6 / 100
1.始まりの春
5.
しおりを挟む
「私の話しはそれくらいになさって、料理をいただきませんか?」
彼がそう切り出すと、祖父は「そうだな」と頷き箸を持ち上げる。
「これは……何でしょう? 会長、ご教授いただけないでしょうか」
品書きは添えてあるが、読むのは得意でないのかも知れない。彼は不思議そうな表情で料理を見つめ、祖父に尋ねた。
「これは――」
喜び勇んで祖父は料理の説明を始める。使われている食材や調理法など、さすが年の功、まるで作った本人のように説明している。
饒舌な祖父と熱心にそれを聞く彼を横目に、私は黙々と料理を口に運ぶ。アメリカに住んでいるときはあまり食べることのなかった和食。母は食べたがったが、田舎町に日本の食材を置く店もなく、滅多に出てくることはなかった。
(菜の花だ。懐かしいな)
鮮やかな緑に、ほんの少し花ビラの黄色が混ざる和物を箸で摘むと口に運ぶ。
(この苦みがいいのよねぇ……)
アメリカで一度だけ、母が買ってきて調理してくれたことがある。そのとき食べた母は、残念そうな表情をしていた。その理由は、日本に帰ってきてから知った。可愛らしい見た目と一致しないほろ苦い味。前に食べたものとはずいぶん違っていたからだ。
『これよ、これ!』
母は懐かしそうに言いながら、笑顔で食べていた。好物だったらしいのだが、日本に帰国したのは夏で、翌年の春にようやくありつけたのだ。
その顔を見て、やっぱり母はずっと日本に帰りたかったんだろうな、と改めて思った。
私は……そのままずっと、ルークのいるアメリカに住んでいたかったのだけど。
一人物思いに耽っていると、次は汁椀が運ばれてきて目の前に置かれる。黒い漆器の椀に金色の柄がさりげなく描かれている。蓋を開けると、出汁の香りがふわりと広がった。具材は、桃の節句にちなみ大きな蛤だ。
「わぁ……良い香り」
独りごちるように小さく呟くと、それは竹篠さんの耳に届いたようだ。彼はこちらに顔を向けて微笑んだ。
「ええ。とても」
クールな人なのかと思っていたが、その笑みはソフトで鼓動が早まる。それも全て、ルークに似ているせいだと自分に言い聞かせ、椀に口を付けた。
(お出汁が沁みるなぁ……)
和食は出汁が命、なんて言われるが、まさにそうだ。アメリカでは出会うことのなかった、繊細で柔らかな味。やはり日本の血が流れているからだろう。帰国してすぐ虜になったのだった。
彼も同じように椀に口を付けている。いくらアメリカにある会社に勤めているとは言え、日本企業とビジネスで会食をしたこともあるだろう。さっきから箸の持ち方どころか、和食のマナーまで完璧でそつがない。
その彼は椀から口を離すと、僅かに頰を緩めている。今度はお気に召したようだ。
「これは美味い……。こんな上品で奥の深い汁物は初めてです」
感嘆のため息と共に言う彼に、祖父は自分が褒められたように上機嫌になっている。
「竹篠君はなかなかに繊細な舌を持っているようだ! 私はここの料理長の出汁が日本で一番美味いと思っておるんだ」
高らかに笑いながら言う祖父は、相当彼を気に入っているようだ。そして彼もまた、祖父に気に入られようとしているように見える。
(あぁ、そうか)
自分を蚊帳の外に置いて談笑する二人を見てなんとなく察する。
宮藤とハワードは、数ヶ月前の一二月、資本提携を発表した。日本とアメリカの大企業同士の提携は、テレビでも報道されるほど大きなニュースだった。
そしてこの四月から、本格的に提携を開始することになっていた。人材交流も活発に行われる予定で、先週にはハワードに出向する社員の異動が発表されたばかり。もちろんハワードからも社員が出向してくると聞いている。
私がこんなに詳しい理由。それは自分も宮藤の本社の一社員だからだ。コネは一切使っていない。試験の前、会長職ではあるが役員に名を連ねる祖父に釘を刺しておいた。祖父には人事採用権はないと聞いたが、それでも念のため。
第一志望の宮藤から採用通知が届いたときは、飛び上がるほど嬉しかった。それも希望通りの職種で。それでも私は、ただの末端社員。祖父がこうして、ハワードの要職に就く竹篠さんを会わせたかった理由など、どう考えても思いつかなかった。
なんだかモヤモヤしたまま食事は進んでいく。新たな料理が提供されるたび、祖父と彼はあれこれと話に花を咲かせている。料理の話から日本の文化の話まで、彼はそれにじっと耳を傾けていた。
ようやく自分に話を振られたのは、最後の水菓子に手をつけ始めてからだった。
「どうだ、恵舞。彼は良い男だろう」
「え、ええ」
取り繕うように笑顔を浮かべ祖父に答える。良いも何も、ほぼ会話をしていない。絶対に良いと言えるのはその見た目だけだ。
そんなことを考える私に、祖父はニコニコと破顔したまま次の言葉を続けた。
「どうだ、恵舞。彼と結婚するのは」
