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ノア王の心裏
氷解 3
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黙々と食べるリードホルム王家関係者たちを眺めていたベアトリスに、ふたりの視線が集まった。その視線に急き立てられるように、ベアトリスもサンドイッチを口に運んだ。
口に含んだ刹那、ベアトリスは思わず目を見開いた。口の中でさらさらと崩れる白身の舌触りと淡白な味――とは独立して、青臭い瓜のような香りが鼻に抜ける。これは、ベアトリスがこれまで経験したことのない、極めて苦手な風味だった。
このサンドイッチは、「ランバンデッド湖にいちど網を投げれば100匹はかかる」と言われるスメルタという魚を塩煮にし、そのほぐし身と野菜類を薄焼きのパンで包んだ軽食だ。
スメルタはランバンデッドの住民たちにもっとも親しまれている魚だが、ベアトリスはこれまで口にしたことがなかった。領主であるベアトリスの口に入るランバンデッド湖の食材は、スメルタのようなやや臭みのある大衆魚ではなく、サケやマスなどの食べやすい魚が主流だった。これらは比較的高級な食材でもあり、庶民の口に入る機会はあまり多くない。
スメルタの匂いは、慣れてしまえば気にならないと言う者がほとんどだ。それでも行商人などのあいだでは、新興都市ランバンデッドで食事をとる際の注意点として密かに言い伝えられている。
また、スメルタのような独特の風味をもった食材の匂いを消すハーブやスパイスなども、市中に出回る量は少ない。一般庶民向けの料理ではあまり用いられることもなく――ベアトリスにとって不運なことに――露店の店主もあまり味を気にする質ではなかった。
ベアトリスは大きな目の端に涙をためながら、「味覚の許容度は精神の柔軟性と相関する」という母の言葉を思い出していた。そして、喉の筋肉に体中のエネルギーを集中し、なんとか飲み込んだ。母の教えが呪いの別名ではないかと一瞬でも疑ったのは、今日が初めてだった。
――こういうものを、目を白黒させた挙げ句に吐き出し、抗議の悲鳴でもあげれば可愛げがあるのかもしれない。けれど私はある時期から、そんな「可愛げ」をほとんど拒絶するように生きてきた。ヴァルデマルのような男になびいて、媚びを売るようなしぐさに思えたからだ。
「いいなー」
あとどれほど噛みちぎれば無くなるとも知れないサンドイッチを暗澹たる思いで見つめるベアトリスの耳に、子供の声が飛び込んできた。ベアトリスは勢いよく顔を上げ、すぐさま声のした方に駆け寄った。
「食べる?」
ベアトリスは、陽光を受けてランバンデッド湖の湖面を跳ねるスメルタの輝きのような微笑みを浮かべ、物欲しそうに見ていた男児にサンドイッチを手渡した。
仮面を張り付けたような笑顔を浮かべながら、ベアトリスはノアたちのもとへ戻った。
「この町には子供もいるのだな。まだまだ数は少ないようだが」
「いまのは移住者の子供ですが……すでに生まれていますわ、ランバンデッドを故郷にする子供が」
「そうか……苦手な味だったかな?」
「そんなことは!」
耳まで真っ赤になったベアトリスを見て、ノアは愉快そうに笑った。ノアのこんな笑顔は、ヘルストランド城ではついぞ見たことがない――そう感じていたのはベアトリスのみならず、ブリクストも同様だった。
口に含んだ刹那、ベアトリスは思わず目を見開いた。口の中でさらさらと崩れる白身の舌触りと淡白な味――とは独立して、青臭い瓜のような香りが鼻に抜ける。これは、ベアトリスがこれまで経験したことのない、極めて苦手な風味だった。
このサンドイッチは、「ランバンデッド湖にいちど網を投げれば100匹はかかる」と言われるスメルタという魚を塩煮にし、そのほぐし身と野菜類を薄焼きのパンで包んだ軽食だ。
スメルタはランバンデッドの住民たちにもっとも親しまれている魚だが、ベアトリスはこれまで口にしたことがなかった。領主であるベアトリスの口に入るランバンデッド湖の食材は、スメルタのようなやや臭みのある大衆魚ではなく、サケやマスなどの食べやすい魚が主流だった。これらは比較的高級な食材でもあり、庶民の口に入る機会はあまり多くない。
スメルタの匂いは、慣れてしまえば気にならないと言う者がほとんどだ。それでも行商人などのあいだでは、新興都市ランバンデッドで食事をとる際の注意点として密かに言い伝えられている。
また、スメルタのような独特の風味をもった食材の匂いを消すハーブやスパイスなども、市中に出回る量は少ない。一般庶民向けの料理ではあまり用いられることもなく――ベアトリスにとって不運なことに――露店の店主もあまり味を気にする質ではなかった。
ベアトリスは大きな目の端に涙をためながら、「味覚の許容度は精神の柔軟性と相関する」という母の言葉を思い出していた。そして、喉の筋肉に体中のエネルギーを集中し、なんとか飲み込んだ。母の教えが呪いの別名ではないかと一瞬でも疑ったのは、今日が初めてだった。
――こういうものを、目を白黒させた挙げ句に吐き出し、抗議の悲鳴でもあげれば可愛げがあるのかもしれない。けれど私はある時期から、そんな「可愛げ」をほとんど拒絶するように生きてきた。ヴァルデマルのような男になびいて、媚びを売るようなしぐさに思えたからだ。
「いいなー」
あとどれほど噛みちぎれば無くなるとも知れないサンドイッチを暗澹たる思いで見つめるベアトリスの耳に、子供の声が飛び込んできた。ベアトリスは勢いよく顔を上げ、すぐさま声のした方に駆け寄った。
「食べる?」
ベアトリスは、陽光を受けてランバンデッド湖の湖面を跳ねるスメルタの輝きのような微笑みを浮かべ、物欲しそうに見ていた男児にサンドイッチを手渡した。
仮面を張り付けたような笑顔を浮かべながら、ベアトリスはノアたちのもとへ戻った。
「この町には子供もいるのだな。まだまだ数は少ないようだが」
「いまのは移住者の子供ですが……すでに生まれていますわ、ランバンデッドを故郷にする子供が」
「そうか……苦手な味だったかな?」
「そんなことは!」
耳まで真っ赤になったベアトリスを見て、ノアは愉快そうに笑った。ノアのこんな笑顔は、ヘルストランド城ではついぞ見たことがない――そう感じていたのはベアトリスのみならず、ブリクストも同様だった。
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