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40 side T

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本当なら必要のなかった打ち合わせと下見が入ったのは、1月半ばの週末。
来週ある年明け最初の撮影は、何度か使った事のあるスタジオでするはずだった。
だが、急遽クライアントからどうしてもスタジオを変更して欲しいと告げられ、仕方なく現場に足を伸ばす事になったのだった。

「悪りぃな、長谷」

途中でチーフアシスタントの長谷を拾い、変更になったスタジオに向かう。機材の設置を練り直す必要があり、長谷には悪いが呼び出した。

「俺は構わないですけど。って言うか、長森さんは?今日一緒じゃないんですか?」

後ろから身を乗り出すように長谷に尋ねられて「別件行ってる」と素っ気なく答えた。

「へー。ボス、寂しいんでしょ~?今日は俺が独占ですねぇ」

含み笑いをしながら言う長谷に「気持ち悪い事言ってんじゃねーよ」と顔を顰めて俺は答えた。

とっと終わらせて帰ってやるからな

そう思っていたのに、作業は思いの外難航した。
担当者は遅れ、そして提示されたコンセプトは最初と真逆。
やってやれっか!と思ったが、相手に「長門さんなら対応していただけると思いまして」とニヤつく顔で言われると、さすがにできねーとは言えなかった。

結局、照明担当の平野も呼び出しいちからセッティングを考え直し、終わった頃にはとうに日は暮れていた。

「今日は急に悪かったな。助かった」

2人はこのまま飯を食って帰るからと、駐車場で別れる事になり、俺はそう言った。

「どうって事ないですよ。当日言われなかっただけマシです」
「そうですよ、気にしないで下さい」

俺を励ます様に言う2人に、俺は財布から札を抜き渡す。

「飯の足しにしろ」

一旦受け取ったが、さすがに長谷は「貰いすぎですって。どんな豪華な飯食わすつもりですか!」と返そうとするが、「余ったら中川に奢ってやれ」とそれを受け取らず運転席のドアを開けた。

「じゃ、来週頼むぞ」
「はーい!」

長谷が軽い調子で答えるのを聞きながらドアを閉めエンジンをかける。

もう8時。
さすがに瑤子は帰っているだろう。
さっきスマホを確認したが、特に連絡は来ていなかった。

とりあえず帰るか

俺は寒々しい空の下車を走らせた。



家に帰り、当たり前のように「ただいま」と玄関を開ける。
一人で暮らしていた頃には言わなかった台詞。けれど、誰かが待っていると思うと、いつの間にか自然に口にするようになっていた。

そして、当たり前のように瑤子が待ってくれている。そう思っていたのに、開けた先にあったのは暗く冷え切った部屋だった。

玄関先だけ照らされた灯りの下で靴を確認するが、瑤子が履いて行ったはずの靴はそこには無い。
慌てて靴を脱ぎ、部屋を一つ一つ見て回る。が、やはり瑤子の姿はなかった。

何か……あったのか?

妙な胸騒ぎを覚えながら、まだ着たままのコートのポケットからスマホを取り出し確認する。
時間は9時前で、そして、やはり何のメッセージも届いてはいなかった。

大の大人を心配するような時間じゃないのは分かっているが、瑤子が俺と暮らし始めてこんな時間まで連絡もせず帰らなかった事など一度もない。

アドレス帳から瑤子の名前を探して、俺は通話ボタンをタップする。
聞こえてくるのは無機質なコール音。そして、電話に出ることができないと告げるアナウンスが流れた。

コートを脱ぐこともせず、暖房も付けていないヒンヤリとしたリビングのソファに、俺はスマホを握りしめたまま座り込んだ。

不安だけが俺の心に押し寄せる。こんな気持ちになった事など記憶にない程の焦燥感。

しばらく折り返しの電話を待ったが握りしめたままのスマホは何の反応もなかった。
祈るような気持ちで、また画面をタップする。

しばらくのコール音の後、それはふつりと途切れた。

「瑤子⁈」

誰かが出た気配にそう呼びかけると、申し訳なさそうな、瑤子とは違う女の声が聞こえてきた。

「長門さん?すみません。瑤子の電話に勝手に出て。あの、村井です。動物園でお会いした瑤子の友人の」

そう言われて、前に一度会ったその友人の顔を思い出した。

「あぁ。あん時の。瑤子は?何かあったのか?」

とりあえず、誰と一緒にいるのか分かり、少し安心して俺は尋ねる。

「実は……、瑤子を夕方誘って、一緒にお茶してたんです。けど、急に気分が悪くなってしまって……。主人が家にいたので、そのまま車でうちに連れて帰ったんです」

村井は、そう静かに俺に告げる。

「で?体調はどうなんだ?そんなに悪いのか?」
「今は落ち着いて、眠ってます。もしかしたら胃腸炎かも知れませんね。流行ってるみたいですし。瑤子は帰るって言ったんですけど、大事をとってうちに泊めてもいいですか?」

もちろん瑤子の事は心配だが、不測の事態に巻き込まれたのでは無いのが分かり俺は安心した。

「悪いな。俺じゃ看病するのもままならないだろうし、世話かけるけど頼む。それにあいつは普段から働き過ぎだ。せっかくだからゆっくりしてろって伝えといてくれ」

俺がそう言うと、電話の向こうでふっと小さく安堵するような気配がした。
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