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ノルドグレーン分断
心の枷 8
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ベアトリスはランバンデッドでの会話を思い出した。
あの夜、ノアは確かにリースベットの名を口にしていた。そこで折もあろうに――ほんとうに間が悪いこと!――侍従長に会談を終わらせられてしまったが、これこそ、ノアが自らベアトリスのもとを訪れてまで話したかったことなのではないか。
ヘルストランド城の中では、うかつに「リースベット王女」の名を口にすることはできないのだろう。
リースベットは六年前に失踪した後も、実兄ノアと密かにつながっていた。この事実がノアと敵対する門閥貴族や後宮勢力に知られると、――エイデシュテットがいちど失敗した――アウグスティンの暗殺がノアの指示によるものである、という陰謀論が息を吹き返してくる。つまりノアの政敵たちに、口撃する武器をひとつ与えることになってしまうのだ。
これまでの報告から、リースベット王女はノアにとって重要な存在であることは疑いない。ランバンデッドの夜、ノアはこれまで口外することなかった、なにか秘密めいたものをベアトリスに話そうとしたのだとしたら――それは二人の関係を、ノアのほうから進展させようとしていたことを意味するのではないだろうか。
「ノア様は、幼少期のほとんどをノルドグレーンで人質として過ごしたはず。兄妹の存在は知っていたけれど、交流はあまり無かったものと……これは勝手な思い込みだったようね」
ノアはランバンデッドから帰ったあと、相変わらず政務に忙殺される日々が続いているという。あの夜のように話をする機会をベアトリスの側で作るのは難しそうだ。だが、ノア以外にも、リースベットについて知っている者は存在する。
「会いに行きましょう。おそらく、いずれ会わなければいけない人なのだから」
ベアトリスは馬車に揺られながら、ずいぶん長い間エディットの報告を思い返していた。まだ宵の口にもなっていないはずなのに、すっかり空は薄暗い。夜道をすすむ危険を避けるため、御者は手綱を振って馬を急がせた。
やがて遠くの山間に、人家の明かりと立ちのぼる煙が見えてきた。スタインフィエレット鉱山のすそ野にある集落、マンスタ村だ。
「なんとか日暮れ前に着きましたな。なんだか、以前より村が明るいような……」
御者が安堵したように言った。
簡素な柵で仕切られた村の入口には、二人の守衛が立っている。一方の守衛が手に持った長槍を掲げ、身振りで馬車に止まるよう指示を出している。暗がりの中では、馬車に掲げられたグラディス・ローセンダール家のタペストリーに気づけないようだ。
御者が馬を止め、事態を把握していない様子の守衛に呼びかける。
「夜分の警備ご苦労。ローセンダール家当主、ベアトリス様のご来臨である」
「なんと、領主様でありましたか!」
守衛はようやくタペストリーの家紋に気づき、あわててひざまずいた。たが、なんだか様子がおかしい。二人のうち背が高く比較的若い守衛はともかく、顔の下半分が髭に覆われた守衛は、どうにも足取りがおぼつかない。
あの夜、ノアは確かにリースベットの名を口にしていた。そこで折もあろうに――ほんとうに間が悪いこと!――侍従長に会談を終わらせられてしまったが、これこそ、ノアが自らベアトリスのもとを訪れてまで話したかったことなのではないか。
ヘルストランド城の中では、うかつに「リースベット王女」の名を口にすることはできないのだろう。
リースベットは六年前に失踪した後も、実兄ノアと密かにつながっていた。この事実がノアと敵対する門閥貴族や後宮勢力に知られると、――エイデシュテットがいちど失敗した――アウグスティンの暗殺がノアの指示によるものである、という陰謀論が息を吹き返してくる。つまりノアの政敵たちに、口撃する武器をひとつ与えることになってしまうのだ。
これまでの報告から、リースベット王女はノアにとって重要な存在であることは疑いない。ランバンデッドの夜、ノアはこれまで口外することなかった、なにか秘密めいたものをベアトリスに話そうとしたのだとしたら――それは二人の関係を、ノアのほうから進展させようとしていたことを意味するのではないだろうか。
「ノア様は、幼少期のほとんどをノルドグレーンで人質として過ごしたはず。兄妹の存在は知っていたけれど、交流はあまり無かったものと……これは勝手な思い込みだったようね」
ノアはランバンデッドから帰ったあと、相変わらず政務に忙殺される日々が続いているという。あの夜のように話をする機会をベアトリスの側で作るのは難しそうだ。だが、ノア以外にも、リースベットについて知っている者は存在する。
「会いに行きましょう。おそらく、いずれ会わなければいけない人なのだから」
ベアトリスは馬車に揺られながら、ずいぶん長い間エディットの報告を思い返していた。まだ宵の口にもなっていないはずなのに、すっかり空は薄暗い。夜道をすすむ危険を避けるため、御者は手綱を振って馬を急がせた。
やがて遠くの山間に、人家の明かりと立ちのぼる煙が見えてきた。スタインフィエレット鉱山のすそ野にある集落、マンスタ村だ。
「なんとか日暮れ前に着きましたな。なんだか、以前より村が明るいような……」
御者が安堵したように言った。
簡素な柵で仕切られた村の入口には、二人の守衛が立っている。一方の守衛が手に持った長槍を掲げ、身振りで馬車に止まるよう指示を出している。暗がりの中では、馬車に掲げられたグラディス・ローセンダール家のタペストリーに気づけないようだ。
御者が馬を止め、事態を把握していない様子の守衛に呼びかける。
「夜分の警備ご苦労。ローセンダール家当主、ベアトリス様のご来臨である」
「なんと、領主様でありましたか!」
守衛はようやくタペストリーの家紋に気づき、あわててひざまずいた。たが、なんだか様子がおかしい。二人のうち背が高く比較的若い守衛はともかく、顔の下半分が髭に覆われた守衛は、どうにも足取りがおぼつかない。
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