簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

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ノルドグレーン分断

空虚な深淵 1

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 ベアトリスはヴァルデマル・ローセンダールという男を甘く見ていた。あるいは、彼にも幾ばくかの慈愛や良心を期待していいものと思い込んでいた。その致命的な誤認の原因は、彼女がヴァルデマルと遠類の顔なじみであるがゆえに、同等の、主体性ある人として見ていたという点にある。

 ヴァルデマルの生家であるベステルオース・ローセンダール家は、二百年前の建国当初よりノルドグレーンに冠絶かんぜつする権門だったわけではない。せいぜい中堅貴族の一群に名を連ねるという程度の伯爵家だったが、その割には子飼いの私兵が多かったり、常に国の要職に就いているという奇妙な特徴があった。その頃のローセンダール家は、ある密約によって、強い庇護ひごのもとにあったのだ。
 当時、絶大な武力でノーラント半島を支配していたのはリードホルム王国だった。ノルドグレーン公国はその従属国であり、属領ぞくりょうの総督たるノルドグレーン大公はリードホルム王から任命される臣下に過ぎなかった。そんなノルドグレーンにおいて、内乱や反乱が起こった際にリードホルムを利するよう動く――という役目を密かに負っていたのが、ローセンダール家だった。
 そのためにローセンダール家が受けていた優遇は、とくにこれといった功績もなくリードホルム王から要職に推挙すいきょされたり、土地所有をめぐる貴族間の紛争において一方だけ処罰を免れる、といったものだ。当然そういった不公平は他貴族からの嫉視しっしの的となる。ヴァルデマルが幼少の頃まで、ノルドグレーン上層の社交界ではローセンダール家に対する反感が根強かった。

 ベステルオース・ローセンダール家の使用人の間に、こんな逸話が残っている。ヴァルデマルは八歳の頃に足をくじき、補助用のケインを使用していた時期があった。足はその後すぐに快癒かいゆしたが、幼いヴァルデマルはケインを気に入り、常に持ち歩くようになる。
 最初に異変に気づいたのは、庭師と世話係の女中だった。ある時から、ローセンダール家の庭園が荒らされるようになった。庭木は根元近くの樹皮が傷つき、夏の盛りだというのに晩秋のように葉が落ちていた。草花も踏み荒らされ、庭師が丹精込めた薔薇の生け垣も、花が咲く前に朽ち果ててしまった。
 庭園の荒廃と時を同じくして女中を悩ませていたのは、ヴァルデマルに持たせたケインがわずかのうちに、油仮漆ワニスが剥がれボロボロになってしまうことだった。新しいケインをヴァルデマルに渡しても、また数日で無惨な姿になり、その理由をヴァルデマルに聞いても彼は押し黙ったまま答えようとしなかった。
 ある日、女中は庭師のぼやきを聞き、はたと思い当たった。そして庭に出たヴァルデマルの姿を追ってみると、彼は庭園を歩きながらそこらじゅうの樹木や柵をケインで叩き、草花を踏みにじっていたのだ。
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