1 / 1
こんなこと言われたの初めてです。
しおりを挟む
あの人は、いつも寡黙に仕事に没頭してる。ほとんど無駄口も叩かずに、次々とお菓子を作り続ける。私とは愚か、本当に余計な口は開かない。パティシエとしては一流の人。繁盛店の二番手として店には欠かせない存在だ。歳は三十後半って聞いた。私は、もうすぐ十九歳になる。まだ社会の何も知らない大学生。私の事なんか、ただのお子ちゃまとしか見ていないのだろう。
それでも私は、あの人が好きでした。
『んじゃ、お母さん、バイト行って来るね。』
『夏菜子、今日は何時までなの?』
『今日は、閉店までだよ。だから十一時だね。』
『そう…。帰り、お迎え行こうか?』
『んーん、大丈夫。もう、そんなに心配しないでよ。私も、もう大学生なんだから!』
『そうね、分かった。じゃあ気を付けるのよ。』
『うん。じゃ、行ってきまーす。』
私は、大学生になった今でも親の心配が絶えない一人っ子。それは、グレて学校にも、ろくに行かなかった不良とかではない。顔も仕草もお世辞にもかわいいとは言われない、人見知りで寂しがり屋の泣き虫だからだ。
ただでさえ心配性のお母さんからは、新しいお友達は出来た?大学は楽しい?とか、常に私の心を探る声が届く。でも私も私で、そう思われても仕方がない今を理解していた。
地味で目立たった青春も無い私は、心機一転と少しでも大人に近付きたいと思って踏み込んだ人生初のアルバイト。私は甘い物が好きだから、大好きなものに囲まれてお仕事が出来る、なんて不純な考えもあった。
『今日から入りました、石田夏菜子です。よろしくお願いします。』
『夏菜子ちゃんかぁ。よろしくね!』
ここのケーキ屋さんは、取材も多い評判のお店で、忙しくて大変だって分かってた。でも変えたかった。この閉塞感と虚無感。私だって一人の人間として、女として生きている。その意味を見つけたかった。だから、思い切ってこんな有名店に足を踏み入れた。
バイト。ってどこか軽い言葉に感じるけど、働いてお金を貰う事には変わりはない。ちゃんと任せられた仕事が熟られないなら給料を貰う資格だってない。そんな事は分かってた。
『夏菜子ちゃんさぁ、もうちょっと機敏に動けないかな。打ち間違いも多いし、何より声が小さいから何言ってるのか分かんないってお客さんからクレームも来るし、うちはケーキ屋だからホールがダメなら厨房でって訳にはいかないからさ、何度注意しても言われた事も出来ないようじゃ、店長の立場からしたらクビを切らざるを得ないよ?こっちも、ただでさえ人が足りてないのに、そんな事したくないからさ頼むよ?ホントに!』
『は、はい。すいません…。』
運動も苦手。大学も偏差値は二流。容姿も性格も地味。おまけに仕事も出来ないって、私は一体何の為に生まれて来たの?神様教えてよ…。
『大貫さん、ちょっと見てもらえますか?』
『お!耕三!どうした?』
『このプリンなんですけど…。まだ、ちょっと焼き、甘いですかね。』
『そうだね。もう気持ち焼こうか。あと五分。それ以上焼くと素が入るから。』
『はい、分かりました。ありがとうございます。』
私はまだ、あの人と大して会話もした事がない。部下を指導する声が耳をかすめるだけ。それでも、私が想いを寄せるのには理由があった。それは、私が入店初日の事。初めましての挨拶を一人一人にしていた時だ。
『石田さんね。大貫です。よろしくお願いします。頑張ってね!』
何の変哲も無い、この一言が全てだった。他の人には分からないだろう。んーん、分かってもらえなくても良い。私は、初めて男の人から笑顔で頑張ってね!なんて言葉を浴びた。面と向かって言葉を交わしたのは正直この時だけ。後は、忙しい上に自らの鈍臭さが拍車をかけて交流するタイミングは皆無。それでも、あの時のあの人の声がいつまでも私の心には響き続ける。
無駄口を叩かずに黙々と仕事を熟すあの人の姿を見るだけで、私は怒られ続けても頑張れた。大学の勉強がおろそかになっても私は、なるべくバイトの時間を増やした。怒られても、怒られても私は折れずに、あの人がいるから頑張った。
『夏菜子、あなた最近バイトばっかりし過ぎじゃない?体、大丈夫?疲れ溜まってないの?』
『お母さん、大丈夫。正直、疲れはあるけど今、凄い毎日楽しいんだ。』
『そう…。でも、大分お金も貯まって来たでしょ。そんなに頑張って何か欲しい物でもあるの?』
『欲しい物…。んーん、そんなんじゃないの。ただ、今は頑張ろうって思ってるだけ。だから心配しないで。』
『夏菜子…。』
欲しい物って、あんまり考えた事なかった。物欲も無いって本当につまらない女だね私。欲しい物って改めて問われると本当は欲しい物があるのかな…。ねぇ神様、私の欲しい物って何?それくらい教えてよ。
バイトを始めて、半年が過ぎた。先ず、ここまで辞めずに続けて来た事に私は私を褒めてやりたい。怒られる事もたまにはあるけど、最初の頃に比べたら雲泥の差。
『はい!お終い!今日もお疲れ様でした!』
『お疲れ様でしたー!』
『いやー今日は忙しかった!ってか夏菜子ちゃん最近、良く動ける様になったね。声も出て来たし、良く頑張ってると思うよ。』
『ホントですか!?店長!』
『ああ。でも、やっとだけどね。あははは!』
『嬉しいです、それでも。もっと頑張ります。』
お褒めの言葉。優しい言葉。私の心を踊らせる初めての言葉。私が欲しい物…。もしかして、それは、まだ知らない生きている喜びなのかもしれない。
『じゃあ、お先に上がりますね。お疲れさ…。』
『ちょ、ちょっと待って!夏菜子ちゃん!』
『え?』
『夏菜子ちゃん今日、誕生日でしょ?』
『え?』
『ほら大貫!』
『あ、はい!』
私の目の前に、あの人が運んで来たバースデーケーキが置かれた。私の大好きな苺がたくさん飾られた生クリームたっぷりのホールケーキ。
『ほら!夏菜子ちゃん、早く火、消して!』
『あ、はい!』
十九歳の誕生日。もちろん家族以外の人に誕生日を祝われた事なんか一度も無い。だから、それが当たり前の私には、人様に祝ってもらえる概念がそもそもない。今日だって同じ。もちろん今日が誕生日だって分かってたけど、それを敢えて言うなんて図々しい事なんか出来ないよ。
『あれ?夏菜子ちゃん、もしかして泣いてる?』
『す、すいません…。私こんな事、初めてで…。』
『石田さん。』
『は、はい。』
おそらく初めましての挨拶した時以来だろう。あの人が、私の名前を呼んだ。そして、私の涙をそっと拭いてくれた。
『大貫さん…。』
私は、初めてあの人の名前を呼んだ。
『石田さんの頑張りは、凄い伝わってたよ。みんな、そう思ってる。今日だって石田さんが居なかったら、お店が回ってなかったよ。これからも宜しく頼むね。ありがとう。』
私は、嬉しくて流れる涙がある事を初めて知りました。
あなたを好きで良かったです…。
ー完ー
それでも私は、あの人が好きでした。
『んじゃ、お母さん、バイト行って来るね。』
『夏菜子、今日は何時までなの?』
『今日は、閉店までだよ。だから十一時だね。』
『そう…。帰り、お迎え行こうか?』
『んーん、大丈夫。もう、そんなに心配しないでよ。私も、もう大学生なんだから!』
『そうね、分かった。じゃあ気を付けるのよ。』
『うん。じゃ、行ってきまーす。』
私は、大学生になった今でも親の心配が絶えない一人っ子。それは、グレて学校にも、ろくに行かなかった不良とかではない。顔も仕草もお世辞にもかわいいとは言われない、人見知りで寂しがり屋の泣き虫だからだ。
ただでさえ心配性のお母さんからは、新しいお友達は出来た?大学は楽しい?とか、常に私の心を探る声が届く。でも私も私で、そう思われても仕方がない今を理解していた。
地味で目立たった青春も無い私は、心機一転と少しでも大人に近付きたいと思って踏み込んだ人生初のアルバイト。私は甘い物が好きだから、大好きなものに囲まれてお仕事が出来る、なんて不純な考えもあった。
『今日から入りました、石田夏菜子です。よろしくお願いします。』
『夏菜子ちゃんかぁ。よろしくね!』
ここのケーキ屋さんは、取材も多い評判のお店で、忙しくて大変だって分かってた。でも変えたかった。この閉塞感と虚無感。私だって一人の人間として、女として生きている。その意味を見つけたかった。だから、思い切ってこんな有名店に足を踏み入れた。
バイト。ってどこか軽い言葉に感じるけど、働いてお金を貰う事には変わりはない。ちゃんと任せられた仕事が熟られないなら給料を貰う資格だってない。そんな事は分かってた。
『夏菜子ちゃんさぁ、もうちょっと機敏に動けないかな。打ち間違いも多いし、何より声が小さいから何言ってるのか分かんないってお客さんからクレームも来るし、うちはケーキ屋だからホールがダメなら厨房でって訳にはいかないからさ、何度注意しても言われた事も出来ないようじゃ、店長の立場からしたらクビを切らざるを得ないよ?こっちも、ただでさえ人が足りてないのに、そんな事したくないからさ頼むよ?ホントに!』
『は、はい。すいません…。』
運動も苦手。大学も偏差値は二流。容姿も性格も地味。おまけに仕事も出来ないって、私は一体何の為に生まれて来たの?神様教えてよ…。
『大貫さん、ちょっと見てもらえますか?』
『お!耕三!どうした?』
『このプリンなんですけど…。まだ、ちょっと焼き、甘いですかね。』
『そうだね。もう気持ち焼こうか。あと五分。それ以上焼くと素が入るから。』
『はい、分かりました。ありがとうございます。』
私はまだ、あの人と大して会話もした事がない。部下を指導する声が耳をかすめるだけ。それでも、私が想いを寄せるのには理由があった。それは、私が入店初日の事。初めましての挨拶を一人一人にしていた時だ。
『石田さんね。大貫です。よろしくお願いします。頑張ってね!』
何の変哲も無い、この一言が全てだった。他の人には分からないだろう。んーん、分かってもらえなくても良い。私は、初めて男の人から笑顔で頑張ってね!なんて言葉を浴びた。面と向かって言葉を交わしたのは正直この時だけ。後は、忙しい上に自らの鈍臭さが拍車をかけて交流するタイミングは皆無。それでも、あの時のあの人の声がいつまでも私の心には響き続ける。
