簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

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ノルドグレーン分断

訣別の朝 5

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「いえ、アリサ、ノア王と主公しゅこう様の……ご友誼ゆうぎは、私も知らぬではありませんが、彼の意図とは別にランバンデッドを我がものとしたい貴族なども存在するはずですよ」
「今リードホルムでは、旧国王派などと呼ばれる勢力が暗躍している、とも聞きますな」
「……それじゃあ、主公様とノア様のあいだを引き裂こうとして、とか」
 不安感からかアルバレスたちの発言が増えていた。その様子を、ベアトリスはどこか余裕のある笑みさえ浮かべて眺めている。
「そうねえ……もしも侵攻してきた軍がノア王の中央軍なら、抵抗せず降伏なさい。無体むたいな処遇はしないでしょう。それ以外であれば、とにかく逃げることね」
「えっ!?」
「ふふ、冗談よ」
「な、なんと……」
「そうはならないわ」
 ベアトリスは場違いにいたずらっぽく笑う。その含みをもたせた笑顔には皆が困惑しているようだ。
「……では、数の劣勢と地理的条件の不安がある中、どう戦われるんです? ある程度善戦できれば……そうですな、一年も戦いが続いて国じゅうに厭戦えんせん感が充満すれば、それなりに良い条件での講和も可能でしょうけども」
「講和、ね……」
 菫青石アイオライトの瞳に不敵な光を宿しながら、ベアトリスはゆっくりと立ちあがった。
「……今まであなたたちが話していたのは、すべて『現状』よ。私はそれをただ追認する気はないわ。ここからが『計画』」
 不安げな視線がベアトリスに集まる中で、アルバレスの目だけは好奇の色に輝いている。ベアトリスの目に、数年前の勢力拡大期のような覇気が再び宿った――アルバレスはそう感じ取っていた。
「私はこれから、リードホルム王妃となるわ。リードホルムの力を得て、ヴァルデマルを打ち倒すのよ」
 ベアトリスは昂然こうぜんとして言い放った。まったく予想外なその構想に、みな言葉を失っている。
「王妃になってノルドグレーン国民としての権利を失うなら、憲章に従って国内の財産、所領を手放すべき理由もまたなくなる、という理路も通るかもね。今となれば、最早どうでもいいことかも知れないけれど」
 リードホルム王ノアとの政略結婚――これは、ヴァルデマルがかつて画策していたが、今となってはほとんど忘れ去られていた謀略だ。
 表向きはノルドグレーン公国とリードホルム王国の関係強化のための戦略だったが、ヴァルデマルの意図は別のところにある。リードホルム王妃となることによってノルドグレーン県令の資格を失うベアトリスに対し、支援と称して彼の息子たちをグラディス・ローセンダール領の県令代理にえる――つまりベアトリスの所領を、合法的にヴァルデマルに付け替えることを目的としたものだった。
 だが、ここしばらくはノルドグレーン議会議員のあいだでも口のに上ることなく、事ここに至っては、当のヴァルデマルさえ捨て去ったであろう古い絵図面だった。ベアトリスはその色あせた絵図面を潤色じゅんしょくし、効用さえ逆転させた改作を作り上げたのだ。
「なるほど、これは面白くなりそうですね……」
「面白い……!? いや面白いっていうか、こんなことで結婚しちゃうのは……ていうかノア様はどう思って……」
 アリサは目に見えて取り乱しているが、この婚嫁こんか宣言にもっとも驚いたのは、どうやらラーゲルフェルトのようだった。ランバンデッドに姿を現してから一貫して従容しょうようとして迫らずにいた彼が、今は信じられないという顔でベアトリスを見やっている。
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