簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

文字の大きさ
上 下
204 / 281
ノルドグレーン分断

駆け引き 4

しおりを挟む
 都市間の移動に多大な困難が伴う時期に、ベアトリスはわざわざヘルストランドにやってきた。その事実だけでも、ただならぬ用向きを秘めての来訪であることは、ブリクストやノアに見透かされていたかもしれない。
「ところで、いったいどういう用向きなのだ?」
「……!」
 ブリクストが職掌しょくしょうを越えた質問を投げかけてきたことは、ベアトリスにとって予想外だった。これは、ヘルストランド郊外の学校建設予定地で会った頃は突き放したような態度だった彼が、打ち解けてきたことのあかしである。ノアへの取り次ぎに手心てごころを加えてくれたことと、表裏を成す変化だろう。
 ベアトリスが押し黙っていると、ブリクストは諒察りょうさつしたようにうなずいた。
「……そうか。あまり訊かれたくない話だ、ということか」
「いずれ知る時が来るでしょう。もっともその時には、あなたはノア王から直接聞いているでしょうけれど」

 これまでベアトリスがヘルストランド城で目にした部屋といえば、明るく西日が差し込み天井のフレスコ画や壁の化粧漆喰しっくいに神々の姿が彫られた豪壮ごうそう謁見えっけんの間や、薄青色の御影石みかげいしで覆われた幽幻な雰囲気の会議室だった。これらは暗い灰色の、堅牢だが質素な組積造そせきぞうの外装や廊下とは一線を画す、特別な美的造形を備えた催事場である。
 今回はそうした晴れがましい場所でなく、渡り廊下で隔てられた別棟の部屋に案内された。どうやらその一帯は、ヘルストランド城に暮らす人々の居住区域のようだった。
 大柄な女中がひと一人分の小ぶりな扉を開けると、室内から温かい空気が流れてきた。内部はワニス塗りの板壁が貼られ、石造りの部屋にくらべ見た目にも温かみが感じられる。入って左側の壁面は一角が凹んでおり、カーテンが掛けられた長めのソファがしつらえてある。そこに、氷河王ノアが座っていた。寝間着ではないがゆったりとした上着にローブを羽織り、身を起こしたばかりなのか、長い髪の右側には癖がついてわずかに波打っている。
 眠そうな顔をしていたノアが、ベアトリスの姿を認めると笑顔を作ってみせた。
「久しいな、フローケン・ローセンダール」
「……あの夏以来ですわね、ノア様」
「そうだな。あなたにしてはずいぶん長く、ヘルストランドを留守にしたものだ」
 これはノアの言うとおりだった。去年までベアトリスは、ふた月と開けずにヘルストランドに顔を見せていた。それが今年になってからは足が遠のき、ノアの唐突なランバンデッド視察がなければ、半年近く彼と顔を合わせる機会はなかっただろう。この疎遠は無論ベアトリスの本意ではなく、リードホルムにおけるローセンダール家の地歩が固まりつつあったことと、ノルドグレーン内で多くの出来事があったことが原因だ。
「お時間をいただけたこと、深謝しんしゃいたします。ですが、お加減はよろしいのですか……?」
「他ならぬあなたの話を聞くぐらいのことはできるさ。もっとも、あとになって内容を忘れているかも知れないがな」
 ノアは自嘲じちょう的な皮肉を言って笑うが、その声にはやはり力がない。
「人払いをすべきかな?」
「できれば……ですが、さほど意味のないことなのでは?」
「その点も織り込み済み、ということか」
「ええ」
 リードホルム城内でベアトリスがノアと会うとき、必ず誰かが聞き耳を立てている――これはエル・シールケルの副長テオドル・バックマンが授けた警句だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

砕けた愛は、戻らない。

豆狸
恋愛
「殿下からお前に伝言がある。もう殿下のことを見るな、とのことだ」 なろう様でも公開中です。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

彼女が望むなら

mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。 リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。

処理中です...