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落日の序曲

20 ノルシェー研究所

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 リースベットとフェルディンはヘルストランドに到着すると、目抜き通りから外れた小さな宿に入った。
 そこはフェルディンが定宿としている、すべての部屋に鍵付きの頑丈な扉がついた、特に行商人などから高く信頼される宿だ。
 二人は一晩休息して英気を養い、翌日の昼過ぎに王立ノルシェー研究所へと向かった。
 二人が出発した直後、地域の自警団から宿に手配書が届けられた。その手配書に描かれた人物を見て、宿の主人は言葉を失った。その顔は、たったいま常連客とともに出ていったばかりの女と、瓜二つだったのだ。

 赤橙あかだいだい色の夕陽が山稜さんりょうに隠れ、風景が暗く薄い青色に包まれた頃に、リースベットとフェルディンは目的地にたどり着いた。
 ノルシェー研究所は大人二人分以上もある高い塀に囲まれた、壮麗そうれいさとは無縁な石造りの建物だった。無機質な壁を蔓草つるくさが血管のように覆い、周囲は伸び放題の雑草が生い茂っている。
 研究事業の廃止によって人手が入らなくなって三年が経ち、建物は自然に還りつつあるようだ。
「外目には石でできた箱みてえだが、ありゃまるで牢獄だ。見ろ、あの高い塀」
「それだけ重要な研究をしていた、と思いたいところだが……」
「少なくとも作った時点じゃ、その気はあったんだろうよ」
 建物正面の門扉もんぴから鉄格子ごしに中庭を覗いたリースベットは、強い違和感を覚えた。周囲の雑草に、いくつも踏み倒された跡がある。
「……様子がおかしい。この足跡は何だ?」
「僕は下見のときだって、あそこまで入ってはいないぞ」
「まさか同業者の仕業か?」
「あり得る話だ。ここが狙い目だというのは話題になっているらしいからな。僕もかつての仲間から聞いたのだ」
「……言っとくが、中がもぬけのからでも返金はしねえからな」
「構わないさ。どうせ他に使いみちのない金だ」
 鉄の悲鳴のようなきしむ音を立てて格子戸を開き、二人は研究所に足を踏み入れた。
「本当に牢獄だなこりゃ。見ろ、玄関の扉を外から固定できるようになってやがる」
 隙間から雑草が繁茂はんもする石畳の先を見て、リースベットが言い捨てた。ノルシェー研究所の入り口扉には、外側からかんぬきが掛けられている。
 一階は隙間なく石壁に覆われており、二階には明かり取りの窓がいくつか開いているようだが、それも人がくぐれるような大きさではない。
「情報の漏洩ろうえいには厳しかった、ということだな……」
「まあいい。とっとと入っちまおう」
 リースベットは重い木のかんぬきを外し、鉄扉の鍵穴にロックピックを差し込んだ。扉は頑強だが鍵の構造自体は単純で、観音開きの扉を固定していた鋼鉄製の掛け金は簡単に外れた。
 扉を開けて研究所に入ると、カビの臭気が二人の鼻をついた。
 外観の無機質さに比べると内部は印象が異なり、白い石壁には浅浮あさうき彫りの彫刻が施されている。
 そこに描かれているのは主にファンナ教の宗教画で、研究対象が神に連なる力であることを示唆しさしていた。
 玄関からまっすぐ伸びた廊下には、一面にちりが積もっている。
「……鍵はかかってたし、研究所の中は足跡がねえ。先に荒らした奴は、鍵も開けられなかったのか?」
「おそらくそうだろう。僕らにとっては幸運だ」
 二人がゆっくり足を踏み入れても、床のほこりはさほど舞い上がらなかった。塵は層を成し、湿気で固着しているようだ。
「さて、どっから手を付けたもんか……」
 一階は等間隔で扉が並び、さながら宿の客室棟を思わせる作りだった。
「ここは研究者たちの私室じゃないか?」
「てことは、研究棟は二階か」
「行こう。時間が惜しい」
 二人は階段を探すため、歩くと雪上のように足跡が残る廊下を奥へと向かった。
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