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過去編・夜へ続く道
3 ノルドグレーン神聖守護斎姫 2
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「仔細は卿らで決めるがよい。今日はチェンバロの演奏家を招いているのでな。はるばるノルドグレーンから来たマルムフォーシュ楽団の者だそうだ」
城内の別の場所、窓に鎧戸を下ろした談話室で、ノアとアウグスティン、エイデシュテット宰相、国王の外戚であるノルデンフェルト侯爵とその従者が卓を囲んでいる。ヴィルヘルム三世はたったいま退出した。
この部屋では、ノルドグレーン神聖守護斎姫の人選について話し合いが持たれていた。
この名前だけは荘厳な役職は、リードホルム王家に連なる未婚の娘にのみ課せられる、国家が差し出す人質兼祭典のお飾りである。予定通りであれば、すでにリースベットが正式に王命を受け、リードホルム王国を出発していたはずだった。
「父上ものんきなものだ……まあいい、我々だけでことを進めよとの仰せだ。御意に添おうではないか。エイデシュテット」
「はい。次期ノルドグレーン神聖守護斎姫の任、当初の予定通りリースベット様に務めていただくことになるが、その年限は通例通り四年と……」
「お待ちください」
席について以来、無言のまま手を組んでいたノアが口を開いた。
「ほう、なにか思うところがあるか、ノア。申してみよ」
「リースベットは一度、自裁までしてその任を厭うたのです。そのような者を再度任じたとノルドグレーン側に知れれば、軽侮の行いとも取られかねますまい」
「いらぬ心配だノア王子。そのことは他言せぬよう、関係者には王命してあるのだ」
エイデシュテットとアウグスティンが目を合わせ、わずかに口の端を釣り上げた。
「しかし……もし彼の国においてリースベットが再び命を断つようなことがあれば、両国関係に悪影響も大きいでしょう」
「その時はその時……我が国がそれなりの代価を払っているのは、お前も知っているだろう。過去に例がなかったわけでもないしな」
「……いかに王たらんとする身とはいえ、無慈悲がすぎるではないか兄上! 血を分けた妹の心、今少し案じてはいかがか!」
冷静に意見を発し続けていたノアだったが、ここに至って椅子から立ち上がり語気を荒げた。ノルドグレーンで高度な教育を受けたとは言え、まだ十七歳の若者なのだ。
「落ち着け、ことはそう単純ではないのだ」
「左様です、ノア様。リースベット様が拒否されるのであれば、守護斎姫の任はフリーダ様か、あるいは、そこなノルデンフェルト侯爵のご令嬢をもって任ずることになりますぞ」
矛先を向けられた肥満体の貴族は椅子から立ち上がり、とくにアウグスティンに懇願するように口上を述べた。
「どうかお願いでございます。ダニエラはカッセル王国のエーベルゴード家との縁談も進み、当家の浮沈がかかった身なのです。成婚のあかつきには、国庫への上納もいっそう増やせるものと……」
「聞いたかノアよ。あまり無慈悲な物言いをするものではない」
「エーベルゴード家はカッセル屈指の名門、両国関係修繕の橋渡し役となってくれましょう。ダニエラ嬢はリードホルムにとって極めて重要な方なのです」
「さ、左様にございますれば……」
「誰かがやらねばならんのだ、ノアよ。リースベットのわがままを容れれば、他のものが余波を被るということが分からんか」
「ノルドグレーンのマンネルヘイム外務次官補には、もう半月以上もオルヘスタルにてお待ちいただいておるしな」
ノアは最大限、アウグスティンたちの理路に沿って意見を述べたつもりだった。だが他者の犠牲から目を逸らしてまで、己のエゴを貫くことはできない。それでもなお食い下がるためには、議論の水準を変える必要があった。
「……ではいっそ、これを機にノルドグレーン神聖守護斎姫の地位そのものを見直されてはいかがですか。屈辱的な扱いを受けているからこそ誰もが忌避し、命を断つものまで出るのです」