無駄口を叩かずに黙々と仕事を熟すあの人の姿を見るだけで、私は怒られ続けても頑張れた。大学の勉強がおろそかになっても私は、なるべくバイトの時間を増やした。怒られても、怒られても私は折れずに、あの人がいるから頑張った。
『夏菜子、あなた最近バイトばっかりし過ぎじゃない?体、大丈夫?疲れ溜まってないの?』
『お母さん、大丈夫。正直、疲れはあるけど今、凄い毎日楽しいんだ。』
『そう…。でも、大分お金も貯まって来たでしょ。そんなに頑張って何か欲しい物でもあるの?』
『欲しい物…。んーん、そんなんじゃないの。ただ、今は頑張ろうって思ってるだけ。だから心配しないで。』
『夏菜子…。』
欲しい物って、あんまり考えた事なかった。物欲も無いって本当につまらない女だね私。欲しい物って改めて問われると本当は欲しい物があるのかな…。ねぇ神様、私の欲しい物って何?それくらい教えてよ。
バイトを始めて、半年が過ぎた。先ず、ここまで辞めずに続けて来た事に私は私を褒めてやりたい。怒られる事もたまにはあるけど、最初の頃に比べたら雲泥の差。
『はい!お終い!今日もお疲れ様でした!』
『お疲れ様でしたー!』
『いやー今日は忙しかった!ってか夏菜子ちゃん最近、良く動ける様になったね。声も出て来たし、良く頑張ってると思うよ。』
『ホントですか!?店長!』
『ああ。でも、やっとだけどね。あははは!』
『嬉しいです、それでも。もっと頑張ります。』
お褒めの言葉。優しい言葉。私の心を踊らせる初めての言葉。私が欲しい物…。もしかして、それは、まだ知らない生きている喜びなのかもしれない。
『じゃあ、お先に上がりますね。お疲れさ…。』
『ちょ、ちょっと待って!夏菜子ちゃん!』
『え?』
『夏菜子ちゃん今日、誕生日でしょ?』
『え?』
『ほら大貫!』
『あ、はい!』
私の目の前に、あの人が運んで来たバースデーケーキが置かれた。私の大好きな苺がたくさん飾られた生クリームたっぷりのホールケーキ。
『ほら!夏菜子ちゃん、早く火、消して!』
『あ、はい!』
十九歳の誕生日。もちろん家族以外の人に誕生日を祝われた事なんか一度も無い。だから、それが当たり前の私には、人様に祝ってもらえる概念がそもそもない。今日だって同じ。もちろん今日が誕生日だって分かってたけど、それを敢えて言うなんて図々しい事なんか出来ないよ。
『あれ?夏菜子ちゃん、もしかして泣いてる?』
『す、すいません…。私こんな事、初めてで…。』
『石田さん。』
『は、はい。』
おそらく初めましての挨拶した時以来だろう。あの人が、私の名前を呼んだ。そして、私の涙をそっと拭いてくれた。
『大貫さん…。』
私は、初めてあの人の名前を呼んだ。
『石田さんの頑張りは、凄い伝わってたよ。みんな、そう思ってる。今日だって石田さんが居なかったら、お店が回ってなかったよ。これからも宜しく頼むね。ありがとう。』
私は、嬉しくて流れる涙がある事を初めて知りました。
あなたを好きで良かったです…。
ー完ー
0
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。
「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?
貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後
空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。
魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。
そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。
すると、キースの態度が豹変して……?
【短編完結】地味眼鏡令嬢はとっても普通にざまぁする。
鏑木 うりこ
恋愛
クリスティア・ノッカー!お前のようなブスは侯爵家に相応しくない!お前との婚約は破棄させてもらう!
茶色の長い髪をお下げに編んだ私、クリスティアは瓶底メガネをクイっと上げて了承致しました。
ええ、良いですよ。ただ、私の物は私の物。そこら辺はきちんとさせていただきますね?
(´・ω・`)普通……。
でも書いたから見てくれたらとても嬉しいです。次はもっと特徴だしたの書きたいです。
伝える前に振られてしまった私の恋
メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
山に捨てられた令嬢! 私のスキルは結界なのに、王都がどうなっても、もう知りません!
甘い秋空
恋愛
婚約を破棄されて、山に捨てられました! 私のスキルは結界なので、私を王都の外に出せば、王都は結界が無くなりますよ? もう、どうなっても知りませんから! え? 助けに来たのは・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる