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ノア王の心裏
仮面 3
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約一ヶ月ぶりの主人の帰還とあって、使用人たちは万全の受け入れ態勢をととのえていた。ベアトリスたちは到着してすぐ温かい食事にありつくことができ、旅の疲れを癒やす時間を充分に得られた。天井に吊るされたシャンデリアにはまだ火が灯されておらず、窓から差し込む日差しと暖炉に揺れる炎で、食堂は柔らかな明るさに包まれている。陽光にゆらゆらと輝く湖と紅茶を眺めながら、話題にのぼったのはやはりオットソンのことだった。
「私もひさびさに驚きましたよ。まさか決闘とは」
「計算高い男だとばかり思っていたから、なおさらね」
「あとから聞いた話ですけど、土壇場では思いきった行動に出ることが多かったそうです。おそらくそれが本性でしょう。……そこを読みきれなかったラーゲルフェルトさんを、フィスカルボに残してきてよかったんですか?」
「いちど失敗したからこそ、まあ、次は大丈夫よ」
「無能な男ではありませんからね。その点だけは私も認めます」
「なんか危なっかしいなあ」
アリサの辛辣な人物評を、ベアトリスとアルバレスが否定した。ルーデルスだけは、ときどき紅茶を飲む以外には口を動かさないでいる。
「わからぬものですね。イェルケル・オットソンといえば、それなりに領民と意を通じる領主として名を知られていたものが……」
「あの男はヴァルデマルに単純な答えを示されて、それに飛びついたのよ。『運よくジュニエスの戦いに勝って公益ルートを手に入れた私が、陰謀によって己を陥れた』というストーリーを。一見すると筋は通っていて、己のプライドを保てるストーリーをね」
「ヴァルデマルにそそのかされたとはいえ、つまらないプライドで身を滅ぼしたものですね」
「……つまらぬ、かもしれませんが、だからこそ侮ってはならぬ心性ですよ。アリサ」
「そうね。気をつけねばならないわ……」
ベアトリスは窓外の景色を見やって、静かにため息をついた。
「私はオットソンに対して、領主が隷農に接するような処遇は、避けていたつもりだったのだけれど……」
フィスカルボにおける一連の騒動で、彼女にとって最大の誤算はここだった。窮地のオットソンをさらに追い詰めるような行動はせず、あくまで寛容に対応していた結果が、決闘という破局だったのだ。
「……善意のほどこしを、そのまま受けとめられぬ者もいます。おそらくあの男は、己とそれ以外を対等だと考えていなかったのです。『それ以外』には、まず私のような異国の民や、女という性別も含まれていたでしょう。むろんアリサやルーデルスのような平民も同様でしょうね」
「わかっているわ。それでも……せめて欲得ずくでも、道を同じくすることはできなかったのかしらね」
「そんなことも不可能ではない、のかもしれません。しかし……」
アルバレスは椅子の背もたれから身をはがし、居住まいをただしてベアトリスに向き直った。
「そのために一体どれほど、道を譲らねばならぬのでしょう? 彼我の才覚の差を認められぬほど狭量な者どもに、権力を明け渡すことになりますよ」
「そうね。そうなれば私だけの問題ではなくなる……公正な社会が成り立たないわ」
「……権門の愚か者ひとりを生かすために千の民を殺すのでは、道理が通りません。今は振り返りなさいませぬよう」
おもむろに励ますような台詞を口にしたのは、意外な人物だった。静かに紅茶を口に運ぼうとするその男のほうを、全員が驚いて振り向く。
「ルーデルス! あんた口がきけたの!?」
「私もひさびさに驚きましたよ。まさか決闘とは」
「計算高い男だとばかり思っていたから、なおさらね」
「あとから聞いた話ですけど、土壇場では思いきった行動に出ることが多かったそうです。おそらくそれが本性でしょう。……そこを読みきれなかったラーゲルフェルトさんを、フィスカルボに残してきてよかったんですか?」
「いちど失敗したからこそ、まあ、次は大丈夫よ」
「無能な男ではありませんからね。その点だけは私も認めます」
「なんか危なっかしいなあ」
アリサの辛辣な人物評を、ベアトリスとアルバレスが否定した。ルーデルスだけは、ときどき紅茶を飲む以外には口を動かさないでいる。
「わからぬものですね。イェルケル・オットソンといえば、それなりに領民と意を通じる領主として名を知られていたものが……」
「あの男はヴァルデマルに単純な答えを示されて、それに飛びついたのよ。『運よくジュニエスの戦いに勝って公益ルートを手に入れた私が、陰謀によって己を陥れた』というストーリーを。一見すると筋は通っていて、己のプライドを保てるストーリーをね」
「ヴァルデマルにそそのかされたとはいえ、つまらないプライドで身を滅ぼしたものですね」
「……つまらぬ、かもしれませんが、だからこそ侮ってはならぬ心性ですよ。アリサ」
「そうね。気をつけねばならないわ……」
ベアトリスは窓外の景色を見やって、静かにため息をついた。
「私はオットソンに対して、領主が隷農に接するような処遇は、避けていたつもりだったのだけれど……」
フィスカルボにおける一連の騒動で、彼女にとって最大の誤算はここだった。窮地のオットソンをさらに追い詰めるような行動はせず、あくまで寛容に対応していた結果が、決闘という破局だったのだ。
「……善意のほどこしを、そのまま受けとめられぬ者もいます。おそらくあの男は、己とそれ以外を対等だと考えていなかったのです。『それ以外』には、まず私のような異国の民や、女という性別も含まれていたでしょう。むろんアリサやルーデルスのような平民も同様でしょうね」
「わかっているわ。それでも……せめて欲得ずくでも、道を同じくすることはできなかったのかしらね」
「そんなことも不可能ではない、のかもしれません。しかし……」
アルバレスは椅子の背もたれから身をはがし、居住まいをただしてベアトリスに向き直った。
「そのために一体どれほど、道を譲らねばならぬのでしょう? 彼我の才覚の差を認められぬほど狭量な者どもに、権力を明け渡すことになりますよ」
「そうね。そうなれば私だけの問題ではなくなる……公正な社会が成り立たないわ」
「……権門の愚か者ひとりを生かすために千の民を殺すのでは、道理が通りません。今は振り返りなさいませぬよう」
おもむろに励ますような台詞を口にしたのは、意外な人物だった。静かに紅茶を口に運ぼうとするその男のほうを、全員が驚いて振り向く。
「ルーデルス! あんた口がきけたの!?」
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