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簒奪女王
王の隣人たち 10
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アリサはベアトリスの従者になってから読み書きを学び、書類仕事も大過なくこなせる程度の識字能力は備えている。大抵の本に書かれている文章は読めるはずだ。どうやら少年が読んでいるのは、一般的な生活の言葉からはかけ離れた世界観で書かれた書物らしい。
「見せてみて」
ベアトリスはアリサに代わって、少年の指先にある文章に目を運んだ。
<この哲学者たちの言う無限世界なるものは、その言語世界においては確かに真実であることは、私たちのいる有限世界においてもまた同様であるが、ではそう考えた場合、無限遠の彼方にある浄火天とは何なのだろうか。第十天の先が無限に広がり続けているのだとしたら、日を追うごとにわれわれから悠久の彼方へと離れゆく神は一体いつこの地に再臨できるというのだろうか……>
読みながらベアトリスは軽いめまいを覚えた。少年が読んでいた重々しい本は、どうやら最新の哲学書のようだ。少年の「どう読むのか」という問いは、たんに難読の単語や発音といった水準でなく、読み解き方についての問いだったのだ。
だが何とか、ベアトリスは心に汗をかきつつも少年への説明を試みる。
「えーと……まず、この本の作者は、世界が無限であると考える学派とは別の学説を取っているのね」
「はい」
「なのでこの前半は、まあ皮肉半分の批判。あなたが言っていることはあなたたちの学派の中では真実でしょう……という嫌味ね。それから浄火天というのは……空のずっと向こう、はるか彼方にある、神の住む世界のこと。そこから第十天、水晶天、恒星天……と私たちの住む地上に近づいてくるの」
「ああ、それで神がすっと遠のいてゆくと……こんなに前提知識が必要だったんですね」
少年が納得してくれたことで、ベアトリスは内心で一息ついた。
「これは本来、誰か師について学ぶべき本ね。学知の入り口として開くには重い扉だわ」
「うーん、なるほど……」
「ミカル、こんなとこで何してるの」
ベアトリスの講釈を受け、腕組みをして思索する少年に、ひとりの女中が声をかけてきた。
「あ、エ……母さん」
「寒いでしょ、こんなところじゃ」
「台所だと邪魔になりそうだし」
「あんなに広いんだから大丈夫よ……」
女中は焦れたような口調で少年を諭しながら、かがんでいたベアトリスの横顔を見て血相を変えた。気品はあっても飾り気のない目の前の女性が、何者であるか気づいたようだ。
「王妃様!」
「え? 王妃様?」
「これは、とんだ失礼を……」
「構わないわ。別に権威をひけらかすために来ていたのではないのだし」
「申しわけありません、まさかこんなに頭のいい人が王妃様だとは思わず……」
「ミカル」
大柄な女中は、よくわからない詫び言を述べる少年の頭を下げさせながら、自身も頭を下げた。
「見せてみて」
ベアトリスはアリサに代わって、少年の指先にある文章に目を運んだ。
<この哲学者たちの言う無限世界なるものは、その言語世界においては確かに真実であることは、私たちのいる有限世界においてもまた同様であるが、ではそう考えた場合、無限遠の彼方にある浄火天とは何なのだろうか。第十天の先が無限に広がり続けているのだとしたら、日を追うごとにわれわれから悠久の彼方へと離れゆく神は一体いつこの地に再臨できるというのだろうか……>
読みながらベアトリスは軽いめまいを覚えた。少年が読んでいた重々しい本は、どうやら最新の哲学書のようだ。少年の「どう読むのか」という問いは、たんに難読の単語や発音といった水準でなく、読み解き方についての問いだったのだ。
だが何とか、ベアトリスは心に汗をかきつつも少年への説明を試みる。
「えーと……まず、この本の作者は、世界が無限であると考える学派とは別の学説を取っているのね」
「はい」
「なのでこの前半は、まあ皮肉半分の批判。あなたが言っていることはあなたたちの学派の中では真実でしょう……という嫌味ね。それから浄火天というのは……空のずっと向こう、はるか彼方にある、神の住む世界のこと。そこから第十天、水晶天、恒星天……と私たちの住む地上に近づいてくるの」
「ああ、それで神がすっと遠のいてゆくと……こんなに前提知識が必要だったんですね」
少年が納得してくれたことで、ベアトリスは内心で一息ついた。
「これは本来、誰か師について学ぶべき本ね。学知の入り口として開くには重い扉だわ」
「うーん、なるほど……」
「ミカル、こんなとこで何してるの」
ベアトリスの講釈を受け、腕組みをして思索する少年に、ひとりの女中が声をかけてきた。
「あ、エ……母さん」
「寒いでしょ、こんなところじゃ」
「台所だと邪魔になりそうだし」
「あんなに広いんだから大丈夫よ……」
女中は焦れたような口調で少年を諭しながら、かがんでいたベアトリスの横顔を見て血相を変えた。気品はあっても飾り気のない目の前の女性が、何者であるか気づいたようだ。
「王妃様!」
「え? 王妃様?」
「これは、とんだ失礼を……」
「構わないわ。別に権威をひけらかすために来ていたのではないのだし」
「申しわけありません、まさかこんなに頭のいい人が王妃様だとは思わず……」
「ミカル」
大柄な女中は、よくわからない詫び言を述べる少年の頭を下げさせながら、自身も頭を下げた。
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