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ノア王の心裏
欺瞞の空音 6
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「ああ。青は特別でね。他の色と違って、ノーラントじゃほとんど採れない瑠璃や藍銅鉱が原料なんだ。それが、三年ぐらい前から手に入りやすくなった。画商に聞いてみたら、あんたがノルドグレーンからの交易を活発にしてくれたおかげだそうじゃないか」
「助けになったのなら、それはさいわいですわ」
「青は欠かせないんだよ、あたしには」
ダニエラの言う四年前、現在よりも交易ルートが限られていたリードホルムでは、青色の油絵具はほとんど流通していなかった。それがジュニエスの戦い以後、ベアトリスが開拓した新たな交易路によって、フィスカルボ経由で輸入されたものがリードホルムでも流通するようになったのだ。それでも粉末状にした宝石が原料の青色絵具は高級品で、名の売れていない画家などは頻繁な使用をためらうことが多い。
ダニエラの描く絵には、彼女の言うとおりかならず、印象的な青色が配されていた。窓辺で物憂げに外を眺める女や、青空と暗い城内を対比的に描いた風景画など――自由を希求するテーマ性を感じさせる絵は、これまでの画壇にはなかった精神性を象徴している、と評され注目を集めつつあった。そしてそれらの作品群によって、ダニエラ・ノルデンフェルト・エーベルゴードの青は、ひとつの個性として認められている。
ダニエラはキャンバスの端から片目をのぞかせつつ、木炭を持った手は休みなく動いている。
「あんたのローセンダール家も、ノルドグレーンじゃ名門中の名門だろ? 人質時代のノア様に会ったりはしなかった?」
「当時の私は、首都ベステルオースにリードホルムの王子がいることすら知りませんでしたわ。ノア様がリードホルムに帰られた時点で、おそらく私はまだ十四か五。国の中央で何が起きているかなど、まだ興味もありませんでした」
「あら、意外だね」
「わがローセンダール家は、所詮グラディスの分家……本家のヴァルデマルと違い、あまり政界に顔が利くわけでもありませんでしたし」
「思ったより複雑なんだねえ」
「ノア様は、十年ほどノルドグレーンに滞在したらしいですが……そのうち二年ほどは、ダニエラさんと時期が重なっていたのでは?」
「そうだね。もちろんあたしも、あっちじゃノア様に一度も会ったことなかったけどさ。……それにしても、あの塔に幽閉されてた六年のおかげで、あたしはいま画家としてそれなりの地位についてるんだ。なにが転機になるかわからないね」
「え……ではまさか、斎姫としての幽閉期間中に、絵の勉強をされていたのですか?」
「そ。たぶん親父が裏金を積んでくれたせいもあると思うけど、アーンフェって名前の教師がついてくれたよ」
「そんなことが……」
「あたしは肌が弱いから、どの道あんまり外に出ないしね」
わずかにそばかすの残る顔で、ダニエラが笑った。
「絵が完成したら、いい場所に飾っておくれよ。絵を売った金はそんなに必要じゃないけど、画家としての名誉はやっぱり欲しいんでね」
「それは約束しますわ」
「それと……このあと、誰彼かまわず気軽に肖像画を描かせないでよ。あたしの絵の価値が下がる」
ベアトリスは小さく笑い、花台のランタンに視線を戻した。ふとランタンそのものが、中で燃える灯火とともに揺れているような気がした。
「あ……」
揺れているのはランタンではなく、ベアトリスの視界そのものだ。視界が黒くにごる。世界が遠のき、ベアトリスは椅子から崩れ落ちた。ダニエラのおどろく声が遠くで聞こえる。
「助けになったのなら、それはさいわいですわ」
「青は欠かせないんだよ、あたしには」
ダニエラの言う四年前、現在よりも交易ルートが限られていたリードホルムでは、青色の油絵具はほとんど流通していなかった。それがジュニエスの戦い以後、ベアトリスが開拓した新たな交易路によって、フィスカルボ経由で輸入されたものがリードホルムでも流通するようになったのだ。それでも粉末状にした宝石が原料の青色絵具は高級品で、名の売れていない画家などは頻繁な使用をためらうことが多い。
ダニエラの描く絵には、彼女の言うとおりかならず、印象的な青色が配されていた。窓辺で物憂げに外を眺める女や、青空と暗い城内を対比的に描いた風景画など――自由を希求するテーマ性を感じさせる絵は、これまでの画壇にはなかった精神性を象徴している、と評され注目を集めつつあった。そしてそれらの作品群によって、ダニエラ・ノルデンフェルト・エーベルゴードの青は、ひとつの個性として認められている。
ダニエラはキャンバスの端から片目をのぞかせつつ、木炭を持った手は休みなく動いている。
「あんたのローセンダール家も、ノルドグレーンじゃ名門中の名門だろ? 人質時代のノア様に会ったりはしなかった?」
「当時の私は、首都ベステルオースにリードホルムの王子がいることすら知りませんでしたわ。ノア様がリードホルムに帰られた時点で、おそらく私はまだ十四か五。国の中央で何が起きているかなど、まだ興味もありませんでした」
「あら、意外だね」
「わがローセンダール家は、所詮グラディスの分家……本家のヴァルデマルと違い、あまり政界に顔が利くわけでもありませんでしたし」
「思ったより複雑なんだねえ」
「ノア様は、十年ほどノルドグレーンに滞在したらしいですが……そのうち二年ほどは、ダニエラさんと時期が重なっていたのでは?」
「そうだね。もちろんあたしも、あっちじゃノア様に一度も会ったことなかったけどさ。……それにしても、あの塔に幽閉されてた六年のおかげで、あたしはいま画家としてそれなりの地位についてるんだ。なにが転機になるかわからないね」
「え……ではまさか、斎姫としての幽閉期間中に、絵の勉強をされていたのですか?」
「そ。たぶん親父が裏金を積んでくれたせいもあると思うけど、アーンフェって名前の教師がついてくれたよ」
「そんなことが……」
「あたしは肌が弱いから、どの道あんまり外に出ないしね」
わずかにそばかすの残る顔で、ダニエラが笑った。
「絵が完成したら、いい場所に飾っておくれよ。絵を売った金はそんなに必要じゃないけど、画家としての名誉はやっぱり欲しいんでね」
「それは約束しますわ」
「それと……このあと、誰彼かまわず気軽に肖像画を描かせないでよ。あたしの絵の価値が下がる」
ベアトリスは小さく笑い、花台のランタンに視線を戻した。ふとランタンそのものが、中で燃える灯火とともに揺れているような気がした。
「あ……」
揺れているのはランタンではなく、ベアトリスの視界そのものだ。視界が黒くにごる。世界が遠のき、ベアトリスは椅子から崩れ落ちた。ダニエラのおどろく声が遠くで聞こえる。
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