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フィスカルボの諍乱
勝利という縛鎖 3
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「……私がやるわ」
にがみ走った顔でベアトリスが答えた。
湖面の氷が割れるように、はじめは控えめに、やがて遠雷の響いてくるような勢いで、酒場じゅうに歓声が沸き上がった。
「……決闘だって?」
「ベアトリス・ローセンダールとオットソン県令が決闘だ!」
「野蛮なこと! 決闘などまもなく禁止されようという時代に」
「ノルドグレーンきっての、気鋭の二人が決闘だぞ。野暮なことを言うんじゃねえよ!」
「やはり銃を使うのかな?」
「それはそうでしょう。いち早く銃に目をつけたお二人だもの」
身じろぎもせずにらみ合うベアトリスとオットソンと、ふたりを煽り立てるように包む歓声に、アリサとルーデルス、アルバレスさえも戸惑いを隠せずにいる。
オットソンは懐から一通の封筒を取り出し、テーブルに置いた。
「……場所と時間はこれに」
「わかったわ」
短く言葉をか交わすとすぐに踵を返し、オットソンは階段を降りていった。彼が置いていった、オットソンの頭文字が捺された封じ蝋でとじられたその封筒は、まぎれもなく決闘状だ。オットソンが階下に降りると喧騒は静まり、役者たちをステージにいざなうように、人だかりが開けて出口への道ができてゆく。
「でもローセンダール様が勝つわ」
「そうよ。ジュニエスでだって勝ったのだから!」
オットソンたちの姿がスヴァルトラストの酒場から消えると、それまでとは少し違った様子のざわめきが戻った。ベアトリス見たさに集まった客たちにはやはり、彼女に味方する声が多いようだ。
「ああ……しまった……」
ラーゲルフェルトはテーブルに両肘をつき、頭を抱えてぼやいた。彼にしては珍しく、表情どおりに後悔しているようだ。
この場においてベアトリスには、オットソンの要求を拒むという選択肢はなかった。
ベアトリス・ローセンダールは、リードホルム近衛兵にすら勝利した、不敗の戦女神である――ラーゲルフェルトが事あるごとに喧伝していたその印象が、彼女を縛っていたのだ。客たちはそのベアトリスを見に来たのであり、切れば血の出る、おなじ人でしかないベアトリスを見に来たのではない。決闘の申し出を断る、あるいは誰かを代理に立てるということはすなわち、ベアトリス・ローセンダールが噂とは異なる、弱くありきたりな女であることを意味する。
「申し訳ない。言葉もありません」
「あなただけのせいじゃないわ。……私が、そういう幻想をうまく利用して味方を増やしてきたことは事実なのだから」
「そうでもしなければ、万を超える人間を動かすことはできないでしょう、が……」
「ああ、僕は情けないことに、まったく予測できていませんでした。計算高さで名の通ったあの男が、よもや決闘とは」
「暗殺まで企てておいて、何の面目があって……なんて言っていられないわね。オットソンがどこまで計算の上で、ここで決闘を申し込みに来たのかはわからない。なんにせよ私は、それを受けざるを得なかった。これは私の弱さよ」
酒場入り口の扉がひとりでに、ばたばたと乱暴に開閉している。どうやら外は風が強まり、街路に出ると荒れはじめた海の波音が聞こえてくる。客たちは、ひいきの演者が主演する即興劇を見て満足したらしく、雨が降り出す前にいそいそとスヴァルトラスト・ヴァードシュースを後にしていった。
にがみ走った顔でベアトリスが答えた。
湖面の氷が割れるように、はじめは控えめに、やがて遠雷の響いてくるような勢いで、酒場じゅうに歓声が沸き上がった。
「……決闘だって?」
「ベアトリス・ローセンダールとオットソン県令が決闘だ!」
「野蛮なこと! 決闘などまもなく禁止されようという時代に」
「ノルドグレーンきっての、気鋭の二人が決闘だぞ。野暮なことを言うんじゃねえよ!」
「やはり銃を使うのかな?」
「それはそうでしょう。いち早く銃に目をつけたお二人だもの」
身じろぎもせずにらみ合うベアトリスとオットソンと、ふたりを煽り立てるように包む歓声に、アリサとルーデルス、アルバレスさえも戸惑いを隠せずにいる。
オットソンは懐から一通の封筒を取り出し、テーブルに置いた。
「……場所と時間はこれに」
「わかったわ」
短く言葉をか交わすとすぐに踵を返し、オットソンは階段を降りていった。彼が置いていった、オットソンの頭文字が捺された封じ蝋でとじられたその封筒は、まぎれもなく決闘状だ。オットソンが階下に降りると喧騒は静まり、役者たちをステージにいざなうように、人だかりが開けて出口への道ができてゆく。
「でもローセンダール様が勝つわ」
「そうよ。ジュニエスでだって勝ったのだから!」
オットソンたちの姿がスヴァルトラストの酒場から消えると、それまでとは少し違った様子のざわめきが戻った。ベアトリス見たさに集まった客たちにはやはり、彼女に味方する声が多いようだ。
「ああ……しまった……」
ラーゲルフェルトはテーブルに両肘をつき、頭を抱えてぼやいた。彼にしては珍しく、表情どおりに後悔しているようだ。
この場においてベアトリスには、オットソンの要求を拒むという選択肢はなかった。
ベアトリス・ローセンダールは、リードホルム近衛兵にすら勝利した、不敗の戦女神である――ラーゲルフェルトが事あるごとに喧伝していたその印象が、彼女を縛っていたのだ。客たちはそのベアトリスを見に来たのであり、切れば血の出る、おなじ人でしかないベアトリスを見に来たのではない。決闘の申し出を断る、あるいは誰かを代理に立てるということはすなわち、ベアトリス・ローセンダールが噂とは異なる、弱くありきたりな女であることを意味する。
「申し訳ない。言葉もありません」
「あなただけのせいじゃないわ。……私が、そういう幻想をうまく利用して味方を増やしてきたことは事実なのだから」
「そうでもしなければ、万を超える人間を動かすことはできないでしょう、が……」
「ああ、僕は情けないことに、まったく予測できていませんでした。計算高さで名の通ったあの男が、よもや決闘とは」
「暗殺まで企てておいて、何の面目があって……なんて言っていられないわね。オットソンがどこまで計算の上で、ここで決闘を申し込みに来たのかはわからない。なんにせよ私は、それを受けざるを得なかった。これは私の弱さよ」
酒場入り口の扉がひとりでに、ばたばたと乱暴に開閉している。どうやら外は風が強まり、街路に出ると荒れはじめた海の波音が聞こえてくる。客たちは、ひいきの演者が主演する即興劇を見て満足したらしく、雨が降り出す前にいそいそとスヴァルトラスト・ヴァードシュースを後にしていった。
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