67 / 247
絶望の檻
22 過去からの呼び声 2
しおりを挟む
リードホルム東部の町バステルードで宿をとったリースベットたちは、夜明けを待たずに、国内東端に位置するイェネストレームの町へ向けて出発した。
――嫌な思い出ばっかり湧き出してくるな……。
リースベットがモニカ・コールバリとともにイェネストレームの町に住んでいたのは、三年半ほど前までのことだ。わずか半年ほどの期間に終わったが、二人は実の母娘のように暮らし、穏やかな時間が過ぎ去っていった。モニカはアウグスティンが差し向けた刺客の手にかかり、惨殺された。その亡骸さえリースベットは弔うこともできず、ただ逃げることしかできなかった。だが今は、感傷のままに寄り道している余裕はない。
宿のベッドで三年半前の記憶にうなされて目覚めたリースベットは、ひどく機嫌が悪かった。ボーデン山の山腹に立つ巨大なパラヤ像が見下ろす道をゆく馬車の中、彼女は気鬱な顔で馬車の長椅子に横になっている。バックマンはずいぶんエーベルゴードと打ち解けたようで、気の置けない様子で話していた。
「そもそも何であんた、貴族の身でヘルストランドに潜入なんかしてたんだ?」
「貴族議会で間諜を養成するという議案が出たのだが、それに私が名乗り出たのだ。もちろん父は反対したがね」
「そりゃそうだろう。適当に下々の人間にやらせりゃいい。普通はそうする」
「……どうしても私自身の手で、何かをしたかったのだ。……ダニエラのために」
「ダニエラ……?」
リースベットは怪訝な顔で身を起こす。その名をどこで聞いたか、すぐには思い出せなかった。ノルデンフェルト侯爵家の令嬢ダニエラは今、リースベットの代役としてノルドグレーン神聖守護斎姫の任に就いている。
――ああ、やっぱりまた。嫌な思い出がついてまわる。
「なあ、まだあたしの名前を言ってなかったな」
「……そういえば、そうだったな」
「あたしはリースベットだ。どこかで聞いたことがあるだろう?」
「リースベット……まさか?!」
「そう、ダニエラの前に守護斎姫になるはずだった、あのリースベットだ」
「お、おい、頭領」
「構わねえよバックマン」
貴族の若者にしては肝の座ったエーベルゴードも、しばし言葉を失って呆然とリースベットを眺めていた。バックマンは居心地が悪そうにしている。
「……第二王女は亡くなったと伝え聞いていたが」
「ある意味間違いじゃねえ。王女様が山賊なんかやるわけがねえからな」
「奇縁と言えばそうだが、こんなところで、こんな形で出会うことになろうとは……」
「……恨んでるだろ。あたしが行方をくらましたから、ダニエラに汚れ役のお鉢が回ってきたんだ」
「ああ、最初はたしかに憎んだ。だがすぐに気付いたのだ。これは誰かが悪いとかではない、リードホルムとノルドグレーンの間の、歴史や政治の問題なのだとな」
「それで、自分でリードホルムを何とかしようって活動に入ったのか」
「ただ漫然とダニエラの任が解けるのを待つことに、耐えられなかったのだ。自分の力で国を動かすことはできなくとも、その一助になれればと……」
――あたしが起こしたことに、この人も巻き込まれてる。
「状況は変わる。次の王になる奴はだいぶまともだからな」
「アウグスティン王子がか……? あれは」
「アウグスティンは死んだ」
「……何だって?」
バックマンとエーベルゴードは、同じ表情でリースベットの顔を覗き込んだ。
「あいつは牢獄に降りてきてた。面白半分で囚人を拷問するためにな……だから、殺した」
「お、おい、そりゃあ……いや、顔を見られてりゃ一目瞭然だし殺すしか……だが……」
「何という……」
いつもなら冗談めかして返答するバックマンが、混乱気味に状況を整理しようとしている。次期リードホルム王となるはずの人間の殺害など、誰にとっても青天の霹靂である。
「足がつくような真似はしてねえし、囚人を逃してある。犯人が見つからなきゃ、逃げた誰かが犯人って話になるだろ」
「確かに、それはそうだが……」
「だがそうなれば、王位はノア王子に引き継がれる公算が大きくなるわけか」
「今の国王が、一刻も早くくたばることを祈ろうや」
