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それからしばらく、私は変な甘やかされ方をした。
「久しぶりに読書でもしようかなぁ」と言うと最新の話題の本がテーブルに積み上がり、「そろそろちゃんと食べられるかも」と言うと、料理人がやって来て家でフルコースを出され……。他にも春物の服を大量に持って帰って来たと思ったらファッションショーを強請られたり。
困惑気味の私とは正反対に、司はやけに楽しそうにしていた。

「あ、の……司……?どうしたの?」

あまりに様子がおかしくて、私がそう尋ねると、「ん?何が?」と司は何事もないかのような返事をする。

それに、変なのはこれだけじゃないんだけど……と思っていると、司はいつものように私の顔を持ち上げ唇を塞いだ。

「んっっ……」

口の中を弄られ、舌を探り当てられるとねっとりと絡みつかれる。誘われるようにそれに応えると、誘い出された舌は水音を立てて吸われていた。

「ふぅっ、んっっ」

司の肩口を握りしめながら、私は時折隙間から息を吸い、溜まった唾液を飲み下すと喉が鳴った。
ヒリヒリとするような感覚が体を駆け巡り、それに抵抗するように掴んだ指に力を入れる。

しばらくの間、そうやって私を翻弄したかと思うと、司は唇を離して、最後に軽くちゅっと音を立てて唇に触れた。

そう。最近はこれで終わりなのだ。今までなら、すでに押し倒されていてもおかしくないのに。

「何かあった?」

何かを誤魔化されてるようで心配になってしまう。どうしてこれ以上何もしてこないんだろうって。

司の顔を覗き込むように尋ねると、視線を逸らしながら「何もねーよ」と司は答えた。

「そんな事ないでしょ!何かあったならちゃんと言って?」

懇願するように私が言うと、司は気まずそうに頭を掻いて、照れくさそうに横目で私を見た。

「勝手に誓い立てただけ。全部終わるまでお前を抱かないって。……本当は……すっげー我慢してる。だから他の事で気を紛らわせてた」

そう言うと、司は大きく息を吐いた。

「そんな事……考えてたの?」

思ってもいなかった事を告白されて、私は心底驚いた。

「そうだよ。……悪かったな。不安にさせて」

私を自分の肩に引き寄せると、司はそう言って謝る。

「ちょっと不安だった。私、何かしたかなって」
「お前にどうしても言わなきゃならねー事があって。でもそれを言うのは今じゃねーよなって勝手に自己完結してた。お前には何の否もねーからな」

そう言うと司は私の耳元に顔を寄せた。

「あと、次にお前を抱くときは、加減なんて一切できねーから。今から謝っとく」

司は含み笑いをしつつ、そう私に囁いた。


◆◆


2月14日午後7時。

それがあの人の指定してきた日時だった。
週明けすぐの平日。世間ではバレンタインデーだと言うのに、こんな日を指定した来た時点で、あの人はもう私が司と別れていると確信しているに違いない。

本当なら今日この日、司と一緒に訪れたかった。そんな事を思い、私は物悲しい気持ちになりそうな心を奮い立たせて、私は3度目となるバーの入り口を潜った。

あの人の名前を伝えてフロアスタッフに案内されたのは、窓際のカウンター席。秋、私たちはこの辺りに座ってたな、何て思いながらそこを過ぎて、一番奥まった場所に辿り着いた。
まだあの人の姿はなく、私はそこに一人座り、窓の外に目をやった。

眼下に広がる煌びやかな夜景。
そうだ。ここはまるで、高い塔の上だ。

そんな事を思いながら腕時計に目をやると、時間は7時を回ったところだった。

きっと大丈夫……

呪文を唱えるように心の中で呟く。私は一人じゃない。だから、きっと大丈夫だ。

ふと顔を上げると、窓に写る姿が目に入る。

「待たせたね。瑤子」

口の端だけ上げて、嬉しげな表情で征士はそこに立っていた。
振り返る事もせず、私は黙ったままその冷たい声を聞いていた。
そんな私を気にする様子もなく、征士は私の横に来て私の姿を見下ろすと、すぐに険しい表情を見せた。

「……なんだ、その見窄らしい格好は」

怒りにも似たその声。分かっていた。きっとそんな事を言われるだろうと。分かっていて、あえて挑発するようにこんな服装で来たのだから。

征士から来たメール。それには日時や場所の他に、添えられていた言葉があった。

『俺に恥をかかせないよう着飾って来い』

もちろん私は、はなから応じる気などなかった。そして選んだのは、いつもの自分。仕事用のブラックスーツに控えめな化粧。これが今の自分の姿なのだ。
司はむしろ、私が人前に出る時はもっと控えめでもいいと言う。

『着飾った姿なんて、俺の前だけで見せればいいんだ。俺はお前を見せびらかせて歩きたいわけじゃねーしな』

征士からのメールを読んだ後、司は私にそう言った。
きっと、司は私がどんなに地味な格好をしていても何も言わないんだと思う。
過去、連れて歩くには最高だけどそれだけだと言われた私。今まで付き合ってきた人は皆、私に見た目だけを望んだ。そして、中身はお堅い面白味のない女だと知ると手のひらを返した。
そんな事をしなかったのは司だけだ。きっと、これからも、そんな事はしないだろう。

私は表情なく征士を見上げると、こう言った。

「あなたに指図される覚えはないから」
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