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フィスカルボの諍乱
矛盾の人 2
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官職を追われて下野していたラーゲルフェルトと、ベアトリスは意外な場所で出会うことになる。グラディスにあるローセンダール家の本宅で、そのときベアトリスは、ラーゲルフェルト本人を招いたつもりはなかった。
二年半ほど前、ジュニエスの戦いにおける勝利から一年が過ぎた頃である。当時のグラディス・ローセンダール家は、みずから開拓した都市ランバンデットの運営をようやく軌道に乗せ、威勢は比類ないものとなっていた。
一方でベアトリス本人はと言うと、権力闘争などとは別種の、漠然とした不安に囚われはじめていた。目下のところは、とくに母オリーヴィアの教えに則って邁進し、成功を収め続けている。だがその成果について、ほんとうに自分が導いたものなのか、どうも確信が持てなくなってきていたのだ。
そんな針で胸をつつくような不安、迷いの中でベアトリスは、ノルシュトレームという名の哲学者に興味を抱く。彼を自らの陣営に引き入れるかはともかく、迷いから抜け出すよすがに、いちど会って話を聞こうと考えた。そしてノルシュトレームをグラディスの屋敷に招いたのだが、その老哲学者がベアトリスに投げかけた言葉は、良くも悪くも予想外のものだった。
「あなたのご母堂からは、幾度か門弟の学資において支援も頂いた。その恩もあるので率直に申し上げよう」
彫りの深い顔を真っ白な蓬髪とひげに覆われたノルシュトレームはそう前置きし、助手の男から数枚の麻紙を受け取った。
「これはひと月前、返答を手紙で済ませようと書いたものだが……それではあまりに礼を失していると思い、今日こうして参じた次第だ。今でも思うところは変わっていないので、このまま読み上げてお伝えするとしよう」
ノルシュトレームは小さく咳払いし、よく通る声で朗々と読み上げた。
「たとえ形だけとはいえ、議会制で意思決定がなされるノルドグレーンは、ターラナ戦争に勝利したジグフリードソン大公が二百年前、リードホルムからもぎ取った権利の果実である。その種が地に落ちて芽吹き、ようやく大樹となってリードホルムを樹下に抱くほどに成長した。……王権という亡霊から自由を勝ち得た我が国において、しかしベアトリス・ローセンダールは時代の流れを遡行させる、若く、気高く、しかし悪しき蔦である。その花は美しいのかもしれないが、ノルドグレーンという福音の大樹を枯死させる寄生木である」
ノルシュトレームはベアトリスを前にして臆面もなく、批判的な長口上を続ける。
「権益をつぎつぎと己自身に付け替えるローセンダールの振る舞いの、その先にあるもの! たとえ勝ち得た財を開拓や開発という形で民衆に還元してはいても、裁量権を個人に集中させ続けた先に待ち構えているものは、ノルドグレーンがいちど放棄した封建制の復古である」
演説めいたノルシュトレームの舌鋒にベアトリスが唖然としていると、老哲学者は麻紙を折りたたんで助手に手渡した。
「内容をご理解いただけたのなら私の教えなど不要であろうし、ご理解いただけなければ私の存在が不要であろう」
「……」
ベアトリスはなおも驚いた顔で、言葉を発せられずにいる。
「さて、この料理は私が食べなければ捨てられるのでしょうから、頂いてから帰りますかな」
ノルシュトレームそう言って、テーブルの上に並べられたフィンカやパン、茹でた川エビなどの料理を次々と口に放り込みはじめた。
二年半ほど前、ジュニエスの戦いにおける勝利から一年が過ぎた頃である。当時のグラディス・ローセンダール家は、みずから開拓した都市ランバンデットの運営をようやく軌道に乗せ、威勢は比類ないものとなっていた。
一方でベアトリス本人はと言うと、権力闘争などとは別種の、漠然とした不安に囚われはじめていた。目下のところは、とくに母オリーヴィアの教えに則って邁進し、成功を収め続けている。だがその成果について、ほんとうに自分が導いたものなのか、どうも確信が持てなくなってきていたのだ。
そんな針で胸をつつくような不安、迷いの中でベアトリスは、ノルシュトレームという名の哲学者に興味を抱く。彼を自らの陣営に引き入れるかはともかく、迷いから抜け出すよすがに、いちど会って話を聞こうと考えた。そしてノルシュトレームをグラディスの屋敷に招いたのだが、その老哲学者がベアトリスに投げかけた言葉は、良くも悪くも予想外のものだった。
「あなたのご母堂からは、幾度か門弟の学資において支援も頂いた。その恩もあるので率直に申し上げよう」
彫りの深い顔を真っ白な蓬髪とひげに覆われたノルシュトレームはそう前置きし、助手の男から数枚の麻紙を受け取った。
「これはひと月前、返答を手紙で済ませようと書いたものだが……それではあまりに礼を失していると思い、今日こうして参じた次第だ。今でも思うところは変わっていないので、このまま読み上げてお伝えするとしよう」
ノルシュトレームは小さく咳払いし、よく通る声で朗々と読み上げた。
「たとえ形だけとはいえ、議会制で意思決定がなされるノルドグレーンは、ターラナ戦争に勝利したジグフリードソン大公が二百年前、リードホルムからもぎ取った権利の果実である。その種が地に落ちて芽吹き、ようやく大樹となってリードホルムを樹下に抱くほどに成長した。……王権という亡霊から自由を勝ち得た我が国において、しかしベアトリス・ローセンダールは時代の流れを遡行させる、若く、気高く、しかし悪しき蔦である。その花は美しいのかもしれないが、ノルドグレーンという福音の大樹を枯死させる寄生木である」
ノルシュトレームはベアトリスを前にして臆面もなく、批判的な長口上を続ける。
「権益をつぎつぎと己自身に付け替えるローセンダールの振る舞いの、その先にあるもの! たとえ勝ち得た財を開拓や開発という形で民衆に還元してはいても、裁量権を個人に集中させ続けた先に待ち構えているものは、ノルドグレーンがいちど放棄した封建制の復古である」
演説めいたノルシュトレームの舌鋒にベアトリスが唖然としていると、老哲学者は麻紙を折りたたんで助手に手渡した。
「内容をご理解いただけたのなら私の教えなど不要であろうし、ご理解いただけなければ私の存在が不要であろう」
「……」
ベアトリスはなおも驚いた顔で、言葉を発せられずにいる。
「さて、この料理は私が食べなければ捨てられるのでしょうから、頂いてから帰りますかな」
ノルシュトレームそう言って、テーブルの上に並べられたフィンカやパン、茹でた川エビなどの料理を次々と口に放り込みはじめた。
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