「それは……」
アウグスティンとエイデシュテットの顔色が変わり、互いに眉をひそめて顔を見合わせている。
「それは素晴らしい考えでございます。いつまでも不当な扱いに甘んじている必要もありますまい」
「いや……ノルデンフェルト侯爵、それは我らの権を越えている、そうだなエイデシュテット。父上に同席していただかなければ決めかねる議題であろう」
「ヴィルヘルム三世陛下不在では、熟議もできますまい。フォッシェル典礼省長官はじめ、より多くの者に同席を求めませんとな」
「確かに……今から呼び戻しては、陛下のご機嫌を損ねてしまいますな。しかしさすがノア様、十七歳とは思えぬ見識でございます」
アウグスティンが横目で睨んだが、ノルデンフェルト侯爵は気付いていない。
「ならば今日は結論を繰り延べ、関係者を集めて改めて会議を開くべきでしょう」
「それはなりませぬ。リースベット様は出立直前の急病、ということでノルドグレーン側にはお待ちいただいているです。あのとおり快癒している以上、さらなる延期はあらぬ疑いを生みます」
「ノアよ、お前はまだ若く、国に戻って日も浅い。リードホルムのことを知らんのだ。……見直しの話自体は、日を改めて関係者に参集願うとしよう」
「その折には、当家も力添えさせていただきますぞ」
半年前に留学という名の人質生活から戻ったばかりのノアの意見を、アウグスティンは愚弄するように切って捨てた。
このノアの奮戦に唯一戦果があったとすれば、ノルデンフェルト侯爵に今とは違う未来図を見せたことだ。
「出立は所定どおり、七日後でよろしいですかな」
「うむ。段取りは宰相に一任する」
「それと、四日後に春宵の夜祭があります。そちらの祝賀行列にリースベット様も参加せよ、とヴィルヘルム三世陛下の仰せでしたな」
ノアは歯噛みし、内心で妹に詫びていた。
「しかし、父上に再び勅書を書いてもらわねばならぬか。骨が折れるな」
「それならば今が好機でございましょう。チェンバロ奏者がひどい演奏をしていなければ、ですが……」
「構わぬ。わたしが直接伝える」
「ほう。殊勝なことだな」
ノアは憮然と椅子から立ち上がり、誰の顔も見ずに部屋を出た。
城内の別の場所、窓に鎧戸を下ろした談話室で、ノアとアウグスティン、エイデシュテット宰相、国王の外戚であるノルデンフェルト侯爵とその従者が卓を囲んでいる。ヴィルヘルム三世はたったいま退出した。
この部屋では、ノルドグレーン神聖守護斎姫の人選について話し合いが持たれていた。
この名前だけは荘厳な役職は、リードホルム王家に連なる未婚の娘にのみ課せられる、国家が差し出す人質兼祭典のお飾りである。予定通りであれば、すでにリースベットが正式に王命を受け、リードホルム王国を出発していたはずだった。
「父上ものんきなものだ……まあいい、我々だけでことを進めよとの仰せだ。御意に添おうではないか。エイデシュテット」
「はい。次期ノルドグレーン神聖守護斎姫の任、当初の予定通りリースベット様に務めていただくことになるが、その年限は通例通り四年と……」
「お待ちください」
席について以来、無言のまま手を組んでいたノアが口を開いた。
「ほう、なにか思うところがあるか、ノア。申してみよ」
「リースベットは一度、自裁までしてその任を厭うたのです。そのような者を再度任じたとノルドグレーン側に知れれば、軽侮の行いとも取られかねますまい」
「いらぬ心配だノア王子。そのことは他言せぬよう、関係者には王命してあるのだ」
エイデシュテットとアウグスティンが目を合わせ、わずかに口の端を釣り上げた。
「しかし……もし彼の国においてリースベットが再び命を断つようなことがあれば、両国関係に悪影響も大きいでしょう」
「その時はその時……我が国がそれなりの代価を払っているのは、お前も知っているだろう。過去に例がなかったわけでもないしな」
「……いかに王たらんとする身とはいえ、無慈悲がすぎるではないか兄上! 血を分けた妹の心、今少し案じてはいかがか!」
冷静に意見を発し続けていたノアだったが、ここに至って椅子から立ち上がり語気を荒げた。ノルドグレーンで高度な教育を受けたとは言え、まだ十七歳の若者なのだ。
「落ち着け、ことはそう単純ではないのだ」
「左様です、ノア様。リースベット様が拒否されるのであれば、守護斎姫の任はフリーダ様か、あるいは、そこなノルデンフェルト侯爵のご令嬢をもって任ずることになりますぞ」
矛先を向けられた肥満体の貴族は椅子から立ち上がり、とくにアウグスティンに懇願するように口上を述べた。
「どうかお願いでございます。ダニエラはカッセル王国のエーベルゴード家との縁談も進み、当家の浮沈がかかった身なのです。成婚のあかつきには、国庫への上納もいっそう増やせるものと……」
「聞いたかノアよ。あまり無慈悲な物言いをするものではない」
「エーベルゴード家はカッセル屈指の名門、両国関係修繕の橋渡し役となってくれましょう。ダニエラ嬢はリードホルムにとって極めて重要な方なのです」
「さ、左様にございますれば……」
「誰かがやらねばならんのだ、ノアよ。リースベットのわがままを容れれば、他のものが余波を被るということが分からんか」
「ノルドグレーンのマンネルヘイム外務次官補には、もう半月以上もオルヘスタルにてお待ちいただいておるしな」
ノアは最大限、アウグスティンたちの理路に沿って意見を述べたつもりだった。だが他者の犠牲から目を逸らしてまで、己のエゴを貫くことはできない。それでもなお食い下がるためには、議論の水準を変える必要があった。
「……ではいっそ、これを機にノルドグレーン神聖守護斎姫の地位そのものを見直されてはいかがですか。屈辱的な扱いを受けているからこそ誰もが忌避し、命を断つものまで出るのです」
「それは……」
アウグスティンとエイデシュテットの顔色が変わり、互いに眉をひそめて顔を見合わせている。
「それは素晴らしい考えでございます。いつまでも不当な扱いに甘んじている必要もありますまい」
「いや……ノルデンフェルト侯爵、それは我らの権を越えている、そうだなエイデシュテット。父上に同席していただかなければ決めかねる議題であろう」
「ヴィルヘルム三世陛下不在では、熟議もできますまい。フォッシェル典礼省長官はじめ、より多くの者に同席を求めませんとな」
「確かに……今から呼び戻しては、陛下のご機嫌を損ねてしまいますな。しかしさすがノア様、十七歳とは思えぬ見識でございます」
アウグスティンが横目で睨んだが、ノルデンフェルト侯爵は気付いていない。
「ならば今日は結論を繰り延べ、関係者を集めて改めて会議を開くべきでしょう」
「それはなりませぬ。リースベット様は出立直前の急病、ということでノルドグレーン側にはお待ちいただいているです。あのとおり快癒している以上、さらなる延期はあらぬ疑いを生みます」
「ノアよ、お前はまだ若く、国に戻って日も浅い。リードホルムのことを知らんのだ。……見直しの話自体は、日を改めて関係者に参集願うとしよう」
「その折には、当家も力添えさせていただきますぞ」
半年前に留学という名の人質生活から戻ったばかりのノアの意見を、アウグスティンは愚弄するように切って捨てた。
このノアの奮戦に唯一戦果があったとすれば、ノルデンフェルト侯爵に今とは違う未来図を見せたことだ。
「出立は所定どおり、七日後でよろしいですかな」
「うむ。段取りは宰相に一任する」
「それと、四日後に春宵の夜祭があります。そちらの祝賀行列にリースベット様も参加せよ、とヴィルヘルム三世陛下の仰せでしたな」
ノアは歯噛みし、内心で妹に詫びていた。
「しかし、父上に再び勅書を書いてもらわねばならぬか。骨が折れるな」
「それならば今が好機でございましょう。チェンバロ奏者がひどい演奏をしていなければ、ですが……」
「構わぬ。わたしが直接伝える」
「ほう。殊勝なことだな」
ノアは憮然と椅子から立ち上がり、誰の顔も見ずに部屋を出た。
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