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絶望の檻
22 過去からの呼び声 2
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リードホルム東部の町バステルードで宿をとったリースベットたちは、夜明けを待たずに、国内東端に位置するイェネストレームの町へ向けて出発した。
――嫌な思い出ばっかり湧き出してくるな……。
リースベットがモニカ・コールバリとともにイェネストレームの町に住んでいたのは、三年半ほど前までのことだ。わずか半年ほどの期間に終わったが、二人は実の母娘のように暮らし、穏やかな時間が過ぎ去っていった。モニカはアウグスティンが差し向けた刺客の手にかかり、惨殺された。その亡骸さえリースベットは弔うこともできず、ただ逃げることしかできなかった。だが今は、感傷のままに寄り道している余裕はない。
宿のベッドで三年半前の記憶にうなされて目覚めたリースベットは、ひどく機嫌が悪かった。ボーデン山の山腹に立つ巨大なパラヤ像が見下ろす道をゆく馬車の中、彼女は気鬱な顔で馬車の長椅子に横になっている。バックマンはずいぶんエーベルゴードと打ち解けたようで、気の置けない様子で話していた。
「そもそも何であんた、貴族の身でヘルストランドに潜入なんかしてたんだ?」
「貴族議会で間諜を養成するという議案が出たのだが、それに私が名乗り出たのだ。もちろん父は反対したがね」
「そりゃそうだろう。適当に下々の人間にやらせりゃいい。普通はそうする」
「……どうしても私自身の手で、何かをしたかったのだ。……ダニエラのために」
「ダニエラ……?」
リースベットは怪訝な顔で身を起こす。その名をどこで聞いたか、すぐには思い出せなかった。ノルデンフェルト侯爵家の令嬢ダニエラは今、リースベットの代役としてノルドグレーン神聖守護斎姫の任に就いている。
――ああ、やっぱりまた。嫌な思い出がついてまわる。
「なあ、まだあたしの名前を言ってなかったな」
「……そういえば、そうだったな」
「あたしはリースベットだ。どこかで聞いたことがあるだろう?」
「リースベット……まさか?!」
「そう、ダニエラの前に守護斎姫になるはずだった、あのリースベットだ」
「お、おい、頭領」
「構わねえよバックマン」
貴族の若者にしては肝の座ったエーベルゴードも、しばし言葉を失って呆然とリースベットを眺めていた。バックマンは居心地が悪そうにしている。
「……第二王女は亡くなったと伝え聞いていたが」
「ある意味間違いじゃねえ。王女様が山賊なんかやるわけがねえからな」
「奇縁と言えばそうだが、こんなところで、こんな形で出会うことになろうとは……」
「……恨んでるだろ。あたしが行方をくらましたから、ダニエラに汚れ役のお鉢が回ってきたんだ」
「ああ、最初はたしかに憎んだ。だがすぐに気付いたのだ。これは誰かが悪いとかではない、リードホルムとノルドグレーンの間の、歴史や政治の問題なのだとな」
「それで、自分でリードホルムを何とかしようって活動に入ったのか」
「ただ漫然とダニエラの任が解けるのを待つことに、耐えられなかったのだ。自分の力で国を動かすことはできなくとも、その一助になれればと……」
――あたしが起こしたことに、この人も巻き込まれてる。
「状況は変わる。次の王になる奴はだいぶまともだからな」
「アウグスティン王子がか……? あれは」
「アウグスティンは死んだ」
「……何だって?」
バックマンとエーベルゴードは、同じ表情でリースベットの顔を覗き込んだ。
「あいつは牢獄に降りてきてた。面白半分で囚人を拷問するためにな……だから、殺した」
「お、おい、そりゃあ……いや、顔を見られてりゃ一目瞭然だし殺すしか……だが……」
「何という……」
いつもなら冗談めかして返答するバックマンが、混乱気味に状況を整理しようとしている。次期リードホルム王となるはずの人間の殺害など、誰にとっても青天の霹靂である。
「足がつくような真似はしてねえし、囚人を逃してある。犯人が見つからなきゃ、逃げた誰かが犯人って話になるだろ」
「確かに、それはそうだが……」
「だがそうなれば、王位はノア王子に引き継がれる公算が大きくなるわけか」
