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逆賊討伐
5 決意と迷想 3
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「いかがなさいましたかな、ノア様」
ヘルストランド城の馬屋で、剣を携えて馬を引こうとしていたノアに、待ち構えていたようにブリクストが声をかけた。
「ブリクストか……」
「ノア様、どうかご自愛ください」
「……」
「事ここに及んでは、最早どうにもなりませぬ」
ティーサンリード山賊団、すなわちリースベットを討つために近衛兵が出動したという話題を、リードホルムの宮廷内で知らぬ者はいない。
それを受けてノアがどんな行動に出るか、ブリクストには予測がついていた。
「……お一人で行かれて、どうなさるおつもりですか」
「私が命じて、近衛兵たちを引き返させる」
「無理です。彼らは王の命以外には一切従わぬ者たち。邪魔立てするとあらば、ノア様であっても無事には済みますまい」
「しかし……私は……」
「残念ながら、今のリースベット様をお救いしようにも、いかなる道理も立ちませぬ」
最も気にしていた問題を指摘され、ノアは押し黙った。
次期王座に最も近かった兄アウグスティンを殺しただけでなく、リードホルムに対する数々の敵対行為の首謀者だったリースベットを擁護する――どれほど理論武装し弁舌を尽くそうとも、ノアが王家に連なる者である限り、それは不可能なことなのだ。
「ノア様の双肩には、リードホルム百万の民の命運がかかっているのです」
忠臣として陰に日向に守り立ててきたブリクストにこう言われると、ノアは返す言葉に窮する。
立場に伴う重責を理解していないノアではないし、さらにはブリクストが決して口にしない、リースベットとの因縁がある。特別奇襲隊が出向いた山賊団討伐では、ノアを守るため幾人もの部下がリースベットとその山賊団に殺され、ブリクスト自身も今日まで残る負傷を左腕に負っているのだ。
「何故だ……何故こんなことに……」
馬屋の柱にもたれかかり、ノアは天を仰いだ。
――四年前の春、リースベットと侍従のモニカに、いつかこの国に戻れるようにすると言った。その約束を果たすことは、もう無理なのだろうか。
ブリクストはただ黙って、ノアのそばに佇んでいる。
愛情と責任で引き裂かれた心が優れた王の資質となるのか、あるいは人を狂わせるのか、彼には分からなかった。
「いよいよ来たか……」
ラルセンの山道を進む複数の馬車がある。車体には近衛兵の証である、翼竜と剣の紋章が掲げられていた――山賊団拠点の食堂でその報告を受けたバックマンは、低くつぶやいて深呼吸した。
食堂にはすでに、山賊団の中でも武闘派の者たちが集まっている。
「よく聞けお前ら!」
声を張り上げたバックマンに注目が集まる。
「俺らは今、どうやら最悪の事態に陥っている。あの近衛兵がもうすぐここに攻め込んできて、さらには今ここに頭領がいねえと来ている」
食堂内は静まり返っている。バックマンの説明は、全員にとって事実確認に過ぎなかったからだ。状況を知らない者はこの場にいない。
「だが備えは怠ってねえ。それと……」
バックマンは言葉を切ってうつむき、ひと呼吸置いてから続けた。
「俺らはこれまでずっと、リースベットって飛び抜けた個人にずいぶん頼りきりだった。ここは一つ、俺らの矜持にかけて、あいつの帰ってくる家を守り抜いてやろうじゃねえか」
一瞬の沈黙の後、湧き上がる歓声をバックマンは期待していたのだが、残念なことにそれは裏切られた。その先鞭をつけたのはドグラスだ。
「似合わねえぞ!」
「らしくねえこと言ってんじゃねえ」
「アウロラに代わってもらったほうがいいんじゃねえのか!」
「いつもニヤニヤしてるくせに」
「お前ら……」
バックマンは目をつむり、半ば呆れながら笑っていた。
