヴィルヘルムの地位は退位までの間は保全されるはずだった。だがノルドグレーンはそれらを反故にし、圧倒的な軍事力でその地位を脅かそうとしている。
明確な同盟破棄は宣言されていないものの、その意図はすでに明白と言えるところまで事態は進展していた。
「おのれオリアンめ、臣下の分際で……」
謁見の間の玉座で、ヴィルヘルムは憎しみを込めて吐き捨てた。
ノルドグレーン大公オリアンは、形式上は宗主国リードホルムの国王によって任命された臣下という立場だが、これはもはや形骸化している。宗主国とは名ばかりで、両国の力関係はノルドグレーンの圧倒的優位となって久しい。
そんな情勢下で、密約が交わされたのは二十年前のことだ。ノルドグレーン内での地位を欲したオリアンが、ヴィルヘルムに自らを大公に任命させる見返りに、陰から王権を支えることを約束したのだった。
苛立ちを抑えきれないヴィルヘルムの眼前には、五人の近衛兵が拝跪している。
戦死したアムレアンと反目し合っていた、もうひとりの近衛兵隊長であるエリオット・フリークルンド、副隊長のキム・ハセリウス、それにアムレアンの配下だった三人の近衛兵たちだ。
この謁見は、旧アムレアン隊の生き残りをフリークルンド隊に編入するための任命式のはずだった。だが当のヴィルヘルムはアムレアンの死因を思い起こすと、たちまち瞋恚の炎にその身をとらわれてしまっていた。
「そもそもリースベットがアムレアンに大人しく討たれておれば、このような事態にはならなかったのだ。王家に仇なす溢れ者めが……」
岩を荒く削り出したような無骨な顔を上げ、フリークルンドが口を開いた。
「陛下……その一件は、アムレアンのみに任せた俺にも責任の一端があろうかと存じます。ご下命いただけば、必ずや逆賊が首をこの手で……」
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