簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

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ノルドグレーン分断

政略結婚 1

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 ――これは必然だったのかもしれない――ベアトリス・ローセンダールは思った。数日前に決まったノルドグレーンからの離反なのに、ずいぶん前からそう定められていたようにさえ感じる。
 ――ヴァルデマル・ローセンダール! あの男がいるから、ノルドグレーンでの私はずっと窮屈で、自分をそこから解き放つための力を求めたのだ。その帰結が、父エーリクの横死と、ノルドグレーンからのグラディス・ローセンダール家の排除である。
 ベアトリスが「ローセンダール分家の令嬢」として、楚々そそとしてヴァルデマルに従っていれば、この対立は起きなかったのだろう。だがそれでノルドグレーンに平和と繁栄がもたらされたかどうかは疑わしい。ベアトリスの母オリーヴィアは生前、ヴァルデマルについてこう言い残している。
「あの男がグラディス・ローセンダール家を占有したとして、それで満足すると思わないほうがいいわ。ああいう手合は、成功したらしただけ自意識を肥大させて自己神格化し、大旋渦モールストロムのように何もかもを飲み込んで海の藻屑もくずとしてしまうのよ」
 ヴァルデマルは、なにか高尚こうしょうな――ノルドグレーンやノーラント半島の統一、といったような――目的があって権力を求めていたのではない。人が己の意のままに動き眼前にひれ伏すとき、その愉悦ゆえつが苛立つ心をしずめてくれる、という麻薬的な快楽をただ追い求めているだけなのだ。その終わり方は二通りしかない。心を波立たせている原因は何かということに気づいて逃避するか、あるいは――。

 数十人を収容できるランバンデッド都市管理委員会庁舎の会議室を、たった五人の男女が占拠していた。ベアトリスが議長席に座り、主として彼女の身辺警護を受け持っているアルバレスとアリサがその左手側に、右にはラーゲルフェルトと都市管理委員長のオーデンバリが顔を並べている。組積造そせきぞうの寒々しい議場は静まり返り、これまでベアトリスとともに歩んできた従者たちの思いを代弁するような重苦しさに包まれている。
「私はリードホルムと手を結ぶ……いえ、一体となるのよ。他に道はないのだから」
 湖面に張った氷を打ち割るように、ベアトリスはきっぱりと言い放った。
 ランバンデッドやグラディスの民衆ならば、これで歓呼かんこに湧くのかも知れない。だがこの議場に同席している者のほとんどは、民衆に「絶対者としてのベアトリス」という幻想を扶植ふしょくする側として生きてきた者たちだ。彼ら彼女らの見通しはまだ晴れない。
「しかし……婚嫁こんかというのは、どうにも一足飛いっそくとびに過ぎるように思われます。同盟などではだめなのですか?」
「オーデンバリ、さきほどあなた自身が言ったとおりよ。ジュニエスでの休戦協定があるわ」
「ああ……そうでした」
「仮に、ノア様に無理を通して協定を反故ほごにしてもらえたとしても、せいぜい今の急場しのぎにしかならないわ。そのあとヴァルデマルを打倒するには力が足らないし、ノルドグレーンの覇権を争って内戦に明け暮れている間、カッセルなども大人しくしているかしらね」
「なるほど。そうなるとノーラント半島は、九十年前のターラナ戦争以来の混迷を迎えることになりそうですね」
「展望なきまま混沌に足を踏み入れた先に待っているのは、さらなる混沌と破滅よ」
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