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22 side T

3.

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「司……?何かあった?」

自分の胸に閉じ込めた目の前の女にそう尋ねられる。

「何で?」

後ろ向きで顔は見えない。洗ったばかりの濡れた髪からは、時折滴が落ちて、ポチャンと湯船に落ちた。

「さっきからやけに静かだし、本当に何もして来ないし、どうしたのかなって」

電話が終わってしばらくすると、瑤子からお風呂のお湯が溜まったから入れば?と促され、一緒に入ろうと提案した。もちろん盛大に拒絶されたが、何もしないからと言うと、渋々応じてくれた。
そして、今一緒に湯船に浸かっている。本当に俺は何もせず、俺の体でも足が伸ばせるくらい広い湯船の中で、ただボンヤリと瑤子の体を抱きしめていた。

「何?期待してた?」

冗談めかしてそう言うと、瑤子は「そうじゃなくて!」と身をよじり顔をこちらに向ける。

「何か心配事でもあるのかなって……」

心配そうに俺の顔を覗き込むその瞳が、不安の色を隠さず揺らいでいる。そして俺は、頭の中で睦月に言われた言葉を反芻していた。

選ぶのは彼女……か

確かにその通りだ。俺の問題に巻き込まれたくないと言うのなら、それを俺は飲まなくてはならない。
それに、俺だって本当は巻き込みたくなどない。
あんなに重苦しい長門家うちの事情などに。

「司?」

弾かれるように顔を上げると、お湯の揺れる音が響く。

「あぁ……悪い。何でもないから心配するな。それより……キスしていい?」

うっと声漏らして瑤子は顔を紅くする。

「ダメって言ってもどうせするんでしょ!」
「当たり」

結局、瑤子の返事など聞かずそのまま目の前の唇に触れる。
お湯の音とは違う水音が浴室の中に響き始めると、それと同時に瑤子の唇からも熱くなった吐息が漏れ始めた。

「瑤子……」

言葉を発する事ができる最小の隙間まで唇を離して名前を呼ぶ。

「……何?」

そう答える唇の動きがこちらに伝わるくらいの距離。

「好きだ。本当に……お前の事が。あ……」

──愛してる

そう言いかけた言葉を俺は飲み込んで、そのまままた唇に深く触れる。

言いたくても言えない、重すぎるその言葉。
これを言うのは今でもないし、もしかしたら一生言うことはないかも知れない。

それでも、俺は……

お前の事を愛している

そう思いながら、甘い唇を味わった。


「ちょっと!やっぱり何かするんじゃない!」

脱衣所のスツールに座り、グッタリと洗面台に伏せながら瑤子が文句を言っている。
結局、一度火が付くとなかなかそれを止められず、瑤子を啼かすだけ啼かして今に至る。

「あ~悪い悪い」

俺が悪びれもせずそう言うと、

「だから!あなたの悪いは全く悪いと思ってないっ!」

と瑤子は叫んでいた。


◆◆


望まれていなかった長女のあと、7年経って生まれた待望の長男。
それが俺だ。

代々続く由緒正しい資産家。
都内に多数ある先祖代々からの土地と、それを管理する事業を長く本家の長男が受け継いできた。
それだけで、その家の長男として生まれてしまったことからは逃げ出す事などできない。

それでなくても幼い頃から周りには期待の眼差しを向けられ、そして、どこに出しても恥ずかしくないよう教育されて育った。
まだ何も分からない幼い頃は、それが当たり前の事として受け入れていた。

だが、だんだんと息が詰まり始めて、息をするのですら苦しくなるような生活を、ほんの少し忘れさせてくれたのは、姉のまどかと、その幼なじみだった香緒の母である祥子さんだった。

女だからと言う理由で、ある程度の自由は与えられていたが、それでも長門家に相応しい教育を受け、いつか家のためにそれ相応の家に嫁ぐ。それがまどかに与えられていた使命だった。
それでも、それ以上を求められている弟を不憫に思ったのか、俺にはこう言った。

「司は、自分の好きなように生きたらいいんだよ?」

けれど、まだ幼過ぎた当時の俺は、それがどう言う事なのか分からずにいた。
その時、『好き』なものすら自分には存在していなかったから。

だがその後、なんの気紛れか買い与えられたカメラに、すっかり虜となった。
写真は嘘をつかない。そして、自分の見たい世界を切り取ってくれた。
そして、その世界に俺はのめり込んだ。

もちろん、それを仕事にするなど許される事ではない。
いっそ勘当だと言われた方が気が楽だった。
だが、父も、俺も分かっている。
言葉でなんと言おうが、結局は親子。血が繋がっているだけで、最終的には相続問題は発生するのだ。そして、それを簡単にいらない、だけで済まされないことも。
そう遠くない何時か。俺はそれに立ち向かわなくてはいけないのだ。



……何……時だ?

薄らと目を開けると、カーテンの隙間から見える光から、何となく陽の高さを感じる。
瑤子の姿はなく、ベッドの上には1人分の温もりしかなかった。
重い頭を持ち上げて、サイドテーブルに置いてあるスマホの画面を確認すると、10時過ぎ。

夢の中でさえ考え事をしていたようで、何となくまだ目が覚めたと言う気のしないままベッドの縁に座る。

小さくカチリと音がして扉がゆっくり開くと、瑤子が顔を出した。

「あ、起きてた?あまりにも起きて来ないから……」

そう言いながら俺の側まで来て目の前に立つ瑤子の腰を、無言で引き寄せてその胸に収まる。

「どうしたの?」

ちょっと笑いながら、まるで子供をあやすように俺の頭を撫でてくれる。
俺はそれだけで安心した。
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