「今の国王が、一刻も早くくたばることを祈ろうや」
リースベットは両腕を後頭部で組み、脚を組んで背もたれに体を預けた。
――嫌な思い出ばっかり湧き出してくるな……。
リースベットがモニカ・コールバリとともにイェネストレームの町に住んでいたのは、三年半ほど前までのことだ。わずか半年ほどの期間に終わったが、二人は実の母娘のように暮らし、穏やかな時間が過ぎ去っていった。モニカはアウグスティンが差し向けた刺客の手にかかり、惨殺された。その亡骸さえリースベットは弔うこともできず、ただ逃げることしかできなかった。だが今は、感傷のままに寄り道している余裕はない。
宿のベッドで三年半前の記憶にうなされて目覚めたリースベットは、ひどく機嫌が悪かった。ボーデン山の山腹に立つ巨大なパラヤ像が見下ろす道をゆく馬車の中、彼女は気鬱な顔で馬車の長椅子に横になっている。バックマンはずいぶんエーベルゴードと打ち解けたようで、気の置けない様子で話していた。
「そもそも何であんた、貴族の身でヘルストランドに潜入なんかしてたんだ?」
「貴族議会で間諜を養成するという議案が出たのだが、それに私が名乗り出たのだ。もちろん父は反対したがね」
「そりゃそうだろう。適当に下々の人間にやらせりゃいい。普通はそうする」
「……どうしても私自身の手で、何かをしたかったのだ。……ダニエラのために」
「ダニエラ……?」
リースベットは怪訝な顔で身を起こす。その名をどこで聞いたか、すぐには思い出せなかった。ノルデンフェルト侯爵家の令嬢ダニエラは今、リースベットの代役としてノルドグレーン神聖守護斎姫の任に就いている。
――ああ、やっぱりまた。嫌な思い出がついてまわる。
「なあ、まだあたしの名前を言ってなかったな」
「……そういえば、そうだったな」
「あたしはリースベットだ。どこかで聞いたことがあるだろう?」
「リースベット……まさか?!」
「そう、ダニエラの前に守護斎姫になるはずだった、あのリースベットだ」
「お、おい、頭領」
「構わねえよバックマン」
貴族の若者にしては肝の座ったエーベルゴードも、しばし言葉を失って呆然とリースベットを眺めていた。バックマンは居心地が悪そうにしている。
「……第二王女は亡くなったと伝え聞いていたが」
「ある意味間違いじゃねえ。王女様が山賊なんかやるわけがねえからな」
「奇縁と言えばそうだが、こんなところで、こんな形で出会うことになろうとは……」
「……恨んでるだろ。あたしが行方をくらましたから、ダニエラに汚れ役のお鉢が回ってきたんだ」
「ああ、最初はたしかに憎んだ。だがすぐに気付いたのだ。これは誰かが悪いとかではない、リードホルムとノルドグレーンの間の、歴史や政治の問題なのだとな」
「それで、自分でリードホルムを何とかしようって活動に入ったのか」
「ただ漫然とダニエラの任が解けるのを待つことに、耐えられなかったのだ。自分の力で国を動かすことはできなくとも、その一助になれればと……」
――あたしが起こしたことに、この人も巻き込まれてる。
「状況は変わる。次の王になる奴はだいぶまともだからな」
「アウグスティン王子がか……? あれは」
「アウグスティンは死んだ」
「……何だって?」
バックマンとエーベルゴードは、同じ表情でリースベットの顔を覗き込んだ。
「あいつは牢獄に降りてきてた。面白半分で囚人を拷問するためにな……だから、殺した」
「お、おい、そりゃあ……いや、顔を見られてりゃ一目瞭然だし殺すしか……だが……」
「何という……」
いつもなら冗談めかして返答するバックマンが、混乱気味に状況を整理しようとしている。次期リードホルム王となるはずの人間の殺害など、誰にとっても青天の霹靂である。
「足がつくような真似はしてねえし、囚人を逃してある。犯人が見つからなきゃ、逃げた誰かが犯人って話になるだろ」
「確かに、それはそうだが……」
「だがそうなれば、王位はノア王子に引き継がれる公算が大きくなるわけか」
「今の国王が、一刻も早くくたばることを祈ろうや」
リースベットは両腕を後頭部で組み、脚を組んで背もたれに体を預けた。
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