水菓子の真っ赤な苺を食べようとしたところで、ポカンと口を開いたまま止まる。
「…………。結婚⁈」
あまりの急な話に、思わず声を上げていた。
彼がそう切り出すと、祖父は「そうだな」と頷き箸を持ち上げる。
「これは……何でしょう? 会長、ご教授いただけないでしょうか」
品書きは添えてあるが、読むのは得意でないのかも知れない。彼は不思議そうな表情で料理を見つめ、祖父に尋ねた。
「これは――」
喜び勇んで祖父は料理の説明を始める。使われている食材や調理法など、さすが年の功、まるで作った本人のように説明している。
饒舌な祖父と熱心にそれを聞く彼を横目に、私は黙々と料理を口に運ぶ。アメリカに住んでいるときはあまり食べることのなかった和食。母は食べたがったが、田舎町に日本の食材を置く店もなく、滅多に出てくることはなかった。
(菜の花だ。懐かしいな)
鮮やかな緑に、ほんの少し花ビラの黄色が混ざる和物を箸で摘むと口に運ぶ。
(この苦みがいいのよねぇ……)
アメリカで一度だけ、母が買ってきて調理してくれたことがある。そのとき食べた母は、残念そうな表情をしていた。その理由は、日本に帰ってきてから知った。可愛らしい見た目と一致しないほろ苦い味。前に食べたものとはずいぶん違っていたからだ。
『これよ、これ!』
母は懐かしそうに言いながら、笑顔で食べていた。好物だったらしいのだが、日本に帰国したのは夏で、翌年の春にようやくありつけたのだ。
その顔を見て、やっぱり母はずっと日本に帰りたかったんだろうな、と改めて思った。
私は……そのままずっと、ルークのいるアメリカに住んでいたかったのだけど。
一人物思いに耽っていると、次は汁椀が運ばれてきて目の前に置かれる。黒い漆器の椀に金色の柄がさりげなく描かれている。蓋を開けると、出汁の香りがふわりと広がった。具材は、桃の節句にちなみ大きな蛤だ。
「わぁ……良い香り」
独りごちるように小さく呟くと、それは竹篠さんの耳に届いたようだ。彼はこちらに顔を向けて微笑んだ。
「ええ。とても」
クールな人なのかと思っていたが、その笑みはソフトで鼓動が早まる。それも全て、ルークに似ているせいだと自分に言い聞かせ、椀に口を付けた。
(お出汁が沁みるなぁ……)
和食は出汁が命、なんて言われるが、まさにそうだ。アメリカでは出会うことのなかった、繊細で柔らかな味。やはり日本の血が流れているからだろう。帰国してすぐ虜になったのだった。
彼も同じように椀に口を付けている。いくらアメリカにある会社に勤めているとは言え、日本企業とビジネスで会食をしたこともあるだろう。さっきから箸の持ち方どころか、和食のマナーまで完璧でそつがない。
その彼は椀から口を離すと、僅かに頰を緩めている。今度はお気に召したようだ。
「これは美味い……。こんな上品で奥の深い汁物は初めてです」
感嘆のため息と共に言う彼に、祖父は自分が褒められたように上機嫌になっている。
「竹篠君はなかなかに繊細な舌を持っているようだ! 私はここの料理長の出汁が日本で一番美味いと思っておるんだ」
高らかに笑いながら言う祖父は、相当彼を気に入っているようだ。そして彼もまた、祖父に気に入られようとしているように見える。
(あぁ、そうか)
自分を蚊帳の外に置いて談笑する二人を見てなんとなく察する。
宮藤とハワードは、数ヶ月前の一二月、資本提携を発表した。日本とアメリカの大企業同士の提携は、テレビでも報道されるほど大きなニュースだった。
そしてこの四月から、本格的に提携を開始することになっていた。人材交流も活発に行われる予定で、先週にはハワードに出向する社員の異動が発表されたばかり。もちろんハワードからも社員が出向してくると聞いている。
私がこんなに詳しい理由。それは自分も宮藤の本社の一社員だからだ。コネは一切使っていない。試験の前、会長職ではあるが役員に名を連ねる祖父に釘を刺しておいた。祖父には人事採用権はないと聞いたが、それでも念のため。
第一志望の宮藤から採用通知が届いたときは、飛び上がるほど嬉しかった。それも希望通りの職種で。それでも私は、ただの末端社員。祖父がこうして、ハワードの要職に就く竹篠さんを会わせたかった理由など、どう考えても思いつかなかった。
なんだかモヤモヤしたまま食事は進んでいく。新たな料理が提供されるたび、祖父と彼はあれこれと話に花を咲かせている。料理の話から日本の文化の話まで、彼はそれにじっと耳を傾けていた。
ようやく自分に話を振られたのは、最後の水菓子に手をつけ始めてからだった。
「どうだ、恵舞。彼は良い男だろう」
「え、ええ」
取り繕うように笑顔を浮かべ祖父に答える。良いも何も、ほぼ会話をしていない。絶対に良いと言えるのはその見た目だけだ。
そんなことを考える私に、祖父はニコニコと破顔したまま次の言葉を続けた。
「どうだ、恵舞。彼と結婚するのは」
