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ノルドグレーン分断
駆け引き 2
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ベアトリスが生まれたグラディス・ローセンダール家は、かつてノルドグレーンに爵位があった時代でさえ、五爵の四等に当たる子爵でしかなかった。権威主義の観点からは、王妃として不足であると見なされるだろう。
こうした諸問題を迅速に処理するため、やはり貨財は必要なのだ。
残雪を押しのけるようにリードホルムの王都ヘルストランドにたどり着いたベアトリスは、すぐに宮廷への根回しに取りかかった。
まず、ヘルストランド城にもっとも近い宿を一軒すべて借り切り、宮廷工作の拠点とした。これは宿の主人にしてみると迷惑半分な話である。
行商人などがほとんど払底する冬の閑散期は従業員も少なく、食材なども少量しか備蓄していない。ベアトリスは無理を押して、同行してきた人夫たちができる限り協力する、という約束で了解を取りつけた。無論、通常よりも高額な宿泊代を前払いしたことは言うまでもない。宿泊所を分散しなかったのは、工作資金としてランバンデッドから持ち込んだ貨財の警備のためでもあった。
宿の二階にある最上級の一室に、ベアトリスは側近たちを集めた。ただしステファン・ラーゲルフェルトの姿はここにはない。彼は折を見てもとの任地である港湾都市フィスカルボに戻り、当地の県令であるイェルケル・オットソンとの間で調整役となる。海路輸送の要衝であるフィスカルボの存在は、利にさといリードホルム高官たちを説得する際の重要な交渉材料となるのだ。
アリサは内心にみだりがましい期待をいだきつつも、不安げな顔を作って口を開いた。
「でも、ノア様にしたってすごい唐突な話じゃ……」
この当然の憂慮に、ベアトリスとアルバレスは静かにうなずいた。
若き氷河王ノアには、これまで結婚に繋がりそうな異性関係の話題は全くと言っていいほど無かった。ベアトリスがこれから行う提案は、リードホルム側からすればあまりに突拍子もないものに聞こえるだろう。
「……でもあの方の情報網なら、ノルドグレーン議会で私との政略結婚の話が幾度も上がっていたことくらい、知ってはいるはずよ」
「もしかすると、今回のノルドグレーンの内紛についてさえ掴んでいるかも知れませんね。断片的な情報ではあっても」
「あり得るわね……」
もしそうだったとして、ノアはベアトリスの足もとに付け込んで、なにか難題を吹き掛けてきたりするだろうか。
「だいたい、王様との結婚って、普通どんな流れで決まるんでしょう……?」
「まず王との結婚、というのが普通の事態ではありませんね」
「通例であれば……そうね、時間をかけて、王家と親交のある貴族などから話を通しておく。あるいは、婚儀を所管する典礼省などを通じて、婚姻を打診するものだけれど……」
「今回の場合、時間をかけて……という前提がまず不可能ですね」
「ええ。そして後者の場合でも、儀礼的な省庁を間に挟んで交渉する時間さえも惜しいもの。……だから、私が直接言うわ」
「な、何て言うんです!?」
アリサが期待に目を爛々と輝かせながら訊いた。
「……」
ベアトリスは答えなかった。表情は変えなかったが顔色は赤い。文言には悩み続けている。
「……とにかく! 今は、この結婚に利があると思わせることだけが重要なのよ。実利はあとで証明すればいいわ」
勢いよく立ち上がったベアトリスに、他の側近たちも続いた。部屋の扉近くで立ったまま話を聞いていたルーデルスを除いて。
こうした諸問題を迅速に処理するため、やはり貨財は必要なのだ。
残雪を押しのけるようにリードホルムの王都ヘルストランドにたどり着いたベアトリスは、すぐに宮廷への根回しに取りかかった。
まず、ヘルストランド城にもっとも近い宿を一軒すべて借り切り、宮廷工作の拠点とした。これは宿の主人にしてみると迷惑半分な話である。
行商人などがほとんど払底する冬の閑散期は従業員も少なく、食材なども少量しか備蓄していない。ベアトリスは無理を押して、同行してきた人夫たちができる限り協力する、という約束で了解を取りつけた。無論、通常よりも高額な宿泊代を前払いしたことは言うまでもない。宿泊所を分散しなかったのは、工作資金としてランバンデッドから持ち込んだ貨財の警備のためでもあった。
宿の二階にある最上級の一室に、ベアトリスは側近たちを集めた。ただしステファン・ラーゲルフェルトの姿はここにはない。彼は折を見てもとの任地である港湾都市フィスカルボに戻り、当地の県令であるイェルケル・オットソンとの間で調整役となる。海路輸送の要衝であるフィスカルボの存在は、利にさといリードホルム高官たちを説得する際の重要な交渉材料となるのだ。
アリサは内心にみだりがましい期待をいだきつつも、不安げな顔を作って口を開いた。
「でも、ノア様にしたってすごい唐突な話じゃ……」
この当然の憂慮に、ベアトリスとアルバレスは静かにうなずいた。
若き氷河王ノアには、これまで結婚に繋がりそうな異性関係の話題は全くと言っていいほど無かった。ベアトリスがこれから行う提案は、リードホルム側からすればあまりに突拍子もないものに聞こえるだろう。
「……でもあの方の情報網なら、ノルドグレーン議会で私との政略結婚の話が幾度も上がっていたことくらい、知ってはいるはずよ」
「もしかすると、今回のノルドグレーンの内紛についてさえ掴んでいるかも知れませんね。断片的な情報ではあっても」
「あり得るわね……」
もしそうだったとして、ノアはベアトリスの足もとに付け込んで、なにか難題を吹き掛けてきたりするだろうか。
「だいたい、王様との結婚って、普通どんな流れで決まるんでしょう……?」
「まず王との結婚、というのが普通の事態ではありませんね」
「通例であれば……そうね、時間をかけて、王家と親交のある貴族などから話を通しておく。あるいは、婚儀を所管する典礼省などを通じて、婚姻を打診するものだけれど……」
「今回の場合、時間をかけて……という前提がまず不可能ですね」
「ええ。そして後者の場合でも、儀礼的な省庁を間に挟んで交渉する時間さえも惜しいもの。……だから、私が直接言うわ」
「な、何て言うんです!?」
アリサが期待に目を爛々と輝かせながら訊いた。
「……」
ベアトリスは答えなかった。表情は変えなかったが顔色は赤い。文言には悩み続けている。
「……とにかく! 今は、この結婚に利があると思わせることだけが重要なのよ。実利はあとで証明すればいいわ」
勢いよく立ち上がったベアトリスに、他の側近たちも続いた。部屋の扉近くで立ったまま話を聞いていたルーデルスを除いて。
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