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五月・足長おじさんと

5/10(土) 恋バナ(番外)

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 押し入れの中からシャンジュの寝息が聞こえない。玄関にはシャンジュの分の靴が無い。他になくなったものはなにもない。
 朝起きると一人だった彼は、コーヒーチケットを使うために喫茶店に行くことにした。
 電話台から蛇腹折りの画用紙を出す。吸血鬼は随分と使い込んだらしい、前見た時より半分に減っている。
 家にいる時間はシャンジュのほうが長いから、こういうことになるだろうとは思ったけどさ。
 そういえば一人で喫茶店に行くことなんて、彼が来るまで考えもしなかった。
 休みの日のほうが以外と人がいないらしい。ドアのガラス越しにアルバイトが暇そうにレジでだらけているのが見えた。
「あ、いらっしゃいませ。空いてるお席にどうぞ」
「モーニング一つ、コーヒーチケット使えますか」
「はい、使えますよ」
 一人なのでカウンター席に座る。コーヒーチケットの処理をして返し、何か思い出したように話しかける。
「あっ、この番号、もしかしてシャンジュさんと同居してるバンパイアハンターって……」
「えっ、はい」
「ああやっぱり! 白いって言ってたんで」
 どういう説明だよ。確かに白いけどさ。彼にもシャンジュが仲良くしている喫茶店の店員に一人心当たりがあった。
「なら、君がカツミさん」
「はい」
「うちの……シャンジュと、仲良くしていただいてるようで……」
「ええ、ああ、はい、仲良くさせていただいてますね」
 作業中ともあり、歯切れの悪い返事だ。ジュー、と何かが焼ける音が空白に響く。自らが始めた話だからか、気まずい沈黙を怖れて彼女が話し始める。
「今日は彼は一緒じゃないんですね?」
「はい。夜から出掛けてるみたいで……」
「えっ、ああ、吸血鬼だから。血を吸いに?」
「……そうかも」
 狩人相手にこの返しはまずかったことを克海は悟った。確かに喜んで吸われる人間なんて碌なもんじゃない(自分含め)。雰囲気が重くなり過ぎた。今日は赤彦さんはいない。店長、どこにいるのか知らないけど助けてくれ。あたしゃもうだめだ。克海は心の中で弱音を吐いた。
 モーニングを整え終え、克海はもう無理に何か話そうとはしなかった。これ以上雰囲気を重くしたくはないらしい。
 そもそもこの狩人とメル友の吸血鬼はどういう関係なのか。仲いいのか。吸血鬼の城を壊した仲なのか。どうなんだ。
「やっほう、一月ぶり。どう? 同居は上手くいってる?」
「店長……」
 深刻そうに彼は言う。喋る必要がなくなるらしいとわかって、アルバイトの克海はフライパンの清掃に専念することにした。
「恋バナしません?」
「もしかして上手く行ってない感じ?」
 克海ちゃんお聞きよ恋バナ好きだろ、と店長が話しかける。確かに好きで今まさに耳をそばだてようとしていたけれど。話し上手ではない方だと自覚している克海にとって、重苦しい雰囲気の中で口を開くのは勇気が要った。
「恋バナ、お好きなんですか?」
「ええはい、恋愛しない派なんで聞く専ですが」
「店長は?」
「魔法使いだからね、話のネタは皆無だよ」
「そうですか……」
「それにしても、恋バナ好きって意外だな。もっとお堅いかと思ってた」
「いえ、僕もこういう話は初めてで。内容はありふれているかと」
「この店で恋愛相談か~。すごい新鮮だな」
 話していいですか、と店長の感慨を打ち消して狩人が話し始める。
「僕、好きな人がいるんですよ」
「へえ。誰?」
「名前は伏せさせてください」
「どんな人ですか?」
「……あまり会ったことのない人なんです。年一回くらいで。今年になって初めてちゃんと話したくらいで」
 この時点で店長はなんとなく相手の正体に察しが付いたが、克海は非情に察しが悪かった。質問を続ける。
「どういう関係の人なんですか? 遠い親戚とか? 三親等以上?」
「ええと……まあ、そんな感じで。三親等以上です」
「どういう系? 外見とか性格とか。どのくらい好き?」
「えっと……」
「克海くん、その辺にして話進めさせてあげて」
 すみません、と言って克海は引っ込む。
「どのくらい好きかは、もちろん生涯添い遂げたいくらいですね。どういう系かはその、どういう選択肢があるのかわからないのでうまく言えないんですが……すごく美しい人です。彼は……初めて会った時からずっとそうで、表情の媚びないところとか、笑った時に見える猫みたいな歯とか。でも話してみると意外とかわいいところもあって、意外とずぼらだったり、料理が上手かったりして……それで……」