リースベットは両腕を後頭部で組み、脚を組んで背もたれに体を預けた。
――嫌な思い出ばっかり湧き出してくるな……。
リースベットがモニカ・コールバリとともにイェネストレームの町に住んでいたのは、三年半ほど前までのことだ。わずか半年ほどの期間に終わったが、二人は実の母娘のように暮らし、穏やかな時間が過ぎ去っていった。モニカはアウグスティンが差し向けた刺客の手にかかり、惨殺された。その亡骸さえリースベットは弔うこともできず、ただ逃げることしかできなかった。だが今は、感傷のままに寄り道している余裕はない。
宿のベッドで三年半前の記憶にうなされて目覚めたリースベットは、ひどく機嫌が悪かった。ボーデン山の山腹に立つ巨大なパラヤ像が見下ろす道をゆく馬車の中、彼女は気鬱な顔で馬車の長椅子に横になっている。バックマンはずいぶんエーベルゴードと打ち解けたようで、気の置けない様子で話していた。
「そもそも何であんた、貴族の身でヘルストランドに潜入なんかしてたんだ?」
「貴族議会で間諜を養成するという議案が出たのだが、それに私が名乗り出たのだ。もちろん父は反対したがね」
「そりゃそうだろう。適当に下々の人間にやらせりゃいい。普通はそうする」
「……どうしても私自身の手で、何かをしたかったのだ。……ダニエラのために」
「ダニエラ……?」
リースベットは怪訝な顔で身を起こす。その名をどこで聞いたか、すぐには思い出せなかった。ノルデンフェルト侯爵家の令嬢ダニエラは今、リースベットの代役としてノルドグレーン神聖守護斎姫の任に就いている。
――ああ、やっぱりまた。嫌な思い出がついてまわる。
「なあ、まだあたしの名前を言ってなかったな」
「……そういえば、そうだったな」
「あたしはリースベットだ。どこかで聞いたことがあるだろう?」
「リースベット……まさか?!」
「そう、ダニエラの前に守護斎姫になるはずだった、あのリースベットだ」
「お、おい、頭領」
「構わねえよバックマン」
貴族の若者にしては肝の座ったエーベルゴードも、しばし言葉を失って呆然とリースベットを眺めていた。バックマンは居心地が悪そうにしている。
「……第二王女は亡くなったと伝え聞いていたが」
「ある意味間違いじゃねえ。王女様が山賊なんかやるわけがねえからな」
「奇縁と言えばそうだが、こんなところで、こんな形で出会うことになろうとは……」
「……恨んでるだろ。あたしが行方をくらましたから、ダニエラに汚れ役のお鉢が回ってきたんだ」
「ああ、最初はたしかに憎んだ。だがすぐに気付いたのだ。これは誰かが悪いとかではない、リードホルムとノルドグレーンの間の、歴史や政治の問題なのだとな」
「それで、自分でリードホルムを何とかしようって活動に入ったのか」
「ただ漫然とダニエラの任が解けるのを待つことに、耐えられなかったのだ。自分の力で国を動かすことはできなくとも、その一助になれればと……」
――あたしが起こしたことに、この人も巻き込まれてる。
「状況は変わる。次の王になる奴はだいぶまともだからな」
「アウグスティン王子がか……? あれは」
「アウグスティンは死んだ」
「……何だって?」
バックマンとエーベルゴードは、同じ表情でリースベットの顔を覗き込んだ。
「あいつは牢獄に降りてきてた。面白半分で囚人を拷問するためにな……だから、殺した」
「お、おい、そりゃあ……いや、顔を見られてりゃ一目瞭然だし殺すしか……だが……」
「何という……」
いつもなら冗談めかして返答するバックマンが、混乱気味に状況を整理しようとしている。次期リードホルム王となるはずの人間の殺害など、誰にとっても青天の霹靂である。
「足がつくような真似はしてねえし、囚人を逃してある。犯人が見つからなきゃ、逃げた誰かが犯人って話になるだろ」
「確かに、それはそうだが……」
「だがそうなれば、王位はノア王子に引き継がれる公算が大きくなるわけか」
「今の国王が、一刻も早くくたばることを祈ろうや」
リースベットは両腕を後頭部で組み、脚を組んで背もたれに体を預けた。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる