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1.始まりの春

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 夜景を見渡せる遊歩道では、恋人たちがポツポツと並んで愛を語り合っているようだ。
 確かに、渡ってきた虹色に輝く橋と、海の向こうに蜃気楼のように揺らぐ都内のビルの灯りは美しく、その雰囲気は、デートには持ってこいの、最高のロケーションだった。

「わあ……。綺麗ですね」

 胸の高さまである手摺りに手をかけ、身を乗り出すように広がる景色を眺める。

「そうだな」

 囁くような艶のある声が、後ろから耳をくすぐる。意図的なのか、そうじゃないのか、真意は読めないけれど、このシチュエーションに、心臓は急激に音を立て始めた。

「寒くないか?」
「は……い……」

 寒いどころか体温は急上昇中だ。それというのも、今の状態はいわゆるバックハグに近いから。彼は、手摺りを持つ私の両手の外側に手を置き、体をすっぽりと自分の胸の中に包み込んでいる。風除けのつもりなのかも知れないが、そう思ってもなかなか心臓は静まりそうにない。
 会話もなくしばらく景色を見つめていたが、時々耳を撫でる、艶めかしくも感じる吐息に耐えきれなくなった。

「あのっ! さっきの答え合わせ、しませんか?」

 身を捩り、彼を押し退けるように前を向く。体が離れると、自分たちの間を冷たい風が吹き抜けて行き、一気に熱が冷めていった。

「……わかった」
「で、ではせめて、場所を移動しましょう。ここでは何も見えませんし、せめてもう少し明るい……。あ、そこにベンチがありますよ」

 どこか残念そうに答えた彼に、自分から提案する。
 少し向こうにある街灯にほんのりと照らされたベンチから、来たときにはあった人影が消えている。ちょうどいいと、有無を言わさずそこに足を向けた。
 先にベンチに辿り着くと、仕切りとばかりに真ん中に自分のをバッグを置く。彼は苦笑いを浮かべその向こうに腰掛けた。
 
「答え合わせの前に、賞品は? 俺はもう決めてある」
「そうでしたね……」

 答えを考えることに夢中で、賞品に思い至らなかった。少し考えて顔を上げた。

「じゃあ、家まで送ってください」

 意表を突かれたのか、彼は目を開いたあと、不愉快そうに眉を顰めた。

「はなからそのつもりだ。こんなところに放っておくわけないだろう」
「他に思いつかなくて。当たれば問題ないですから」
「わかった。それで手を打とう。……じゃあ、次は俺だな」
 
 呆れたように言ったあと、彼は意味ありげな笑みを浮かべて口角を上げた。

「俺が勝ったら……。唇をもらおうか」
「……はっ、い……?」

 まるでもう、勝利が決まっているかのように微笑みを湛える彼を、唖然としたまま見上げていた。

(……唇? 唇をもらうって、まさか……)

 目を白黒させながら考えるが、自分の思い違いでなければ、そういうことだ。

「なっ、何言ってるんですか! 本気ですか⁈」

 慌てふためく私がよほど滑稽に映るのか、彼は薄い唇の隙間から息を漏らして笑っている。

「本気に決まってるだろう?  Draw引き分けなら賞品はなしだ。恵舞も当てればいいだけじゃ?」
「そうですけど!」

 納得はいかないけれど、一度承知したことだ。もう自分が当たるより、彼が当たらないことに賭けたい。

「……わかりました。じゃあ、答えを」

 肩を縮めて大きく息を吐き出しながら、バッグからメニューカードを取り出す。彼もニットの上に羽織っていたジャケットから同じものを取り出した。
 そしてお互いそれを、付き合わせるように差し出した。

「では、オープン」

 彼の合図に、二つ折りにされてカードを開く。そこにある赤丸と黒丸を目を凝らして見た。

「え……」

 自分が選んだ赤丸は、菜の花と桜エビのオイルパスタ。春を感じる一皿で、もっと食べたいと一番に思ったものだ。
 それから、黒丸。つまり、彼が何を選ぶかを記したものは、悩んだ結果、和牛のグリルにした。男の人ならやっぱり肉だ、なんて単純に考えた感は否めないけれど。
 だが彼が書いたカードの丸は、どちらも同じ場所に付いていた。自分が選んだそのパスタを囲うように。

(外れた……って言うより、彼は当たってる……)

 放心状態で顔を上げると、彼は勝者の笑みを浮かべていた。その彼は突然立ち上がり、私のバッグを抱えたかと思うと私の手を引いた。

「場所を変えよう」

 強引と思えるほどの力で、彼は私の手を引いて歩く。遊歩道をどこまで進むのだろうと思っていると、突然彼は立ち止まった。
 周りに人気はなく、お互いの顔がほんのりと見えるくらいの明かり。今からここで何をされるのか、否が応でも察してしまう。

「賭けは……君の負けだな。恵舞」

 私に向き合った彼は、妖艶に微笑む。その髪は、彼の背中側からの明かりが反射して金髪のように輝いていた。

(ルークに……こんなに似てるなんて……)

 中身は全く別人だ。けれどその見た目に切なくなった。
 きっとまた思い出すんだろう。
 ルークと最初で最後のキスをしたあの日以降、それから他の誰かとキスをするたびにルークと比べてしまう自分がいた。だから、当たり前のように、彼とキスをしても、思い出すのだと……そう、思っていた。
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