 話していて、理人はカウンターに視線をやった。モーニングセットのスクランブルエッグとコーヒーが湯気を立てている。話が詰まったところで、店長は聞く。
「へえ。それで君は、その子とどうなりたいの? 僕たちに話してなんとかなるとか?」
「どうにもなれません。でもずっと一緒に居れたらどんなにいいかと思います」
 理人は店長を据わった目で見て言った。
「どうにもなれない?」
「話して楽になりたかったんです。彼と僕、きっとこれからどういう関係にもなれないから。すみません、吐き出し先にしちゃって」
「いやいや大いに結構。ここで得たことは我々だけの秘密にしよう。勿論」
「いいじゃないすか!」
 発言を我慢していた克海は声をあげる。
「禁断の愛でもなんでも! 今は自由恋愛の時代ですよ!? 好きだって伝えるくらいはしてもいいんじゃないですか? まあその先そしたければその子の同意をもちろん得なきゃいけませんが。関係を進ませたいと思うなら、傷付く覚悟はしないと。時間は無情に経ちますから」
「君半分趣味入ってないか」
「好きなんです、恋バナ」
 鼻息荒く語る克海に、理人は思わず鼻で笑った。
「自分のことじゃないからって、好き勝手言うんですね」
「そうだね」
 自分でも酷いこと言ったなと思ったのか、克海は心にもなく金は払えると言った。
「わたしは恋をないけど、恋を守ることは出来るから。振られたらコーヒー奢るよ」
「もうちょっといいものにしなよ」
「まあ……酒でもなんでも一杯奢りますよ。話も聞きたいし」
 克海は水を汲んで飲んだ。これは無料で提供しているものだから、いくら飲んでも怒られはしないだろう。彼女の目論見通り、店長はいちいち何も言わなかった。
「でも真剣ならここで駄弁ってるより伝えた方がいいと思いますよ。伝えるのか伝えないのか、関係を変えたいのか変えたくないのか、それだけ教えてください」
「……変えたくて、変えたいから、今年初めて話しかけたんです。そして僕だけは、いい方向に変わったと思ってます。向こうは……悪魔みたいな性質を持ってて、人には絶対に本心を明かしてくれないんです。僕のことを本当に好きになってくれたらいいんですけど。本当に、……好きなんです。こんな気持ちになるのは彼だけだろうって。確信があるんです。相手にとって僕は厄介なだけな奴かも知れないけど、でも彼にも僕と同じ気持ちになってほしいって思うんです。何にも変えられないんです。たとえ彼が僕のことが嫌いでも。ただの邪魔者以外の関心が無くても。どうしても気持ちが変えられないんです。初めて会った時から、彼の白い表情が頭から離れないんです。初めて会った雪の夜から毎晩毎晩毎晩似たような夢を見るんです。彼に会うたび彼が生きている限りずっと見ると思うし、死んだあとはもっと酷くなるかもしれません。それでもきっとこの気持ちは好きってことなんだと思います。彼と一緒に居ると幸せで、彼と共に居る時間は何物にも代えがたくって、それって僕が彼のことを好きじゃないとあり得ないと思うんです。彼が誰かと一緒になることは耐えられないほど辛いし、彼が誰かに殺されたらきっと気が狂います。これは独占欲でしょう。彼には他の誰にも目移りしてほしくなくって、僕だけ見てほしいんです。これはきっと嫉妬です。好きじゃなきゃこんな気持ちにならないでしょう。こんなに精神が揺れることって無いでしょ。一緒にご飯食べて、一緒にお風呂入って、一緒の布団で寝て。一生を共にしたいって。彼も同じ気持ちだと良いんですけど。きっとそうじゃないんです。笑ってても、ふてくされてても、僕に呆れてても、僕には絶対に本心を話してくれないんです。それがたまらなく辛くって。他の人にも本心を示していなければいいんですけど、でも僕が僕じゃなきゃ彼が素直に話をしてくれてたのかなとか考えるとすごい自己嫌悪で、でも僕が僕じゃなきゃ彼は僕のことなんかきっと見てもくれないんです。彼のことが好きな群衆の一人か、運命で特別な敵対者かどちらか選べって言われたらそりゃ特別なほうを選びたいでしょ。でも僕はどちらも選べなかったんです。僕は彼と好きになり合いたいんです。彼と一緒に幸せになりたいんです。彼は僕のもので、僕は彼のものになりたいんです。彼の幸せは僕であって欲しいんです。彼がずっと僕の事を考えて、彼が僕のことだけ見てくれたらいいって思うんです。でも、それは、彼の意思をあまりにも無視しているから、僕は……」
 運命の相手かー、と店長は天を仰いだ。あまりにも気持ちが重すぎる。無の表情も怖い。セリフも長いし。要約すると理人君は相手のことが好きだけど相手には嫌われてると思っている。自己評価が著しく低い、重すぎる片思いだ。
 克海はうわー重いなー素敵だなーと呑気に思いながら質問する。
「あの、理人さんの気持ちは、相手に素直に伝えてます?」
「……伝えられるわけないじゃないですか。片思い歴十年ですよ。僕の人生の過半数です」
 ダッハ! と克海は品なく笑った。
「こじれとるゥ~! 酒の力とか借ります?」
「未成年なので。でも、いい手だとは思います。意識を朦朧とさせれば隙が生まれる……あんまり好きじゃないんだけどな」
「すき、だけに?」
「冗談言ってんじゃないよ。伝えた方がいいと思いますよ。好きになってほしいって。心理戦出来るほど器用じゃないんでしょ? ニュータイプじゃあるまいし、ちゃんと言葉にしたほうがいいですって」
「僕がどうして話をする機会が無かったか……は、いいや。そうですね。いくらでも話す機会が作れたんだから。僕も頑張ってみます。心理戦は苦手ですけど」
「やったー」
 にやにや笑って克海が言う。
「ちょっと思考実験なんだけど。もしその子が理人さんのことを本当に、理人さんと同じくらい好きだったら、どう思います?」
 コーヒーをすすり、長い沈黙の後、理人は答えた。
「それって、彼が僕だけをずっと好きでいてくれるってことですか?」
「まあ君がそう思ってるんなら。そういう思考実験です」
 怖い無表情で、狩人は言う。
「……幸せで死んじゃうかも」
「いや、生きて幸せになってください」
 それから前に話したことに負けず劣らず中身のない話をしながら少し冷めたモーニングを食べて、理人は三〇六号室に帰った。
「お帰り。どこ行ってたんだ?」
 帰って来ていた風呂上がりの吸血鬼が、狩人を迎えた。
「モーニング食べに行ってた。君こそどこに行ってたの?」
「別に。どこ行ってたっていいだろ。何にやにやしてんの?」
 幸せな思考実験の余韻が現実にも漏れ出ていることに気付いて、狩人は吸血鬼の頬を軽く引っ張った。
「別に?」
「なに今日のお前……変じゃない?」
「そうかな?」
 吸血鬼からは濃く、他の人間の臭いがした。
「あ、そうそう。お前にお土産があったんだ」
 吸血鬼は狩人の腕の中から逃れて、押し入れの中のコートを漁る。
「何?」
「ジャーン。これなんだと思う?」
 そう言って彼は埃っぽい手帳を出した。丈夫な透明のカバーがかかった、猫か何かのキャラクターの親子が書かれていて、名前を書く欄がある。騨理人と、知らない女性の名前。
 久々の再開に、感慨よりも戸惑いが勝った。
「母子手帳だ」
「そ、ここに理人って、名前が書いてある。苗字は違うが、お前のだろ?」
「どこにあったの?」
「……錬金術師の家の、段ボール箱の中。あいつは仕舞い込んで忘れてたみたいだし、貰って来ちゃった。お前のもんなんだろ」
 吸血鬼は下手くそにぽんと手帳を抛る。姿勢を崩し、狩人はそれをすんでのところでキャッチした。
「君、読んだ?」
「まあな、あんまり読めなかったけど。なんか大事なもんなんだろ? 持っとけよ」
 五歳までの自分の記録だ。まさかこんなところで会えるなんて。
「君が持っておいて欲しい」
「いらね。箪笥にでも仕舞っとけ」
 吸血鬼は手を振って、押し入れの中に自らを仕舞い込んだ。
「寝るわ。おやすみ~~。それ仕舞うんなら後にしろよ」
 狩人は母子手帳に目を通したり、一人で食事をとったりして、吸血鬼が起きるのを待った。
 それから吸血鬼は昼過ぎに起きて早速、隈の下がった目で言った。
「パンツを買う。金を寄越せ」
「出し抜けに何?」
「パンツを買うと言った!」
 そして外に出て行きそうな服を着る。一ヶ月くらい前、彼が来たばかりの時にあの怪しげな服屋で買ったきりだ。それきりだから、まあ買いに行ってもおかしくない。
「やっぱりあの脆そうなパンツ、破れたりしたの?」
「いいや。あれは勝負用ということにする。一月もったのが不思議なくらいだ。もうちょいまともなやつを買いに行く」
 言うが早いか勝手に財布から札数枚を抜いていった。こんなもんだろと言って彼はこれからの季節には少々暑い気がするコートのポケットに突っ込み靴を履く。
「ついてくるな! 一人で行ける。どうせポイントカードとか作ってないんだろ!」
「なんかやけに刺々しいな」
「やかましいわッ!」
 ドアをバタン、と閉めようとしたらしいが、安全弁が働いたらしくそうはならなかった。静かに閉じるドアに鍵を閉めなかったので、理人は聞いてはいないだろうが言ってらっしゃいと声をかけて戸締まりをした。
 悪い夢でも見たのか。そうとしか思えない。帰ってくるころには機嫌が直っていると良いんだけど。自分には治せなさそうだし。狩人は食べ損ねた昼食を食べるために冷蔵庫の中を覗いた。
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