水菓子の真っ赤な苺を食べようとしたところで、ポカンと口を開いたまま止まる。
「…………。結婚⁈」
あまりの急な話に、思わず声を上げていた。
1
お気に入りに追加
156
あなたにおすすめの小説
【R18】両想いでいつもいちゃいちゃしてる幼馴染の勇者と魔王が性魔法の自習をする話
みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。
「両想いでいつもいちゃいちゃしてる幼馴染の勇者と魔王が初めてのエッチをする話」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/902071521/575414884/episode/3378453
の続きです。
ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで
年下王子の重すぎる溺愛
文月 澪
恋愛
十八歳で行き遅れと言われるカイザーク王国で、婚約者が現れないまま誕生日を迎えてしまうリージュ・フェリット。
しかし、父から突如言い渡された婚約相手は十三歳の王太子アイフェルト・フェイツ・カイザーク殿下で!?
何故好意を寄せられているのかも分からないリージュは恐る恐る王城へと向かうが……。
雄過ぎるショタによる溺愛ファンタジー!!
よくある婚約破棄なので
おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。
その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。
言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。
「よくある婚約破棄なので」
・すれ違う二人をめぐる短い話
・前編は各自の証言になります
・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド
・全25話完結
モブだった私、今日からヒロインです!
まぁ
恋愛
かもなく不可もない人生を歩んで二十八年。周りが次々と結婚していく中、彼氏いない歴が長い陽菜は焦って……はいなかった。
このまま人生静かに流れるならそれでもいいかな。
そう思っていた時、突然目の前に金髪碧眼のイケメン外国人アレンが…… アレンは陽菜を気に入り迫る。
だがイケメンなだけのアレンには金持ち、有名会社CEOなど、とんでもないセレブ様。まるで少女漫画のような付属品がいっぱいのアレン……
モブ人生街道まっしぐらな自分がどうして?
※モブ止まりの私がヒロインになる?の完全R指定付きの姉妹ものですが、単品で全然お召し上がりになれます。
※印はR部分になります。
【R-18】踊り狂えその身朽ちるまで
あっきコタロウ
恋愛
投稿小説&漫画「そしてふたりでワルツを(http://www.alphapolis.co.jp/content/cover/630048599/)」のR-18外伝集。
連作のつもりだけどエロだから好きな所だけおつまみしてってください。
ニッチなものが含まれるのでまえがきにてシチュ明記。苦手な回は避けてどうぞ。
IF(7話)は本編からの派生。
【R18】らぶえっち短編集
おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
調べたら残り2作品ありました、本日投稿しますので、お待ちくださいませ(3/31)
R18執筆1年目の時に書いた短編完結作品23本のうち商業作品をのぞく約20作品を短編集としてまとめることにしました。
※R18に※
※毎日投稿21時~24時頃、1作品ずつ。
※R18短編3作品目「追放されし奴隷の聖女は、王位簒奪者に溺愛される」からの投稿になります。
※処女作「清廉なる巫女は、竜の欲望の贄となる」2作品目「堕ちていく竜の聖女は、年下皇太子に奪われる」は商業化したため、読みたい場合はムーンライトノベルズにどうぞよろしくお願いいたします。
※これまでに投稿してきた短編は非公開になりますので、どうぞご了承くださいませ。
ドン引きするくらいエッチなわたしに年下の彼ができました
中七七三
恋愛
わたしっておかしいの?
小さいころからエッチなことが大好きだった。
そして、小学校のときに起こしてしまった事件。
「アナタ! 女の子なのになにしてるの!」
その母親の言葉が大人になっても頭から離れない。
エッチじゃいけないの?
でも、エッチは大好きなのに。
それでも……
わたしは、男の人と付き合えない――
だって、男の人がドン引きするぐらい
エッチだったから。
嫌われるのが怖いから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる