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2.人は誰しも間違うもの

24.

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 着替えだと差し出されたのは、スモーキーピンクのワンピースだった。実乃莉のワードローブにはない色味で、もちろん着たことはない。可愛らしいカラーだがデザインは大人のテイスト。Vネックで袖はレースになって透けていて、歩くと柔らかな生地が優しく揺れるAラインのロング丈だった。
 自分がこんな素敵な服を着ていいのだろうかと少し戸惑う実乃莉に、由香は次々畳み掛けた。
 着替えのあとはネイル。爪は整えるくらいでマニキュアすらしたことがなかった爪は、控えめだが衣装に合わせて可愛らしい桜色と白のグラデーションで染まった。
 そのあとはメイク。普段は最低限のメイクしかしない実乃莉だが、今はモデルにでもなったように華やかに彩られている。
 そして最後に髪をハーフアップに結い上げると、由香の満足そうな笑顔が鏡に映った。

「どう? 我ながらいい仕事したぁ! って思ってるんだけど」

 肩にかかっていたケープを取り払いながら由香は尋ねる。鏡に映る自分がまるで別の人のようで、実乃莉はしばし言葉もなく眺めていた。
 
(こんなに……変われるの……?)

 龍と初めて会った日もいつもと違う自分だった。あの日はただ、いつもとは全く違う姿を目指した結果ああなった。けれど今は、ちゃんと自分自身を活かしてくれている。違う自分ではなく、新たな自分を発見した気分だった。

「あっ、ありがとうございます。本当に素敵です」
「どういたしまして。楽しかったわ。にしても、龍ちゃんがどんな顔するか楽しみだなぁ」

 龍は今この場にはいない。実乃莉が着替えて戻ると、龍が外出したことを聞かされたのだった。

(龍さん……何か言ってくれるかな……)

 ほんの少しだけでも褒めてもらえたら、と実乃莉は淡い期待を寄せる。それだけで、何より良い思い出になりそうだから。

(それにしても……。こんな格好でどこへ行くのかな?)

 龍は実乃莉の足を心配して、あまり歩き回らないつもりのようだった。けれどさすがにこんな装いにしてもらって、ただドライブして帰るというのも腑に落ちない。
 ソファに座り悶々とそんなことを考えていると、窓の外に龍の車が入ってくるのが見えた。

「あ。帰ってきた」

 由香はワクワクしたように声を上げる。実乃莉は緊張を押さえるように胸に手を当てた。

「待たせたな」

 入ってきた龍を見て実乃莉の心臓はドキリと跳ねる。そのまま実乃莉は、グレーのスリーピースを纏った龍に見惚れてしまっていた。

 口を開けて見惚れていた自覚はある。けれど自分だけではなく、誰もがきっと釘付けになり、そして目を離せなくなるに違いない。
 その体格に合わせたスーツは堂々とした風格に花を添えているし、切長で力強い二重の瞳と高い鼻梁は横から見ても形が良い。
 いまさらながら、こんな美しい人と一緒にいて今までよく平気だったなと思ってしまう。

「お~! 龍ちゃん一張羅じゃない! 張り切ったねぇ。せっかくだから髪セットしちゃおうよ」

 はしゃぎながら由香は龍の腕を取り引っ張っている。

「いや、俺はいいって……」
「もー! そう言わずに座って?」

 まるで子猫に飛びつかれ戸惑っているライオンみたいな龍を微笑ましく眺めてみる。龍は家のことをあまりよく思っていないふしがあるが、それは家族全員に対するものではないようだ。義理だけれど、とても仲の良い姉弟に見え、一人っ子の実乃莉にとっては羨ましくもあった。

「さっ。できたわよ! 本当に。嫌味なほど男前よね、龍ちゃんたら」

 気がつけば、大人しく従っていた龍は、由香に両肩をポンと叩かれていた。

「嫌味ってなんだよ。ま、とりあえずサンキュ」

 笑いながらそう言うと龍は立ち上がり、実乃莉の元へ向かって来た。
 由香が『嫌味なほど』と言うのも納得できる。さっきまでの無造作な髪型でさえ目が離せなかったのに、今は緩やかに前髪を撫で上げセットされた姿は、古い外国映画に出てくる俳優のような雰囲気だった。

「行こうか。実乃莉」

 ソファに座る実乃莉に、龍は手を差し伸べる。
 今は自分だけに向けてくれる笑顔。それを独り占めしてしまいたい。そんな欲望に駆られてしまう自分に驚いてしまう。
 けれど今だけは、紛れもなく自分だけを見てくれている。好きだと言ってくれている。この瞬間の一つ一つを大切にしたい。
 実乃莉は差し出された大きな手に、そっと自分の手を重ねた。

 実乃莉が立ち上がると、由香がスマートフォン片手に寄ってきた。

「ねぇねぇ。写真撮らせて? 虎太朗こたろう君にも見せてあげたいし!」
「なんで兄貴に見せなきゃなんない。別に喜ばねぇだろ」

 そう言って龍は顔を顰める。

「そんなことないわよ。可愛い弟と、その可愛い交際相手の顔くらい見せてあげてよ。気にしてるのよ、龍ちゃんのこと」

 諭されるように言われ、龍は「わかった」と諦めたように一つ息を吐いた。
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