172 / 247
39
4.
しおりを挟む
──不意に玄関のインターフォンがなる。
その時私は、仕事から帰って一人分の夕食を用意していた。
「はい」
そう言って出ると「俺だ」と機嫌の悪そうな声が聞こえて、私は慌てて玄関に走った。
ドアを開けると、声のトーン通りの顔をしてその人は立っていた。
「……今日は来ないのかと……思ってた」
いや、『来ない』と言っていた筈だ。
「何?急に来ちゃ都合悪いわけ?男でも連れ込んでるとかねーだろうな」
「ち、違うの。ちょっとびっくりしただけ」
征士から差し出された鞄を受け取りそう言うと、余計に顔を顰めてこちらを見た。
「飯。あるだろ?腹減ってんだけど」
それにドキリとしながら、私はぎこちなく笑顔を浮かべた。
「あ、うん。……簡単なもので申し訳ないんだけど……」
ソファの前で上着を脱ぎネクタイを緩めると、征士はワザとらしいくらい大きく息を吐き出した。
「本当、お前使えねーな」
そう吐き捨てると、征士はテレビを付けた。
本当にそうだ。もしかしたら征士が来るかも知れないって考えて、もう少し多めに作ればよかった。それに、拘りのある征士の為に、もうちょっとまともなものを作っておくんだった。
後悔しても遅い。征士の言う通り、私は使えない人間だ。
「何これ?野菜切るくらい出来ねぇの?揃ってないから火の通りがバラバラだろ?」
不機嫌な様子のまま、出来上がった野菜炒めを口に運びながら征士は言う。
「そう……かな?」
自分では気にはならないけれど、と思いながらついそう口に出すと、征士は私を睨みつけるようにこちらを見た。
「俺が言ってる事が間違ってるって言いたいわけ?」
「そんな事ない。ごめんなさい。今度は気をつけるから」
私がそう言うと「当たり前だろ?有難いと思えよ?俺はお前の事を思って言ってやってるんだからな」と私の方を見る事なくそう言った。
それから私は取り憑かれた様に正確に料理をするようになった。いつになってもダメだしばかり。それでも何も出来ない私が悪いんだって思い込んで、言われるままに従った。
けれどそれは呆気なく終わり、解放感より虚しさだけが私の中に残った。
しばらくぼんやりと職場を行き来するだけの日々が続いた。何をする気も起こらず、帰り道のコンビニで食べられそうなものを買って帰っていた。
ようやくちゃんと作ろうと思い立って、親子丼にでもしようかと玉ねぎを目の前に包丁を握った。
な……んで……?
包丁を握る自分の手が震えている。切ろうとすればするほど、その震えは大きくなっていった。
私は料理をする事が出来なくなり、そして、それだけでは済まなくなって行った。
「……子。……瑤子?」
ハッとして目が覚めると、ベッドに倒れ込むようにしてそのまま眠っていた私を、夕実ちゃんが心配そうに覗き込んでいた。
「夕実ちゃん……」
「うなされてた。大丈夫?」
横になったままの私の横に座り、夕実ちゃんがそっと私の腕をさすってくれた。
やっと、最近になって見なくなった征士の夢。
もう見たくないと思っているに、繰り返し、繰り返し夢に現れ、そして、私の心を痛めつけ、打ちのめしていた。
「お粥、出来てるよ?食べる?」
夕実ちゃんが、優しく私に尋ねる。
──きっと……大丈夫
自分にそう言い聞かせてゆっくり頷くと、夕実ちゃんは安心したように微笑んだ。
「温め直してくるね」
そう言って立ち上がった夕実ちゃんに、ふと気になって私は尋ねる。
「夕実ちゃん。今何時?」
「もうすぐ10時。……実は何度か長門さんから電話かかってたの」
そう言って、夕実ちゃんはサイドテーブルの上に置いている私のスマホに視線を送った。
「どうしようか迷ったんだけど、心配してるだろうからと思って取らせて貰った。勝手にごめん……」
本当に申し訳さなそうな夕実ちゃんに、私は「気にしないで。私の方こそ気を遣わせてごめんね」と謝った。
夕実ちゃんは、少し安心した顔を見せると続けた。
「長門さんには、もちろん今日の事は話してないよ?私が急に誘ってお茶してる途中に、瑤子は気分が悪くなってしまったから連れて帰ったって事にしてある。胃腸炎も流行ってるし、もしかしたらそうかも知れないって言ってあるから」
夕実ちゃんが、勝手に今日の事を話すなんて思っていないし、代わりに電話に出てくれて、それらしい理由を伝えてくれて助かった。
「司は……何か言ってた?」
「自分じゃ看病するのもままならないだろうから、世話かけるけどよろしくって。働き過ぎだからゆっくりしてろって、そう言ってたよ?」
それを聞いてホッとする。心配してるだろうけど、それでも夕実ちゃんといる事が分かって、少しは安心してくれている筈だ。
「良かった……」
私がそう呟いたのを見届けて、夕実ちゃんは部屋を後にした。
しばらくすると、お粥が入った小さな土鍋をのせたトレーを持って現れた。
「お待たせ。どう?起き上がれる?」
私はゆっくりと起き上がると、サイドテーブルに乗せられたトレーに向かい、レンゲを手にする。
少し震えてる手でお粥を掬い、自分の口元に運ぶ。
でも…………。怖い…………
食べたらまた、もどすんじゃないかって、食べ物を受け付けなくなったあの頃を思い出して、私は口を開ける事が出来なかった。
その時私は、仕事から帰って一人分の夕食を用意していた。
「はい」
そう言って出ると「俺だ」と機嫌の悪そうな声が聞こえて、私は慌てて玄関に走った。
ドアを開けると、声のトーン通りの顔をしてその人は立っていた。
「……今日は来ないのかと……思ってた」
いや、『来ない』と言っていた筈だ。
「何?急に来ちゃ都合悪いわけ?男でも連れ込んでるとかねーだろうな」
「ち、違うの。ちょっとびっくりしただけ」
征士から差し出された鞄を受け取りそう言うと、余計に顔を顰めてこちらを見た。
「飯。あるだろ?腹減ってんだけど」
それにドキリとしながら、私はぎこちなく笑顔を浮かべた。
「あ、うん。……簡単なもので申し訳ないんだけど……」
ソファの前で上着を脱ぎネクタイを緩めると、征士はワザとらしいくらい大きく息を吐き出した。
「本当、お前使えねーな」
そう吐き捨てると、征士はテレビを付けた。
本当にそうだ。もしかしたら征士が来るかも知れないって考えて、もう少し多めに作ればよかった。それに、拘りのある征士の為に、もうちょっとまともなものを作っておくんだった。
後悔しても遅い。征士の言う通り、私は使えない人間だ。
「何これ?野菜切るくらい出来ねぇの?揃ってないから火の通りがバラバラだろ?」
不機嫌な様子のまま、出来上がった野菜炒めを口に運びながら征士は言う。
「そう……かな?」
自分では気にはならないけれど、と思いながらついそう口に出すと、征士は私を睨みつけるようにこちらを見た。
「俺が言ってる事が間違ってるって言いたいわけ?」
「そんな事ない。ごめんなさい。今度は気をつけるから」
私がそう言うと「当たり前だろ?有難いと思えよ?俺はお前の事を思って言ってやってるんだからな」と私の方を見る事なくそう言った。
それから私は取り憑かれた様に正確に料理をするようになった。いつになってもダメだしばかり。それでも何も出来ない私が悪いんだって思い込んで、言われるままに従った。
けれどそれは呆気なく終わり、解放感より虚しさだけが私の中に残った。
しばらくぼんやりと職場を行き来するだけの日々が続いた。何をする気も起こらず、帰り道のコンビニで食べられそうなものを買って帰っていた。
ようやくちゃんと作ろうと思い立って、親子丼にでもしようかと玉ねぎを目の前に包丁を握った。
な……んで……?
包丁を握る自分の手が震えている。切ろうとすればするほど、その震えは大きくなっていった。
私は料理をする事が出来なくなり、そして、それだけでは済まなくなって行った。
「……子。……瑤子?」
ハッとして目が覚めると、ベッドに倒れ込むようにしてそのまま眠っていた私を、夕実ちゃんが心配そうに覗き込んでいた。
「夕実ちゃん……」
「うなされてた。大丈夫?」
横になったままの私の横に座り、夕実ちゃんがそっと私の腕をさすってくれた。
やっと、最近になって見なくなった征士の夢。
もう見たくないと思っているに、繰り返し、繰り返し夢に現れ、そして、私の心を痛めつけ、打ちのめしていた。
「お粥、出来てるよ?食べる?」
夕実ちゃんが、優しく私に尋ねる。
──きっと……大丈夫
自分にそう言い聞かせてゆっくり頷くと、夕実ちゃんは安心したように微笑んだ。
「温め直してくるね」
そう言って立ち上がった夕実ちゃんに、ふと気になって私は尋ねる。
「夕実ちゃん。今何時?」
「もうすぐ10時。……実は何度か長門さんから電話かかってたの」
そう言って、夕実ちゃんはサイドテーブルの上に置いている私のスマホに視線を送った。
「どうしようか迷ったんだけど、心配してるだろうからと思って取らせて貰った。勝手にごめん……」
本当に申し訳さなそうな夕実ちゃんに、私は「気にしないで。私の方こそ気を遣わせてごめんね」と謝った。
夕実ちゃんは、少し安心した顔を見せると続けた。
「長門さんには、もちろん今日の事は話してないよ?私が急に誘ってお茶してる途中に、瑤子は気分が悪くなってしまったから連れて帰ったって事にしてある。胃腸炎も流行ってるし、もしかしたらそうかも知れないって言ってあるから」
夕実ちゃんが、勝手に今日の事を話すなんて思っていないし、代わりに電話に出てくれて、それらしい理由を伝えてくれて助かった。
「司は……何か言ってた?」
「自分じゃ看病するのもままならないだろうから、世話かけるけどよろしくって。働き過ぎだからゆっくりしてろって、そう言ってたよ?」
それを聞いてホッとする。心配してるだろうけど、それでも夕実ちゃんといる事が分かって、少しは安心してくれている筈だ。
「良かった……」
私がそう呟いたのを見届けて、夕実ちゃんは部屋を後にした。
しばらくすると、お粥が入った小さな土鍋をのせたトレーを持って現れた。
「お待たせ。どう?起き上がれる?」
私はゆっくりと起き上がると、サイドテーブルに乗せられたトレーに向かい、レンゲを手にする。
少し震えてる手でお粥を掬い、自分の口元に運ぶ。
でも…………。怖い…………
食べたらまた、もどすんじゃないかって、食べ物を受け付けなくなったあの頃を思い出して、私は口を開ける事が出来なかった。
2
お気に入りに追加
293
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~
taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。
お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥
えっちめシーンの話には♥マークを付けています。
ミックスド★バスの第5弾です。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】
remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。
干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。
と思っていたら、
初めての相手に再会した。
柚木 紘弥。
忘れられない、初めての1度だけの彼。
【完結】ありがとうございました‼
【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜
湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」
30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。
一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。
「ねぇ。酔っちゃったの………
………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」
一夜のアバンチュールの筈だった。
運命とは時に残酷で甘い………
羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。
覗いて行きませんか?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
・R18の話には※をつけます。
・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。
・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる