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3.偽りに偽りを重ねて

5.

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「龍……さん……」

 ペンを握ったまま、幻でも見ているのかと呆然とする。
 龍は疲れた顔をしているが、実乃莉を見て安心したように息を吐いた。

「よかった……。まだいた」

 ゆっくりと実乃莉に歩みを寄せる龍の元へ、実乃莉は駆け寄った。

「お疲れ様です。仕事は落ち着いたんですか?」

 近寄ると、龍の顔に疲労の色が浮かんでいるのがより鮮明に見える。そんな龍は苦々しい笑みを浮かべ答えた。

「いや、まだ。弁当食って仮眠取ったらまた出る。SSでうちも関わってるシステムに問題出てて。今は糸井に任せてるが」
「SSでも……」

 実乃莉は絶句していた。
 深雪の兄で龍の友人が社長をする会社は協力関係にあるし、龍が独立前に関わった案件は今でもサポートしていると聞く。よりによってなぜ同じ時期にトラブルが起こるのか、不安でならなかった。

「そんな顔するなって。大丈夫だ。それより実乃莉。ちょっとこっち」

 頭を優しく撫でたあと、龍は実乃莉の手を引き、奥にある自分のスペースに連れて行く。
 明かりの付いていない一画には、龍専用のパソコンと長時間座っても疲れないという椅子が置かれている。龍は先に座ると、実乃莉の手首を掴んだ。

「実乃莉、座って?」

 他に座るところなどないのに、実乃莉を見上げた龍は満面の笑みを浮かべている。

「えっと、どこに……?」
「ん? 俺の膝の上」
「⁈ ひゃっ!」

 言うが早いか、龍は実乃莉の腕を引く。小さく悲鳴のような声を漏らすと、実乃莉はよろけるように龍の膝の上に横向きに乗った。そしてそのまま、たくましい腕の中に閉じ込められていた。

「すっげぇ落ち着く……」

 頭の上から心底ホッとしたような龍の声がし、スリっと頬擦りされた気配を感じた。

(よっぽど……疲れてるんだ……)

「私、まだまだ元気です。だから龍さんにその元気を分け与えたいくらいです」

 何の励ましにもならないけれど、少しでも癒されて欲しい。その広い胸に顔を埋めて実乃莉は言った。
 フフッと笑う気配がして、一層龍の腕に力が入る。胸に押し付けられた耳にはドクドクと血が巡る音が届いていた。

「こうしてるだけでも元気になるよ。ありがとな、実乃莉」
「私だって。今、龍さんに癒されてますから」

 こうしていると不安など吹き飛ぶ。そんなことを思いながら実乃莉は顔を上げた。

「じゃあ……俺も、もっと癒されたい」

 囁くような笑い声。実乃莉の顔を覗き込む龍の吐息は頰を撫でる。目蓋を閉じると、唇にゆっくりと熱が伝わってきた。

 過去一度だけしたキスは、まだまだ初心者自分に合わせていたのだと思い知った。
 噛みつかれているようなキスに息もできなくて、必死に龍の腕にしがみつく。ようやく唇が離れると、実乃莉は酸素を求めるように肩で息をしていた。

「苦しい、です。龍さん……」

 涙目で龍を見上げると、見たこともないくらい色気のある表情で龍は唇を震わせた。

「じゃ、今のうちに深呼吸して?」
「なっ……ん、でっ……?」

 全力疾走した後のように途切れ途切れで尋ねると、龍はまた顔を寄せる。

「まだ足りない。もっと……欲しい」

 切なげな懇願を拒否などできない。飢えた獣に捉えられたかのように唇は貪られ、堪えきれない吐息がその隙間から漏れ出した。

「ふっぅ、ん……ンっ……」

 体の奥から、ピリピリと感じたことのない感覚が生まれては全身を駆け巡る。それは舌で唇をなぞられるといっそう強くなり、思わず掴んだ指に力が入った。

「んんっっ!」

 堪えきれず上げた声も、閉じ込められた唇の中に吸い込まれていく。唇の隙間はゆっくりと舌先でこじ開けられて、それを受け入れると今度は歯列を撫でられた。

(頭が……クラクラする……。おかしくなりそう……)

 龍の誘導に実乃莉は必死で応えながら、どこか遠い意識で考えた。けれどもう、そんなことも考えられなくなるほど余裕はなくなってくる。
 舌を探り当てられ、龍の舌先が自分の舌の横をなぞる。初めての経験は、初めて背中をゾクリと撫で上げた。

「あぅっ、んっ」

 呼吸する間を与えるように唇は離れるが、名残惜しそうに舌だけ繋がっている。何度かそれを繰り返し、ようやく完全に離れると、そのまま肩からギュッと抱きしめられた。
 また龍は頭上にすり寄ると、息とともに気持ちを吐露し始めた。

「このまま連れて帰りたい……。めちゃくちゃ甘やかして、ドロドロに溶けさせて、全部俺のものにしたい……」

 カァッと頰が熱を発するのと同時に、お腹の奥底がジワリと疼く。
 それなりの年齢の男女が交際しているなら、当たり前のようになされるだろう行為。けれどいざ自分が、となるとどうすればいいかわからない。
 それでも、龍が癒されるならこの身を捧げてもいい。きっと後悔はしないだろう。そう思った。

「あの、龍さん……」

 実乃莉が切り出すと、頭上にあった気配が遠のく。けれど体に回る腕だけは緩むことなく、宝物のように実乃莉を抱えていた。
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