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2.人は誰しも間違うもの

4.

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「あなた、社長をそんな親しげに呼んでるの? まさか龍を狙ってるなんてことないでしょうね?」

 他の社員も誰一人"社長"と呼ぶ者はいないし、何より『社長なんて呼ばれるのは柄じゃない。名前で呼べ』と言ったのは、龍本人だ。
 けれど、それは社内だけに留めておけばよかったと実乃莉は後悔していた。
 鷹柳のお嬢様として育った実乃莉は、今までこんなあからさまな態度を取られたことはなかった。ましてや、敵意を向けられるなど。

「そんなことは……ありません……」

 震えながら搾り出した声は弱々しく部屋に響く。それを聞いた瞳子は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

「龍はこんな小さな会社の社長で収まっているような人じゃないの。まぁ、貴女のような小娘にわかるはずもないと思うけど」

 実乃莉は何も言い返せず唇を噛み締める。何を言ったところで、経験値は相手のほうが遥かに上で、きっと一笑に付されるだけだ。
 無意識に握り締めた拳が震えている。それは悔しさと言うより、自分の不甲斐なさからだった。

 そのとき、部屋の向こうを誰かが歩いて……いや、かなり慌てて向かってくる気配がした。壁が簡易なぶん、部屋の中まで振動が伝わってくるのだ。
 ガチャリ、と勢いよく扉が開くと、そこには息を切らせている龍が立っていた。

「お帰り……」

 なさい、と実乃莉が言う前に、瞳子が立ち上がり龍に駆け寄った。

「龍! 遅いじゃない!」

 瞳子は先ほどまでとは違う、甘ったるい声を出すと龍に飛びついた。実乃莉とはかなりある身長差も、モデル並みに高い身長とハイヒールの瞳子とならちょうどいい。瞳子はあっさりと龍の首にしがみついていた。

「瞳子。なんでいる?」
「やだわ。久しぶりに顔を見せたから怒ってるの? ごめんなさい? 龍を放っておいて。一ヶ月ほど海外に行ってたの」
「そんなことは聞いていない」

 険しい表情でしなだれかかる瞳子を引き剥がすと、龍は唸るような低い声を出した。

「龍ったら。照れてるの?」

 瞳子は冷たい龍の態度を気に留める様子もなく、フフッと笑いながら彼の頰に手を滑らせている。かと思うと、瞳子は振り返り実乃莉に言った。

「ねえ、あなた。もう帰っていいわよ。少しは気を利かせてくれないかしら?」

 あざ笑う瞳子に萎縮したまま、弾かれたように実乃莉は机上の封筒を掴んだ。

「りょ……社長。請求書はできました。帰りに投函しておきます。ではお先に失礼します」

 『龍さん』と言いかけ、それを言い直すと、二人を見ることなく横をすり抜ける。

「実乃莉!」

 龍が叫ぶように名を呼ぶが、それに反応することなく更衣室に駆け込んだ。

「なんで……教えてくれなかったんですか……」

 ロッカーの扉に手を掛けたまま、実乃莉は力なく吐き出す。
 瞳子が婚約者だということを糸井はなんの疑いも持っていなかった。龍は瞳子に会えて嬉しいという表情ではなかったが、自分がいたからあえてそうしたのかも知れない。どう見ても親密で、大人の関係を思わせる距離感。自分と龍の距離とはかけ離れている。
 考えれば考えるほど虚しくなり、振り払うように頭を振ると帰りの支度をした。

 更衣室を出て、まだ灯りの付いている社長室の前を足早に通り過ぎると、ちょうど大部屋から糸井が出てきた。

「あ、実乃莉ちゃん。お疲れ様!」
「お疲れ様です。先ほどはありがとうございました」

 先に出口に向かう糸井に歩調を合わせ実乃莉は礼を言う。

「どういたしまして」

 明るく笑いながら糸井は扉を開けるとそれを押さえ、実乃莉に出るよう促す。パタンと後ろで扉が閉まるとそれを待っていたように糸井は話し出した。

「災難だったよねぇ。瞳子さん、いっつもああやって突然現れるからさ。大丈夫だった?」

 同情するように尋ねられ、実乃莉は「はい……」とだけ答える。本当は少なからずダメージは受けたけれど、そんな弱音は吐きたくなかった。

「とりあえず龍さん遅れそうだし、先に店行っとこ? 今日、来てくれるんだよね? 俺たちのチームの打ち上げ」

 屈託のない笑顔で糸井はそう言った。
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