239 / 281
簒奪女王
後宮の使者 5
しおりを挟む
「王妃でもなんでもいい、まずその下っ端に武器を捨てさせろ」
「……子どもを自由にするなら、考えなくもないわ」
「んな真似ができるか……いや、待てよ」
暴漢の顔に卑劣な笑みが浮かぶ。
「王妃様ご自身が身代わりになられるってなら、考えなくもねえぞ?」
「……いいでしょう」
「主公様!?」
そのベアトリスの返答は、ルーデルスとアリサばかりでなくエステルや衛兵たち、当の暴漢までもどよめかせた。
「アリサ、ルーデルス、剣をベルトから外して、彼の足元へ」
「はい……」
二人は不請不請にベアトリスの言葉に従い、鞘に納まったままの剣を床に置いて暴漢の足元に滑らせた。
「へへ……いい心がけじゃねえか……。お前も武器なんか持ってねえだろうな!?」
「見ての通りよ」
ベアトリスは一歩前に出て、肩に掛けていた袖なしのコートを放り投げた。その両手には何も握られていない――が、ふだん着のドレスの上に巻いたウエストリボンの背部には、小さな銃が差し込まれていた。かつてイェルケル・オットソンとの決闘に用いた、象嵌装飾が施された特注の短銃だ。
それを認めたアリサとルーデルスは一瞬、互いに目を見合わせた。
「いいね……こっちに来い」
暴漢は舌なめずりしながら手招きをする。
ベアトリスはゆっくりと暴漢に歩み寄っていく。彼女の一挙手一投足を、周囲の者たちは固唾を飲んで見守っていた。
銃には手をかけていない。いまさら人を撃つことに気後れするベアトリスではなかったが、まだ引き金を引くことはできない。
ベアトリスが護身用に携帯しているホイールロック式の短銃は、製造に非常な手間がかかる。ノーラント半島全体を俯瞰しても、まだ百丁ほども存在しないだろう。市井の人々は短銃など見たこともなく、その存在さえも知らないのだ。
ルーデルスが戦闘の素人だと看破した暴漢も、おそらくその例に漏れないだろう。銃とはどんなものかを知らない者に銃口を向けたところで脅しにもならないが、だとすれば、不意をついて撃つことは簡単だ。だがその場合、ふとした拍子にアニタを傷つけてしまう可能性は排除できない。
また至近距離の戦闘では、銃は必ずしも刃物に対して優位とは言えない。そうである以上、自身が身代わりになったあと、銃口を密着させて撃つ――これがもっとも確実な方法だ、とベアトリスは考えていた。
「さあ、その子を放しなさい」
暴漢の目の前に立ち、ベアトリスは毅然として要求する。暴漢はティーガウンの襟元を掴んでベアトリスを引き寄せながら、アニタを膝で押しのけた。床に両手をついて倒れこんだアニタに、エステルが駆け寄って抱き起こす。
「おい下っ端の二人、城門に馬を用意させろ」
「……わかったわ。そこで主公様……王妃様と交換よ」
「聞いたかよ王妃様! あんたは馬と同じ価値しかないらしいぜ!」
「この……!」
暴漢はベアトリスを人質に取って気が大きくなったのか、アリサを挑発するような皮肉を言う余裕を見せた。
至近距離の戦いにおいて、一射ごとに撥条の巻き取りと弾丸の再装填が必要なホイールロック式の銃に二発目はない。今こそ好機だ。ベアトリスは銃の安全装置を、人差し指でゆっくりと外した。銃把を握り、ウエストリボンから銃身を引き抜く。
ベアトリスは暴漢の腰部めがけて引き金を引いた。鉄と鋼がぶつかり合う冷たい音が響く。
「……なんだ?」
「まずい、不発だ」
「え……?」
その音の意味を、ベアトリスとルーデルスだけが理解していた。
「……子どもを自由にするなら、考えなくもないわ」
「んな真似ができるか……いや、待てよ」
暴漢の顔に卑劣な笑みが浮かぶ。
「王妃様ご自身が身代わりになられるってなら、考えなくもねえぞ?」
「……いいでしょう」
「主公様!?」
そのベアトリスの返答は、ルーデルスとアリサばかりでなくエステルや衛兵たち、当の暴漢までもどよめかせた。
「アリサ、ルーデルス、剣をベルトから外して、彼の足元へ」
「はい……」
二人は不請不請にベアトリスの言葉に従い、鞘に納まったままの剣を床に置いて暴漢の足元に滑らせた。
「へへ……いい心がけじゃねえか……。お前も武器なんか持ってねえだろうな!?」
「見ての通りよ」
ベアトリスは一歩前に出て、肩に掛けていた袖なしのコートを放り投げた。その両手には何も握られていない――が、ふだん着のドレスの上に巻いたウエストリボンの背部には、小さな銃が差し込まれていた。かつてイェルケル・オットソンとの決闘に用いた、象嵌装飾が施された特注の短銃だ。
それを認めたアリサとルーデルスは一瞬、互いに目を見合わせた。
「いいね……こっちに来い」
暴漢は舌なめずりしながら手招きをする。
ベアトリスはゆっくりと暴漢に歩み寄っていく。彼女の一挙手一投足を、周囲の者たちは固唾を飲んで見守っていた。
銃には手をかけていない。いまさら人を撃つことに気後れするベアトリスではなかったが、まだ引き金を引くことはできない。
ベアトリスが護身用に携帯しているホイールロック式の短銃は、製造に非常な手間がかかる。ノーラント半島全体を俯瞰しても、まだ百丁ほども存在しないだろう。市井の人々は短銃など見たこともなく、その存在さえも知らないのだ。
ルーデルスが戦闘の素人だと看破した暴漢も、おそらくその例に漏れないだろう。銃とはどんなものかを知らない者に銃口を向けたところで脅しにもならないが、だとすれば、不意をついて撃つことは簡単だ。だがその場合、ふとした拍子にアニタを傷つけてしまう可能性は排除できない。
また至近距離の戦闘では、銃は必ずしも刃物に対して優位とは言えない。そうである以上、自身が身代わりになったあと、銃口を密着させて撃つ――これがもっとも確実な方法だ、とベアトリスは考えていた。
「さあ、その子を放しなさい」
暴漢の目の前に立ち、ベアトリスは毅然として要求する。暴漢はティーガウンの襟元を掴んでベアトリスを引き寄せながら、アニタを膝で押しのけた。床に両手をついて倒れこんだアニタに、エステルが駆け寄って抱き起こす。
「おい下っ端の二人、城門に馬を用意させろ」
「……わかったわ。そこで主公様……王妃様と交換よ」
「聞いたかよ王妃様! あんたは馬と同じ価値しかないらしいぜ!」
「この……!」
暴漢はベアトリスを人質に取って気が大きくなったのか、アリサを挑発するような皮肉を言う余裕を見せた。
至近距離の戦いにおいて、一射ごとに撥条の巻き取りと弾丸の再装填が必要なホイールロック式の銃に二発目はない。今こそ好機だ。ベアトリスは銃の安全装置を、人差し指でゆっくりと外した。銃把を握り、ウエストリボンから銃身を引き抜く。
ベアトリスは暴漢の腰部めがけて引き金を引いた。鉄と鋼がぶつかり合う冷たい音が響く。
「……なんだ?」
「まずい、不発だ」
「え……?」
その音の意味を、ベアトリスとルーデルスだけが理解していた。
0
お気に入りに追加
39
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。
文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。
父王に一番愛される姫。
ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。
優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。
しかし、彼は居なくなった。
聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。
そして、二年後。
レティシアナは、大国の王の妻となっていた。
※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。
小説家になろうにも投稿しています。
エールありがとうございます!
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる