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2.人は誰しも間違うもの

3.

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『で? 龍は? 帰ってくるの?』

 瞳子の声に我に返り、反射的に実乃莉は返事をする。

「はい。戻る予定になっております。ご伝言があれば……」
『中で待たせてもらうわ。いいでしょ?』
「私の一存では……」
『あなたじゃ埒が明かないわね。他に誰かいないの? 呼んでちょうだい』

 冷たく言い切られ、実乃莉は「少々お待ちください」と受話器を置く。

(どうしよう……。龍さんに電話する? それとも深雪さん?)

 半ばパニックになっていると、扉がノックされそのまま開く。

「実乃莉ちゃーん。経費の申請書お願ーい!」

 明るく入って来たのは糸井だった。糸井は呆然と立ち尽くしていた実乃莉を見て首を傾げた。

「どした? 何か困りごと?」
「糸井さん、あのっ。外にその、龍さんの婚約者だと名乗るかたがいらっしゃってて。どうしたらいいのか」

 こういうとき、実乃莉は自分の経験の浅さを思い知る。想定外の出来事に対処できない自分が悔しかった。

「婚約者? いつの間に婚約したんだろ。たぶんあの人だと思うから、俺、出てくるよ」

 そう言って踵を返す糸井に、実乃莉は「私も行きます」と続いた。

 先に糸井が出入口に向かうと扉を開けた。向こう側からは遠慮することなく女性が入って来た。
 ウェーブのかかった栗色の長い髪。スタイルの良さを引き立たせるような黒いワンピース。そして、実乃莉には履きこなせなかったハイヒールで堂々と歩いていた。

「やっぱ瞳子さんだ。婚約者って聞いたから誰かと思った」

 糸井は瞳子に気軽に話しかけている。その瞳子は、雑誌からモデルが抜け出たような綺麗な顔を歪めていた。

「遅いわよ。新人教育がまるでなってないようね」

 そう言うと瞳子は実乃莉を値踏みするような視線を寄越した。

「お待たせしてもうしわけありませんでした」

 実乃莉が深々と頭を下げると、瞳子は鼻で笑っている。

「まぁいいわ。今回は多めに見てあげる。お茶を淹れてくれるかしら? 私、ペットボトルの飲み物なんて飲めないから」

 この会社では来客に出すお茶をペットボトルにしていることを知っているようだ。その上で瞳子はそう言い放った。

 この会社ではほとんど淹れることのないお茶を給湯室で用意すると社長室に戻る。瞳子はソファに座りスマートフォンを眺めていた。

「お待たせいたしました」

 実乃莉を見ることもなく、瞳子は「私のことは気にしなくていいわよ」と言った。
 やり辛くはあるが、背に腹は変えられない。実乃莉は「失礼します」とだけ言うと席に戻った。
 本来なら、例え龍相手の来客でもこの部屋で応接することはない。ここは事務関係の執務室も兼ねていて仕事に支障が出るからだ。だから今までは全て、他の来客と同じように小さなミーティングルームを使用していた。
 けれど瞳子は、当たり前のようにこの部屋に入りくつろいでいる。それだけこの場所に来ている証拠だと思った。

 時間はまもなく五時。実乃莉の終業時間だ。けれど中途半端なままではいられない。気持ちを切り替え、実乃莉は残った仕事に取り掛かった。

(なんとか……終わった)

 その後は電話も掛かることなく、無事に請求書の束は出来上がった。
 メールで送るものもあるが、それは来週で構わないと言われている。ペーパーレスと言われる時代でもまだ紙で欲しがる会社はそれなりにあるらしい。たった三十通ほどだが、一人で仕上げるのは初めてでかなり気を遣う。
 とにかく、やり遂げられたことに実乃莉はホッと息を吐いていた。

「ねぇ。いつになったら帰ってくるのかしら?」

 瞳子が来てから三十分ほど経っている。瞳子は苛々した様子で尋ねた。
 今日、龍と約束している時間は六時だ。駅前の店で、ここから歩いて十五分あれば着く。いまだに龍から何も連絡が無いということは、間に合うからだと勝手に思っていた。

「おそらくもう少しで……」
「おそらく? 使えない子ね。龍に連絡してちょうだい」

 実乃莉の言葉に瞳子は自分の言い分を被せる。

「ですが、龍さんはまだ仕事中かと……」

 実乃莉がおずおずと返すと、途端に瞳子の眉は吊り上がった。
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