山賊たちは危機を前にしても態度を変えず、いつもと同じ調子で軽口を叩き合っている。このほうがいっそ、彼ららしい。
ヘルストランド城の馬屋で、剣を携えて馬を引こうとしていたノアに、待ち構えていたようにブリクストが声をかけた。
「ブリクストか……」
「ノア様、どうかご自愛ください」
「……」
「事ここに及んでは、最早どうにもなりませぬ」
ティーサンリード山賊団、すなわちリースベットを討つために近衛兵が出動したという話題を、リードホルムの宮廷内で知らぬ者はいない。
それを受けてノアがどんな行動に出るか、ブリクストには予測がついていた。
「……お一人で行かれて、どうなさるおつもりですか」
「私が命じて、近衛兵たちを引き返させる」
「無理です。彼らは王の命以外には一切従わぬ者たち。邪魔立てするとあらば、ノア様であっても無事には済みますまい」
「しかし……私は……」
「残念ながら、今のリースベット様をお救いしようにも、いかなる道理も立ちませぬ」
最も気にしていた問題を指摘され、ノアは押し黙った。
次期王座に最も近かった兄アウグスティンを殺しただけでなく、リードホルムに対する数々の敵対行為の首謀者だったリースベットを擁護する――どれほど理論武装し弁舌を尽くそうとも、ノアが王家に連なる者である限り、それは不可能なことなのだ。
「ノア様の双肩には、リードホルム百万の民の命運がかかっているのです」
忠臣として陰に日向に守り立ててきたブリクストにこう言われると、ノアは返す言葉に窮する。
立場に伴う重責を理解していないノアではないし、さらにはブリクストが決して口にしない、リースベットとの因縁がある。特別奇襲隊が出向いた山賊団討伐では、ノアを守るため幾人もの部下がリースベットとその山賊団に殺され、ブリクスト自身も今日まで残る負傷を左腕に負っているのだ。
「何故だ……何故こんなことに……」
馬屋の柱にもたれかかり、ノアは天を仰いだ。
――四年前の春、リースベットと侍従のモニカに、いつかこの国に戻れるようにすると言った。その約束を果たすことは、もう無理なのだろうか。
ブリクストはただ黙って、ノアのそばに佇んでいる。
愛情と責任で引き裂かれた心が優れた王の資質となるのか、あるいは人を狂わせるのか、彼には分からなかった。
「いよいよ来たか……」
ラルセンの山道を進む複数の馬車がある。車体には近衛兵の証である、翼竜と剣の紋章が掲げられていた――山賊団拠点の食堂でその報告を受けたバックマンは、低くつぶやいて深呼吸した。
食堂にはすでに、山賊団の中でも武闘派の者たちが集まっている。
「よく聞けお前ら!」
声を張り上げたバックマンに注目が集まる。
「俺らは今、どうやら最悪の事態に陥っている。あの近衛兵がもうすぐここに攻め込んできて、さらには今ここに頭領がいねえと来ている」
食堂内は静まり返っている。バックマンの説明は、全員にとって事実確認に過ぎなかったからだ。状況を知らない者はこの場にいない。
「だが備えは怠ってねえ。それと……」
バックマンは言葉を切ってうつむき、ひと呼吸置いてから続けた。
「俺らはこれまでずっと、リースベットって飛び抜けた個人にずいぶん頼りきりだった。ここは一つ、俺らの矜持にかけて、あいつの帰ってくる家を守り抜いてやろうじゃねえか」
一瞬の沈黙の後、湧き上がる歓声をバックマンは期待していたのだが、残念なことにそれは裏切られた。その先鞭をつけたのはドグラスだ。
「似合わねえぞ!」
「らしくねえこと言ってんじゃねえ」
「アウロラに代わってもらったほうがいいんじゃねえのか!」
「いつもニヤニヤしてるくせに」
「お前ら……」
バックマンは目をつむり、半ば呆れながら笑っていた。
山賊たちは危機を前にしても態度を変えず、いつもと同じ調子で軽口を叩き合っている。このほうがいっそ、彼ららしい。
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